「このハチの巣が麺?」山西省の豊かなコナモノ文化を味わえる新大久保『山西亭』

「これが麺!?」

僕は思わず声を上げた。それはせいろで蒸された、まるでハチの巣。円筒状に丸めた生地を、せいろの中に立てて並べてあるのだ。そのひとつを箸で取り出して、卵とトマトのスープにつけて食べてみる。ほのかに素朴な甘み。もちもちとした食感で歯ごたえもあり、見た目よりもだいぶおなかにたまりそうだ。

山西省(中華人民共和国)

中国北部、黄河の北に位置する省で、人口はおよそ3500万人。大部分が山地で、乾燥した冷涼な気候。石炭や鉄鋼など天然資源を産出することでも知られている。麺の故郷とも呼ばれており、刀削麺発祥の地でもある。日本で暮らす山西人は留学生や社会人が多い。

厳しい自然環境だからこそ育まれた食文化

穀物の風味も香るが、これは「ハダカ燕麦(えんばく)」というイネ科の植物が材料になっている。その種子をひいて粉にして、まずは生地をつくる。まるでうどんかそばの生地みたいだが、少量を切り分けて餃子の皮くらいに伸ばし、人差し指にくるくるっと巻きつけて筒のように形を整えて、せいろに並べていく。蒸し上げたら完成だ。

「麺」という言葉を辞書でひも解いてみれば、「穀物の粉からつくった生地を成形した食品」とあるから、この莜麺栲栳栳(ヨウ ミェン カオ ラオ ラオ)も立派な麺料理ということになる。しかし、どうしてまた「ハダカ燕麦」なんてものを使うのだろうか。

「山西省は山ばかりで、寒い。だから米があまり育たないんです」

店主の李 俊松(リ ジュンソン)さんは言う。栽培できるのは厳しい自然環境でも育つ、燕麦類、ソバ、トウモロコシ、豆類、高粱(コーリャン。モロコシの一種。トウモロコシとはまた違う)といったもの。山西省の人々はそれらを粉にして生地をつくり、さまざまな形に成形し、主食としてきたのだ。山里の生きる知恵なんである。

仏教の聖地でもある五台山近郊出身の李さん。店では料理教室も開催している。
莜麺をこねる李さんの巧みな手つき。

とくにヨウマイと呼ばれるハダカ燕麦はなんと2500年前から栽培されてきたという。小麦粉などとは違ってゆでたり煮たりすると溶けてしまうので、こうしてせいろ蒸しにするのだそうだ。

「子供の頃は、これを毎日のように食べてましたよ」

というから、莜麺栲栳栳は山西省を代表する家庭料理、ソウルフードとも言えそうだが、黒酢のたれともよく合う。唐辛子やネギ、ニンニクを炒めて、山西省特産の黒酢と合わせたやつだ。

「山西省の料理は、とにかく黒酢をよく使うんです。それも、ほかの地域のものより濃くて、酸味も香りも強い黒酢ですね」

お店で使っているものを見せてもらうと「老陳醋」というブランドで、確かにまろやかな酸味が際立っている。日本の場合、酢はおもに米からつくるが(黒酢は玄米)、山西省のこの黒酢は高粱が原料なのだ。

独自の黒酢をメインに、あとは醤油と塩でシンプルに味つけた料理が多いのも山西省の食文化の特徴だ。

「中国の南のほうと違って、料理に砂糖はあまり使わないんです」

ちなみにこの黒酢、お店のある新大久保に点在している中華食材店でも手に入る。500㎖のやつが200円ちょいと格安だ。

『山西亭』愛用の高粱製黒酢!

日本で暮らす山西人が集まってくる

李さんが来日したのは2003年のこと。最初は同郷の人が働いている北九州の中華料理店にコックとして入ったのだそうだ。それから東京に出てきて刀削麺の店や火鍋の店などを渡り歩き、新大久保にやってきたのは2015年だ。コリアンタウンというイメージが強いかもしれないが、ここはアジアのさまざまな民族が混在する多国籍タウンだ(僕も住んでいる)。そして中国の人々も多いこの街で、まずは刀削麺の店としてオープンしたのだという。

「山西省出身のお客さんに頼まれたときだけ、故郷のものを出すことはあったんですが」

次第にその「裏メニュー」が評判になっていく。山西省の人々だけではなく、やがて日本人にも莜麺栲栳栳をはじめとする珍しい料理が知られるようになり、表メニューとして定着したというわけだ。

じゃがいものデンプンを固めた山西炒涼粉も険しい山里ならではの料理だ。1100円。

そしていまでは、このお店が日本に暮らす山西省の人々のコミュニティーのようになっている。

「少ないんですよ。山西省の人たちは。日本には2000人とか3000人くらいしかいないんじゃないかな。でも、そのうちの誰かが毎日のようにここに来ます」

在日中国人は全体で78万人だから、山西省出身の数千人はきわめてマイノリティだ。留学生が中心となっているというが、ここは彼らが異国暮らしの中で懐かしい味を楽しむ拠り所なのだ。

店内には山西省のポスターがいろいろ。
山西省名物の蒙山大仏。

厳しい大地を生きる知恵が麺にも酒にも

山西省独特の麺料理はほかにもいろいろある。一見、レバニラ炒めのように見えたやつはソバと小麦を混ぜた「蕎麦餅」の生地を厚く切って野菜と炒めたもの(炒蕎麦灌腸)で、柔らかほくほくな食べごたえだ。

五彩猫耳朶(ウー ツァイ マオ アール ドゥオ)は、小麦でつくった生地を小さく切り、親指を使いよじって丸めてあって、これは中華パスタかマカロニか。猫の耳に見立てているのがなんともかわいらしいが、つるつるとした食感が楽しく、野菜と炒めてあってなかなかにボリューミーだ。

こうした工夫を凝らした麺料理が、山西省には実に200種類以上もあるのだとか。しんどい山暮らしだからこそ生まれた、豊かなコナモノ文化なんである。

过油肉(グオ ヨウ ロウ)は麺ではないが豚肉と野菜の黒酢炒めで、莜麺と一緒に食べると実に合う。日本人のお米のように、主食たる炭水化物をいかにおいしく食べるかということに山西省の人たちも注力してきたんである。

なんとも頼もしい一文が。確かにそうかもと思わせるだけの幅広い麺料理が楽しめる。

そして山西省特産の汾酒(フェン ジゥ)もまた、高粱からつくられている。中国でもとくに歴史の古い白酒(蒸留酒)だとかで、白い壺のほうはなんと53度。

右下から時計回りに、莜麺栲栳栳(燕麦のせいろ蒸し麺)、炒蕎麦灌腸(蕎麦餅の炒めもの)、五彩猫耳朶(猫耳麺の五彩炒め)、汾酒(コーリャン焼酎)、过油肉(豚肉と野菜の香酢炒め)。

「山西省の人の中には、これをひと晩で2瓶も飲んじゃう人がいるんですよ。私はまあ半分くらいかな」

なんて笑う李さんだが、やっぱり冬の寒さをきついお酒でしのぐってことなんだろう。

なんともユニークな食文化、日本ではここしかない珍しい店だ。

『山西亭』店舗詳細

山西亭 住所:東京都新宿区大久保2-6-10/営業時間:11:00~15:00・17:30~23:30/定休日:日/アクセス:地下鉄大江戸線東新宿駅から徒歩3分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2024年2月号より

室橋裕和
ライター
1974年生まれ。新大久保在住。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイや周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。おもな著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)。

© 株式会社交通新聞社