海抜3000㍍、雲上の陽光に歓喜 スイスのマッターホルン・スキー場の春

欧州で最も早く春が訪れるのは、どこだろうか。意外にもそれは4000㍍級の高峰が連座するヨーロッパ・アルプスの北側にやって来る。中でも、スイスのマッターホルン・スキー場は、春の陽光を求めるスキーヤーやハイカーが年々増大し、いまや早春期における欧州最大の山岳リゾートとして脚光を浴びる。

ヨーロッパ・アルプスの北側は、冬至から50日もすると、天候が安定し好天が続く。日照時間も長くなり、地上を覆う雲海の上に突き出た4000㍍級の山々の頂に眩しいくらいの太陽光が燦燦と降り注ぐ。地球温暖化の影響で積雪量が年々減っているが、アルプスの高峰は完全な白銀の世界。青一色の大空を背景に巨大な砂糖菓子のような尖形がニョキニョキと突き出る。澄み切った大気を突き抜けてくる強い日射しは、真夏のサンシャインのようだ。そこは、アルピニストやスキーヤーが独占する世界ではなく、いまや、子供から高齢者まで雪上ハイキングと日光浴を楽しむ早春のパラダイスなのだ。

グレイシャー・パラダイスとゴルナーグラート。時がたつのをわすれさせる高峰展望台

かつてはアルピニストや上級スキーヤーの基地の街だったツェルマットからスキーヤーがまず向かうのが、グレイシャー・パラダイス(海抜3883㍍)。ロープウェイで登れる世界の最高点である。ゴンドラとロープウェイを2回乗り継いでグレイシャー・パラダイスの展望台に躍り出ると、尖った斧の先のようなマッターホルン(海抜4478㍍)の頂上部が目の前に堂々と真正面に向き合っている

グレイシャー・パラダイスとゴルナーグラート、人気の高峰展望台

ロープウェイで達する世界最高点、海抜3883㍍のグレイシャー・パラダイス

展望台に立ち爽快感を味わい、マッターホルンのダイナミックコースを滑る

振り返れば、「氷の天蓋」と称されるブライトホルン(海抜4165㍍)が手に取るような近さに横たわっている。360度見渡す限りの白銀の世界。静寂さが支配し、紺青に染まった天空から陽光が射し込み、足元に緩い傾斜を保った広大な白銀の世界が広がる。荘厳とも言える白銀世界にキリリと身が締まる思いだ。グレイシャー・パラダイスの南方向は、高原状の大雪原がどこまでも平らに続き、はるか彼方のイタリア国境に至る。上級スキーヤーが頂上スキーを思う存分楽しんでいる。

周囲に遮るもののない広大な雪原を行く

一方、スキーする人、しない人、ツェルマットに集まるリゾート客の多くが向かうのが、マッターホルン・スキー場で最も人気のあるゴルナーグラート(海抜3089㍍)。1891年に開通した伝統の登山鉄道が常時満員の乗客を乗せて終点のゴルナーグラート駅まで一気に駆け登る。登山鉄道を降りれば、目の前にマッターホルンの雄姿が飛び込む。大きな歓声が沸き起こる。スキーヤーならずとも、一度は滑りたいダイナミックコースは、ゴルナーグラート駅前広場を下ると、すぐに始まる。滑走する前に、ゴルナーグラートからの眺望を楽しもうと、鉄道駅のさらに上方に設置された天文台の展望台に向かうスキーヤーも多い。

ゴルナーグラート頂上まで登ると、欧州第2の高峰モンテ・ローザが目の前に

前方に立ちはだかるマッターホルンの他には、辺り一面、遮るものがない絶景。マッターホルンに向かって両手を広げてガッツ・ポーズする若いカップルに出会った。「日本からですか?」の問いに、「はい、新婚旅行にやって来ました。一生忘れることのない場所に行こうと2人で決めて来たんです。白銀のアルプス連峰、眩い太陽、クリーンな大気、元気をいっぱい頂いています」と。「スキーはされますか?」の問いに、「全く考えていなかったんですが、お子さんを連れたご家族が軽々と滑っていらっしゃる。私たちも、明日、スキーを借りて滑ってみます」と、胸を弾ませていた。

天文台に併設されたクルムホテル・ゴルナーグラートに宿泊する人、ホテルのレストランやカフェで一日中、春爛漫を楽しむ人が実に多い。

ロートホルン・パラダイスの山小屋は、春待ち人で終日賑わう

展望台からさらに上方へ除雪されたスロープ道を登ると、ゴルナーグラート山頂に至る。さすがに、ここまで足を運ぶスキーヤーは少ないが、知る人ぞ知る絶景が待つ。360度の白銀世界に突き出たアルプスの高峰群が目線と平行に対峙する。特に、イタリア方面の眺望が圧巻だ。足元に大きく雪崩れ込むグレンツ氷河の奥に聳える高峰は、欧州第2の高峰モンテ・ローザ(海抜4634㍍)と欧州第4の高峰、リスカム(海抜4527㍍)。アルピニストになったようで有頂天になる。

アルピニストの基地ツェルマット、春待ち人の山岳リゾートに

アルプスの名峰・連山を眺望する展望台やマッターホルン・スキー場に向かう人たちの基地の街となったツェルマット。この地のもう一つの特色は、1988年に世界に先駆けてガソリン自動車の乗入れを禁止したエコ・シティ。馬車と業務用電気自動車が市内を往来するほか、ホテルや別荘の立地にも規制が設けられるなど、地球温暖化が世界的な課題となっている中で、注目を浴びている。

アルピニスト、スキーヤー、避寒客、ハイカー、避暑客などで一年中賑わうツェルマット

ツェルマットには主なホテルだけでも100軒を超え、目抜き通りのバーンホフ通りには、ブランドショップやレストランが軒並み続く。山岳リゾートとして威風堂々とした街ツェルマットだが、一歩、脇道に入れば昔ながらの薪木を積んだ黒い木組みの家々が建て込み、アルプス風情は高まるばかりだ。どんよりと厚い雲に覆われ寒風が吹き抜ける欧州の下界を離れ、一足先に陽光溢れる大自然に迷い込んで寛ぐ楽しさは、人生の特別なハイライトになろう。人口5700人の街ツェルマットに欧州の内外からウィンター・スポーツに避寒にリゾート客が集まり、夏季の避暑客を含めると年間の総入込み客数は、40万人を超える。

(2016年の現地取材と2024年の現地情報に依る)

寄稿者・旅行作家 山田 恒一郎 (やまだ・こういちろう)

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