NPO施設で暮らすスリランカのボディーガード PTSD抱えながら、住民と交流【あなたの隣に住む「難民」⑤】

庭で談笑する有川憲治事務局長(左)とリビさん=2023年8月、神奈川県鎌倉市のアルペなんみんセンター

 神奈川県鎌倉市の静かな丘の上。緑の庭に囲まれ、元修道院の建物がたたずむ。NPO法人「アルペなんみんセンター」の食堂から、おいしそうな香りが漂ってきた。
 50代のスリランカ人リビさん(仮名)の得意料理は、スパイス豊かなカレーと、ミルクのたっぷり入った甘い紅茶だ。「ここはいろんな国の人が一緒にいて、楽しい」。リビさんは話す。(共同通信編集委員=原真)

 故郷で政府要人のボディーガードを務めていた。少数民族組織によるテロ計画を察知したことから、命を狙われた。左腕には、銃弾が貫通した傷痕がある。
 2002年に観光ビザで日本へ脱出し、工場などで働いた。不法就労で摘発され、茨城県牛久市の東日本入国管理センターに約1年間収容された。
 出入国在留管理庁は、オーバーステイなどの疑いのある外国人を原則として収容している。警察・検察による逮捕・勾留と違い、入管収容には裁判所のチェックがなく、無期限で、収容中の死者が相次ぐ。23年6月の入管難民法改正で、収容せずに社会生活を認める「監理措置」が新設されたが、適用されるのは入管が「相当と認めるとき」に限られる。
 リビさんは母国で殺されかけ、日本では投獄されて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱える。仮放免状態のため、仕事もできない。難民認定を3回申請したが、いずれも退けられ、裁判で争っている。
 でも、アルペではカレーを作ったり、精神障害者施設に出かけたり。「毎日、活動している」と充実した様子だ。
 「裁判で良い結果が出るのを待っている。来日して20年以上、スリランカで過ごしたのと同じくらいになった。ずっと日本にいたい」

 ▽地域と活発に交流
 アルペの有川憲治事務局長は長年、キリスト教団体で難民支援に携わってきた。シェルターと呼ぶ一時的な住まいの不足に悩んでいたところ、鎌倉の修道院が閉鎖されると聞く。無償で借り受け、NPO法人を設立して20年、30室の大規模施設をオープンさせた。
 「視察で訪れたスペインやイタリアには、多くの難民支援施設があり、空港で難民申請した人をそのまま受け入れていた。日本でも誰かつくってくれないかと思っていたんですが」
 ナイジェリアやエリトリアなどの仮放免者を中心に、これまでに26カ国の74人を受け入れてきた。年約4千万円に上る経費は、民間の寄付と、国や自治体の助成金で賄う。食料を提供してくれる団体も多い。
 特に力を入れているのが、地域住民との交流だ。入居者に日本語を教えてくれる先生を募り、庭の畑に子どもを招き、難民に関する勉強会を開いている。入居者が市内の高齢者施設でボランティアをしたり、イベントで料理を提供したり、小学校で話をしたりすることも少なくない。
 23年4月には東京都小金井市に二つ目の施設を立ち上げた。「外国人が怖いと思っていた人も、一緒にご飯を食べたら、名前で呼び合うようになる。難民を歓迎する地域が広がっていけば、日本社会は変わる」。有川事務局長は力を込める。

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