興行成績不振、内容に対して厳しい批判の声も 『マダム・ウェブ』の長所と短所を検証

マーベル・コミックスのコミック作品で、未来予知などの超常的な能力を駆使し、スパイダーマンの活躍を指導者として助けてきたヒーロー、マダム・ウェブ。そんな彼女の若かりし日の物語を、ソニー・ピクチャーズ、コロンビア・ピクチャーズによる、「スパイダーマン」のシェア・ユニバース映画シリーズ「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)」の枠のなかで実写映画化したのが、『マダム・ウェブ』だ。

本作『マダム・ウェブ』は、『ヴェノム』(2018年)、『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021年)、『モービウス』(2022年)に続く「SSU」最新作として注目され、今後もこの映画から新しい物語が生まれていくという期待が高まる内容となった。だがその一方で、近年のヒーロー映画としては本国の興行成績が芳しくなく、日本での公開前からかなり厳しい批判の声も聞かれることとなったタイトルではある。ここでは、その内容を振り返りながら、あらためて作品自体の出来がどうだったのを考えてみたい。

舞台となるのは2000年代。本作の描写から、おそらく今後「SSU」が設定していくだろう、「スパイダーマン」ことピーター・パーカーが、ちょうど生まれるあたりの年代だと考えられる。セクシー路線に移行して人気を集めていたブリトニー・スピアーズのヒット曲「Toxic」が劇中で流れるのが印象的だ。

この「Toxic」のミュージックビデオでは、ブリトニーが妖しくセクシーなヒーローのような姿で、男性を誘惑し毒を飲ませた後、高層階から夜の街へとダイブするといった展開を観ることができる。そのイメージが、本作の幻想的なスパイダーウーマンの戦いに反映しているのではないかと思われる。ちなみに「Toxic」は、『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)において、やはり不誠実な男性たちへの復讐の曲として機能しているように、本作もまた社会的な女性の地位を高める方向で、連帯する意志を感じられるところがある。

この殺される男性の側に立つのが、本作の悪役エゼキエル・シムズ(タハール・ラヒム)だ。彼はスパイダーマンと同様の力を持つキャラクターであり、おそらくはその能力の一端である「スパイダー・センス(危機察知の感覚)」が見せる、自分が女性のスパイダー・ヒーローたちに殺害されるといった内容の予知夢を毎晩のように見ることに悩まされている。そんな来るべき未来を阻止するため、エゼキエルは3人の殺戮者をあらかじめ探し出し、逆に始末しようとするのだ。

まだ少女である彼女たちを魔の手から守ろうとするのは、エゼキエルに因縁のある女性キャシー・ウェブ(ダコタ・ジョンソン)である。彼女もまた蜘蛛によってもたらされた能力を持っているが、それはスパイダーマンやエゼキエルのような、壁に張り付いたりといった戦闘向きのものというわけではなく、より未来の予知に特化している力だ。

本作の主人公は、そんな“動”よりも“静”の能力を持つキャシーであるため、アクション作品としての魅力は抑えめであるといえる。それでは、特化された未来予知の能力が効果的に表現されているかといえば、そちらも「ループもの」のような既視感のある演出が多く、本作独自の工夫が凝らされているとは言い難い。ミステリーやサスペンスとして鑑賞したとしても、奥行きにも欠ける印象だ。

とはいえクライマックスでは、過去に映画作品で複数のスパイダーマンたちが悩まされ打ちひしがれてきた、“どちらを選択するか”という問題を解決する、驚くべき能力を発揮し、大事な存在を助け出すシーンがある。『スパイダーマン』の過去シリーズを観てきた観客にとっては、感動的な瞬間である。また、キャシーが能力によって、亡くなった母親の真意を理解する場面も涙を誘う。

そして何より本作は、シドニー・スウィーニー、イザベラ・メルセド、セレステ・オコナーが演じる少女たちと、キャシーとの交流やガールズトークが、最も楽しい部分だ。まさに、ここが楽しめるかどうかが、鑑賞者の全体の評価にかかわってくるのではないか。

アメリカの批評サイト「Rotten Tomatoes(ロッテントマト)」を確認すると、現時点において批評家の評価のスコアが低いのは確かだが、一般のオーディエンスによるスコアはそれほど低くはない。これは、批評家が往々にして多角的な要素から映画の価値を考えていくのに対して、一般の観客は純粋に楽しめたかどうかで判断する傾向にあるからだと考えられる。つまり、キャラクターの魅力や、やり取りの面白さなどの面では、本作はそれなりに観客を楽しませているといえるのだ。

そして、じつはこのような評価は、これまでの「SSU」全てに当てはまっているといえる。筆者は、過去の『ヴェノム』2作において、この批評家とオーディエンスの反応の乖離について、「Rotten Tomatoes」のスコアを基に論じている。

『マダム・ウェブ』が、『ヴェノム』や『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』、『モービウス』に比べ、現時点でややオーディエンスのスコアが低いのは確かではあるが、おしなべて「SSU」の作品は、こういったものだということもまた、確かなのだ。それはこれらの作品が、ストーリーやアクションの革新性というよりは、やはりキャラクターや関係性の魅力を何よりも優先してきたということを意味している。そういう考えでいけば、本作は良くも悪くも、典型的な「SSU」作品であるということなのだ。

また興行成績の面では、これまで飛ぶ鳥を落とすような勢いを誇ってきたアメコミヒーロー映画全体の興行面での失速も考慮に入れるべきだろう。これには、ディズニーおよびマーベル・スタジオがドラマシリーズに力を入れたことで、アメコミヒーローを題材にした大作の数が増えてきたことにも原因がありそうだ。観客はマダム・ウェブのような能力を持っていないため、時間に余裕がなければヒーロー作品を網羅することは難しくなってきている。

確かに本作は内容の面で、展開が強引に感じられ、演出面で目を見張るようなところも多くはない。しかし、『ヴェノム』シリーズや『モービウス』にも共通している欠点を持つ『マダム・ウェブ』は、とくに批判の的にさらされ、極端とも思える激烈な意見がぶつけられていると感じられる。

『スター・ウォーズ』続三部作や、『ゴーストバスターズ』(2016年)、『キャプテン・マーベル』(2018年)など、女性を主人公にした娯楽大作がSNSや評価サイトなどで、度を超えて暴力的な声にさらされた事実があるように、そこに鑑賞者の女性差別的な見方が影響しているのだとすれば、非常に残念なことだ。ちなみに、このような嫌がらせや、女性ヒーローへの偏見を題材としたMCUドラマシリーズに『シー・ハルク:ザ・アトーニー』がある。

もちろん、興行や批評、世間一般のイメージをかたちづくるものには、他にもさまざまな要因がある。その全体像というのは、これ以降のDCスタジオ作品やマーベル・スタジオ作品も含め、アメコミヒーロー大作、一作一作にどのような反響があるかによって、より明確化していくことになるのだろう。

そう考えれば、マダム・ウェブはじめ、本作に登場した女性のスパイダーヒーローたちが、今後活躍を続け、特大ヒットや高評価を叩き出すようなことがあれば、本作の価値が一気に上がることもあり得るはずである。本作『マダム・ウェブ』で描かれた、キャシーや未来のスパイダーヒーローたちが心を通わせ、互いに互いを必要とする存在になっていく過程は、そのときにより感慨深いものになるはずだからである。

(文=小野寺系)

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