「核のことがみんなの中から消えてしまうのでは…恐ろしい」第五福竜丸被ばくから70年 久保山愛吉さん追悼行進も参加者の高齢化進む=静岡・焼津市

3月1日は核兵器の廃絶を訴える「ビキニデー」です。静岡県焼津市では70年前、アメリカの水爆実験で被ばくした久保山愛吉さん(享年40)を追悼する行進が行われました。

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<杉本真子キャスター>
「第五福竜丸の被ばくから、きょうで70年。地元の焼津市では核兵器のない平和な世界を願う人が行進しています」

1954年3月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験は、多くの漁船を巻き込みました。焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばくし、半年後、無線長の久保山愛吉さんが放射能症で、40歳の若さで亡くなりました。

行進に参加した人たちは、JR焼津駅前から焼津港を通り、久保山さんが眠る弘徳院で冥福を祈りました。

「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」。久保山さんが遺した言葉です。

<三重県からの参加者(29)>
「医療従事者だが、平和を願って参加した。参加してみて、(参加者は)上の年代の人が多い印象。僕らの世代や、下の世代につなげていけたらと思う」

被ばくした第五福竜丸の乗組員23人のうち、生存者は2人。戦後に起きた核の悲劇をどう語り継いでいくかが課題となっています。

<元・乗組員大石又七さんの遺族 河村恵子さん(76)>
「核のこと、歴史の事実がみんなの中から消えてしまうのではという、恐ろしい70周年。自分たちの問題として捉えていくきっかけになればいい」

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