坂本冬美の『モゴモゴ交友録』神野美伽さんーー「坂本冬美という歌手は怖い存在だった」と打ち明けられ

坂本冬美、神野美伽

学年ではひとつ、年齢はひとつ半上のお姉さん、美伽さんに初めてお会いしたのは、まだわたしがプロになる前、日本レコード商業組合関西支部主催のカラオケ大会でした。

年齢が近くて、勝手に親近感を抱いていたわたしの前に、ゲストとして颯爽(さっそう)と登場した美伽さんは、ジーンズに毛皮というゴージャスな出で立ちです。そのお姿を見た瞬間、わたしの口はぽかんと開いたまま、閉じるのを忘れたほどです。

ーーこ、こ、これが、スターなんだ……。

ただただ、圧倒されっぱなしでした。しかもです。デビューした後、ご挨拶に伺っても、きちんと挨拶は返してくださるんですが、なかなか会話が続きません。見えない線が引いてあり、侵入禁止のランプが点(とも)ったままなのです。

その分厚く、高い壁が崩壊したのは、わたしが休業を発表した直後のことでした。

テレビでご一緒させていただいたとき、わたしのほうから「素敵なお着物ですね」と声をかけさせていただくと、美伽さんも「あら、冬美ちゃんのも素敵よ」と、笑顔で返してくださって。しかもその直後、いたずらを思いついた子供のように目を煌(きら)めかせ、「チェンジしようか」と、おっしゃったからびっくりです。

後日、美伽さんの事務所にお邪魔して着物を交換。そこで、初めて美伽さんとじっくりとお話をさせていただいたのですが……。

「(休業に)どんな事情があるのかはわからないけど」と前置きした後、でもねと、真正面からわたしを見つめ、「坂本冬美というのは、お人形ケースに入れておきたいくらい、理想的な演歌歌手の道を歩いてきた人なのよ」と、真摯に語りかけてくださいました。

当時のわたしは、その言葉の意味がよく理解できず、「はぁ」とか「そうなんですかね」とか、あやふやなお返事しかできませんでしたが、今なら美伽さんのおっしゃった言葉の意味がよくわかります。

自分一人の力じゃない。まわりの力があったから、ここまでやってくることができたんです。そう、わたしは本当に恵まれていたんです。

そんなわたしを見て、男歌を歌う先輩として一歩も二歩も先を走っていた美伽さんは、「坂本冬美という歌手は怖い存在だった」と打ち明けてくださいました。「だから、なるべく近づかないようにしていたのよ」と。

そうか、嫌われていたわけじゃないんだ。それどころか、わたしをきちんと見ていてくださったんだと思うと、嬉しくて、思わず涙が込み上げてきました。

休業でたくさんの方にご迷惑をおかけしましたが、悪いことだけではありません。二葉百合子先生との出会いもそうですし、美伽さんと親しくなれたのも、休業があったからこそです。

少林寺拳法二段、小型船舶操縦免許1級、ハングル能力検定3級、花柳流名取、書道二段……360度アンテナを張りめぐらし、興味があることにはまっすぐに突き進んでいく美伽さんは、才能の塊であり、努力の人でもあります。

国内のロックフェスはもちろん、アメリカ最大級の音楽コンベンションSXSW18にも出演。着物姿で演歌を歌うというスタイルをアメリカに持ち込んだのも美伽さんですし、グラミー賞を10回受賞したトランスファーのジャニス・シーゲルをはじめ、いろいろなジャンルの方とコラボしたり……ジャンルを超えて挑戦し続けてこられた美伽さんには、リスペクトしかありません。

少しは見習わなきゃ……と思ってはいるのですが、これが、なかなか、どうして、長続きしないところが、わたしのダメなところですね。モゴモゴモゴ(苦笑)。

写真・中村 功
取材&文・工藤 晋

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