年収900万円・財産1億超の58歳会社員、“癌”に罹患…皮膚が剥がれ落ち、吐き気が止まらなくても、治療より先に15歳の愛娘のため「やりとげたかったこと」【行政書士が解説】

(※写真はイメージです/PIXTA)

医療進歩が目覚ましい昨今ですが、いまだ日本人の死因第1位は悪性新生物(癌)です。癌に限らず、人間はいつ死ぬかわかりません。わかっていてもなかなか準備には踏み切れないものですが、自分の死後、財産が自分の望む人のもとへ確実にわたるよう、早めの準備が非常に重要です。本記事では古木さん(仮名)の事例とともに離婚と相続の問題について、行政書士の露木幸彦氏が解説します。

58歳で直腸癌に罹患した男性

突然ですが、質問です。あなたの親戚、友人、同僚のなかに癌の患者はいませんか? 国立がん研究センター(2019年)によると、日本人が一生のうちに癌と診断される確率は男性が65%、女性が51%。つまり、2人に1人は癌にかかっているのが現状です。今回の相談者・古木圭太(仮名)さんもそのうちの一人です。

癌と診断された当時、圭太さんは58歳でしたが、妻と結婚したのは43歳のとき。そして娘さんはまだ15歳でした。

統計(厚生労働省の人口動態統計、2020年)によると男性の初婚年齢は31歳。25年前の1999年は28歳だったので年々、晩婚化が進んでいることがわかります。

そんな圭太さんに見つかったのは直腸癌。がん検診で再検査の対象となり、精密検査をしたところ、直腸癌とわかりました。

国立がん研究センター(2019年)によると男性のうち、癌の種類で最も多いのは前立腺。それから大腸、胃と続きます。

癌と診断されたことで大きなショックを受けますが、圭太さんには癌の治療より先にやらなければならないことがありました。

※本人が特定されないように実例から大幅に変更しています。また離婚の原因や財産の分与、死亡後の後見人の選定などは各々のケースで異なるのであくまで参考程度に考えてください。

娘が不登校になったワケ

<家族構成と登場人物の属性(すべて仮名、年齢は相談時点)>

夫:古木圭太(58歳)関東在住の会社員、年収900万円 ※今回の相談者
妻:古木美代(41歳)専業主婦
子:古木美弥(15歳)学生

<圭太さんの財産の内訳と合計(約1億2,000万円)>
1.すぐに現金化できる財産
預貯金 450万円
自宅マンション 2,700万円(住宅ローン完済)
投資信託 415万円
外貨預金 250万円(日本円に換算して)
退職金 1,460万円(仮にいますぐ退職したとして)
合計 5,275万円

2.まだ現金化できない財産
厚生年金 月16万円×終身(仮に60歳の満期まで納め続けたとして)3,840万円
個人年金 月6万円×終身(仮に60歳の満期まで加入したとして)1,440万円
企業年金 月8万円×15年(仮に60歳の満期まで加入したとして)1,440万円
合計 6,720万円
(終身の財産の受取期間を仮に20年として)

圭太さんにとっての悩みの種は娘さんの不登校。中学校へ通えなくなったのは妻の不信な言動のせいだと考えていました。たとえば、妻は自分磨きに余念がなくエステに通ったり、美容医療のためにクリニックへ通ったり……。夫や娘の平日・休日は関係なしにホテルで豪華なランチを楽しんだり、「パワースポットだから」と伊勢神宮まで参拝に行ったり……。受験生の娘をお構いなしに遊び歩いていたのです。誰と一緒にいたのでしょうか?

妻は「友達だから」というのですが、娘は下校の際、母親が父親とは違う男性と手をつないで歩いているところを目撃していました。娘はただでさえ思春期でナイーブな年齢で、しかも高校受験を控えている大事な時期です。そんななか、「母親の裏切り」を目の当たりにして嫌悪感を募らせたのでしょう。これでは机に向かうことは難しく、とても受験勉強に集中できません。

癌と並行して離婚調停へ

実際のところ、担任の教諭から圭太さんのところへ電話があり、「登校しなかったり、無断で下校したりすることが増えているけれど、おうちでなにかありましたか?」と尋ねられたそうです。

文部科学省の調べ(2022年)によると中学校の不登校の生徒数は19万人。全生徒の6%が不登校なのですが、それもそのはず。不登校の生徒数は前年(16万人)に比べ、18%も増えているのです。

圭太さんが娘について、妻へ問いただすと「ちゃんとやっているよ。反抗期でちょっとナイーブでしょ」と一笑に付したので、圭太さんも堪忍袋の緒が切れたのです。「あいつ(妻)と引き離すのは離婚するしかない!」と。圭太さんが筆者の事務所へ相談しに来たのは重大な決断をしたタイミングでした。

離婚する際、夫婦のあいだに未成年の子どもがいる場合、どちらが子どもの親権を持つのかを決めなければなりません。圭太さんの望みは娘の親権のみ。圭太さんは家庭裁判所に離婚調停を申し立て、妻の説得を続けましたが、そのあいだにも圭太さんは血液検査を受けるたびに腫瘍マーカーの値が上昇し、恐怖に苛まれていたようです。

――しかし、10ヵ月後。最終的には「3,800万円を渡す」という条件で離婚に同意させ、親権を放棄させることができました。

父親が親権を獲得するケースは全体の約1割

厚生労働省(2021年)調べによると子ども1人の場合(4万8,979組)、父親が親権を獲得したのはわずかに13%(6,298組)、母親(87%、4万2,681組)のほうが圧倒的に有利です。それでも妻が親権をあきらめたのは娘に対して愛情が薄かったこと、そして目先の遊ぶ金が欲しかったのでしょう。

