藤井貴彦アナ『父さんに出来なかった分…』亡き父から託された、“1番大切な習慣”に深い感動

2月26日に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話 復活SP第3弾有名人の家族は本当に幸せなのか?SP』。52歳でフリーへの転身を決意した日テレ藤井貴彦アナウンサーに緊急密着。30年書き続けた日記を初公開したほか、14年続けたnews every.ファミリーとのきずなや、意外な藤井流のルーティンが明らかにされた。そして、今はなき父との知られざるエピソードを明かした。

1994年に日テレに入社した藤井。フリー転身の連絡には、同期の羽鳥慎一も衝撃だった様子。「藤井はアナウンス部長になると思ってた」と語り、さらに「場合によっては社長になると思ってた。本当に優秀だから」と本音を明かした羽鳥。

小学4年生から大学までサッカー一筋だった藤井は、「サッカーの側で生きてたら楽しいかな」という思いから、サッカーの側で生きていくためにどうしたら良いのか“逆算”し、「サッカーの実況アナウンサーになりたいと思っていた」とのこと。

日テレに入社した当初、“あまりにも仕事が忙しすぎて、自分が何をしているか分からなくなった時、今日何の仕事をしたか紙に書いておかないと大混乱する”というきっかけで日記を書くことを習慣にするようになったという藤井。言われたことを丁寧に書き留め、受けたアドバイスを忠実に実行していたところ、努力が実り、入社2年目には箱根駅伝の実況に抜てき。さらに、入社4年目には念願だったサッカーの仕事にも携わるように。

親にも仕事振りを見てもらえる機会が増えた矢先、藤井の父・昭彦さんががんによって余命宣告を受ける。「性格が結構違っていたので、あんまり合わなかった。アドバイスをもらっても、すっと受け入れられるものじゃなかった」と当時を振り返りつつも、「違うながらも父親をリスペクトしてました」と語った。

その後は報道の現場でもコツコツ実績を積み重ね、父の死から8年後の2010年、news every.のアナウンサーに就任。その後、日テレ最長・“夕方の男”として14年間にわたって番組を担当した。本番10分前になると、「14年間、自分でこうやって、やり方も知りませんけどメークしてます」と自らメークをする藤井。日テレ忽滑谷こころアナは、「藤井さんってあんなにテレビに出てらっしゃるのに、たぶん映りをあまり気にしていなくって、メークがめちゃくちゃ適当なんですよ」と藤井の意外な一面を明かし、スタジオを笑いに誘った。

本番中に、後輩からアドバイスを求められることも多いという藤井。アドバイスすることをこまめにメモするようにしているとのこと。さらには、生放送のスタジオで膝をついてカンペ・尺をだすスタッフ全員に行き渡るように、藤井がクッションを買ったというエピソードも。どんなときも周囲への気遣いを忘れない藤井は、周囲からの信頼も厚い。

そんな藤井の、“フリー転身”という大きな決断を後押ししたのは、父の存在だったという。藤井は「父親が58歳で亡くなっていて、父親の亡くなった年齢を目印に生きてきた」と明かし、父と別れた入社9年目・31歳の当時を振り返った。“死ぬのは怖くない。だけどみんなとお別れするのが寂しい”という父の言葉を聞いたとき、「初めて父親が寂しそうに話しているのを見た」という藤井。

「今考えると、(父にとって)人生を一番“逆算”していた時期だと思う」と語り、「だからこそ、父親があの時した“逆算”をまだ私が、余裕があるうちに、やれるのであればやりたい」と思いを吐露した。自分の残り少ない時間を大切にしたいと考えると、より大切にできるのは“会社員よりもフリーになった方”だと考えたのだそうだ。

なき父から、生前最後に託された手紙には、“父さんにできなかった分、母さんを大切にしてください”とつづられていたという。このことから、“生きている間に思いを伝える”ことを大切にしているという藤井。毎月1回、母の住んでいる家に行って、「ありがとう」と必ず伝えることにしているのだという。藤井は、「当たり前の生活がどれだけステキか、意識しながら生きていくことって素晴らしいと思う」と締めくくり、その熱い言葉に、スタジオは深い感動に包まれた。

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写真提供:(C)日テレ

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