国立ハンセン病療養所・長島愛生園で暮らす96歳女性の日々 映画「かづゑ的」宮崎かづゑさんの思い

岡山県瀬戸内市にある、国立ハンセン病療養所・長島愛生園で暮らす女性の日々を描いたドキュメンタリー映画が制作されました。

今年で96歳を迎えた宮崎かづゑさん。2月26日に開かれた試写会で「弱い足と身体で砂漠の中を歩いてきました」「一生懸命生きようとするんです」と半生を振り返りました。

長島愛生園で過ごした80年「患者は絶望なんかしていない」

(映画より)
「患者は絶望なんかしていない、ということを残したいんです」

宮崎かづゑさんです。ハンセン病を発症し、10歳のときに入所した瀬戸内市の長島愛生園で80年暮らしています。その半生を追ったのが、映画「かづゑ的」です。

2月26日、愛生園で関係者向けの特別試写会が開かれ、宮崎かづゑさんも登壇しました。

(熊谷博子監督)
「自分が映画の主人公になると思ったときにどう思いましたか」

(宮崎かづゑさん)
「なんの感情もありませんし、できた映画に関して大変無関心でして。日常が大変いい感じなので、それ以外はあまり…」

病気の影響で、19歳のときに足を切断した宮崎さん。手の指もありません。視力もほとんど残っていないといいますが、夫の孝行さんのために買い物や料理をし、80才を目前にパソコンを覚えて文章を書くようにもなりました。

そんな宮崎さんの生きる姿を、熊谷博子監督が8年間追いかけました。

(熊谷博子監督)
「『できるんよ、やろうと思えば』は、本当にかづゑさんの口癖で。そういう生きる力あきらめない力、できるんよってことをわかっていただきたい」

「どうしても生まれ変わりなさいといわれたら、あの時代の、あの村に生まれたい」

愛生園で、夫や友人たちと暮らした日々を振り返り「孤独ではない」と語る宮崎さん。それでも宮崎さんが80才を過ぎて出した本には、故郷を思う気持ちがこのように綴られています。

「私は絶対に生まれ変わりたくありませんが、もし、どうしても生まれ変わりなさいといわれたら、あの時代の、あの村に生まれたいです」

「私の両親、祖父母」

故郷の母親の墓を初めて訪れた宮崎さんの姿が、映画に描かれています。

(映画より)
「母ちゃんな、もうすぐ帰ってくるから待っとってな」

(宮崎かづゑさん)
「砂漠を歩いてきました。弱い足で、弱い体で」

「はかり知れないハンセンの病気の恐ろしさと、それに耐えていく。一生懸命生きようとするんです、みんな」

「楽しかったです、嬉しかったです。これをいっぱい花束のように胸に抱いて、納骨堂へ参ります」

映画「かづゑ的」は、3月2日から全国で順次公開され、岡山市のシネマ・クレールでは3月15日から上映されます。

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