国史跡「結城廃寺跡」 経蔵と鐘楼跡を特定 3日に現地説明会

経蔵跡と推定された発掘現場=結城市上山川

茨城県結城市教育委員会は1日、国史跡「結城廃寺跡」(同市矢畑・上山川)の発掘調査で、経典を納める経蔵(きょうぞう)と、釣り鐘がある鐘楼(しょうろう)の跡とみられていた遺構について、それぞれの建物の外郭部分を特定したと発表した。いずれも南北に長く、寺の東西に分かれて左右対称に配置されている。市教委は「(奈良時代の)寺院の特徴と一致している。経蔵と鐘楼と推定できる」と結論付けた。

これまで結城廃寺では、仏像を納めた金堂跡やお経を唱えた講堂跡、僧侶の宿舎となった僧坊跡といった「七堂伽藍(がらん)」と呼ばれる建物が確認されている。

新たに経蔵、鐘楼の跡と推定された遺構は、地盤改良の痕跡から外郭を割り出した。いずれも南北約11メートル、東西約8メートルと推測。周辺から多数の瓦が出土したため、2階建ての瓦ぶきだった可能性がある。瓦ぶきの建物の加重に耐えられるよう、地盤改良を施したとみられている。

経蔵と鐘楼は、奈良県の法隆寺など畿内の寺院に多く見られ、東日本では珍しいという。市教委生涯学習課の齊藤達也主幹(33)は、今回の成果を踏まえ「仏教が畿内から東日本に伝わったことを示す重要な寺と言える」と強調。発掘調査では新たに僧坊の外郭を確認できたとし、今後の寺の僧侶数の分析にも期待を示した。

市教委は3日の午前10時半からと午後1時半からの2回、一般向けの説明会を現地で開く。

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