財産分与の残酷

法律上(民法758条)結婚しているあいだに築いた財産は夫名義であっても夫の財産ではなく、夫婦の共有です。そして離婚する際は夫と妻で財産をわけ合わなければなりません。(民法768条)。3,800万円の内訳は預貯金(450万円)、自宅マンション(2,700万円)、投資信託(415万円)、外貨預金(250万円)です。つまり、退職金以外、すぐに現金化できる財産をすべて渡した格好です。逆にいえば、圭太さんの手元には現金化できる財産はなにも残りません。

親権を獲得するためとはいえ、ずいぶん不利な条件のように感じるでしょうか。

「3,800万円の財産分与」は不利な条件ではないといえるワケ

以下は結婚期間別の財産分与、慰謝料の合計の平均値です(平成10年の司法統計年報。「離婚 離縁事件実務マニュアル」ぎょうせい・東京弁護士会法友全期会家族法研究会・編から引用)。

《結婚期間別の財産分与、慰謝料の合計の平均値》

・1年未満 140万円

・1~5年 199万円

・5~10年 304万円

・10~15年 438万円

・15~20年 534万円

・20年以上 699万円

圭太さんの場合、結婚16年目なので平均は534万円です。

しかし、よくよく計算すると決して不利ではありません。もし、離婚せずに圭太さんが亡くなった場合、まだ妻にも相続権が残っています。圭太さんが遺言を残さなかった場合、妻の法定相続分(法律で決められた相続分)は2分の1(6,000万円)です。一方、「妻には1円も渡さない」という遺言を残した場合でも、妻には遺留分(どんな遺言を書いたとしても残る相続分)があり、今回の場合は4分の1(3,000万円)です。

しかし、離婚すれば妻は相続権を失います。今回、渡した3,800万円で最後です。残りの財産はすべて娘に残すことができます。つまり、妻にとっては死別より離婚のほうが不利なのですが、圭太さんは病気のことを明らかにしていなかったので、妻はまさか「死別」という選択肢があるなんて思ってもいなかったのでしょう。離婚と死別を比べられずに済みました。

10ヵ月の離婚調停のあいだに癌が悪化

このように離婚に至るまでは圭太さんの想定どおりに進んだのですが、想定外だったのは体調の悪化。このころの圭太さんは重度の皮膚障害(皮膚がむけるびらんが起こる)を発症し、吐き気が酷く、食事が喉を通らない様子。かなり顔色が悪く、やせ細っており、だいぶ弱っている印象で満身創痍でした。

なぜなら、病気の治療を後回しにしていたからです。急いで手術を受けるため、2週間の予定で入院。手術は無事に成功したのですが、術後は化学療法が待っていました。放射線や抗がん剤の治療は副作用が大きかったようです。

離婚から1年半、1本の電話が…

離婚から1年半。音沙汰がなかったのですが、突然、筆者の事務所に電話がかかってきました。

声の主は娘さん。「父が亡くなりました」と言うのです。圭太さんの手帳に筆者の名刺が挟まっており、これを見て電話をしてきたそう。癌の進行は早く、あっという間に全身に転移し、圭太さんの命を奪ったのです。

厚生労働省(2022年)の調べによると新しい抗がん剤など医療技術の進歩が目覚ましいにもかかわらず、相変わらず、死因の一位は癌です(死因全体のうちの25%。38万1,505人)。5年生存率は64%(2009~2011年にがんと診断された人)しかありません。娘さんを残して亡くなった圭太さんの無念を想像すると筆者も胸が痛みます。

命がけの離婚も水の泡となった理由

ところで親権者である圭太さんが途中で亡くなってしまったら、未成年の娘さんはどうなるのでしょうか?

圭太さんの代わりに娘さんを引き取る人のことを後見人といい、家庭裁判所が選任します。残念ながら、圭太さんの両親はすでに亡くなっており、兄弟姉妹はいません。そのため、妻以外に適任者はいません。裁判所は妻の育児放棄、浪費癖、不倫癖のことを知らないので、妻を後見人として選定したのです。

今後、妻が娘さんの食事を用意し、衣服を洗濯し、部屋を掃除するかどうかはわかりませんが、それだけではありません。後見人は未成年者の財産を管理する権利を持っています。

妻は離婚時、すでに3,800万円の財産を受け取っています。圭太さんの財産を相続する権利を持っているのは娘さんだけです。圭太さんの財産はすべて娘さんが相続したのでしょう。妻はこれらの相続財産(8,200万円)を管理することができるのです。無理やり離婚させられた妻が財産をどのように使うのかはいうまでもありません。

圭太さんは生前、命がけで妻を娘さんから引き離し、娘さんに財産を残そうと奮闘したのですが、結局、これらの頑張りは無意味に終わりました。では、圭太さんはどうすればよかったのでしょうか?

具体的には遺言を作成し、そのなかで後見人を指定することです。一般的に遺言を作成する目的は「遺産の配分」だと思われがちですが、それだけではありません。未成年の子どもがいる場合、万が一のときは誰に子どもを任せたいのかを残すことも可能です。圭太さんの場合、相続人は娘さん一人です。遺言がなくても全財産を娘様に相続させることが可能なので後見人については盲点でした。

誰しも病気や怪我にかかる可能性はありますが、それは子どもの親も例外ではありません。いつどこでなにがあるかわからないので万が一の場合、非親権者(親権を持っていない親)に子どもを任せたくないのなら、どの親も遺言で後見人を指定することをおすすめします。

露木 幸彦
露木行政書士事務所

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