馬と猿の関係

みなさんは、神社などで馬とともに猿が描かれている絵馬を見たことがあるでしょうか?実は、日本では古来より「猿は馬を守ってくれる」という信仰があります。今回の記事では、こうした猿と馬の関係についてまとめました。

猿は馬の守り神

古来からの信仰にはさまざまな由来がありますが、そもそもなぜ猿が「馬を守ってくれる」存在となったのでしょうか?由来として挙げられることの多い「五行説」と馬の関連や、中国の伝説について紹介します。

五行説と馬

五行説(ごぎょうせつ)とは中国で生まれた思想で、とても簡単にいうと「全てのものは木・火・土・金・水の5つの性質に分類できる」というものです。また、五行に「それぞれ生(はじまり)・旺(さかえる)・墓(おとろえる)の循環がある」という三合という思想を組み合わせることもあります。

五行・三合の組み合わせを馬・猿に当てはめると、馬は「旺火」で猿は「生水」に分類されます。相反するものなので一見相性が悪そうですが、一説には「盛んすぎる火の勢いを湧き出た水が制御してくれる」と解釈できるそうです。

中国の伝説から

馬は背の長さ・歯槽間縁の存在・足の速さ・頭の良さなどから「まるで人間が騎乗するために作られたかのよう」といわれることも多い動物です。しかし、中国では神が人間と馬を出会わせたものの、折り合いが悪く猿が間を取り持つという伝説があるのだとか。

そのほか、中国の民間伝承には避馬瘟(ピーマーウェン)というものがあり、言葉そのものは「病から馬を避ける」という意味になります。これも猿が馬の病を避けてくれるとするもので、もともとはインドに端を発する信仰ではないかとする研究者が多いそうです。

このような猿と馬との関係から「猿は馬を守る」というイメージが大陸で形作られ、このイメージが仏教文化・思想とともに輸入された結果、日本でも猿は「馬の守り神」になったと考えられます。

余談ですが、西遊記に登場する「孫悟空」も三蔵法師と旅に出る前は、天界で馬の世話をする「弼馬温(ひつばおん)」という役職についていました。弼馬温を中国語で発音すると、避馬瘟と同じくピーマーウェンという発音になるようです。このことから、孫悟空が馬の世話を命じられたというエピソードの源流も避馬瘟信仰ではないかと考えられています。

神馬の手綱をひく猿

「猿が馬の守り神になる」という信仰の名残として、現在も各地の神社で「神馬(神様の馬)の手綱を猿が曳く」という構図の絵馬や像が残されています。神社で見られる像としては、こちらの2つが有名どころでしょうか。

・相模国一之宮 寒川神社(神奈川県高座郡寒川町)
・大杉神社境内 勝馬神社(茨城県敷島市阿波)

猿が馬の手綱を曳く「猿駒曳」と呼ばれる構図は、現在でこそあまりメジャーではないかもしれません。しかし、昔は神社で見られる像・絵馬だけでなく「縁起物」「お守り」としても人気があったようです。例えば、馬に関するものでは猿駒曳を描いた護符が馬の健康・安産守りとして寺社から授与されました。

また、人に関するものでは猿駒曳が描かれた絵銭もあります。絵銭とは貨幣のような形状の金属に縁起物・人気役者に関するモチーフなどを描いたもので、収集して楽しんだりお守りとして持ち歩いたりしたそうです。馬が描かれた「駒曳銭」という図柄も人気で、その中には猿駒曳も含まれます。

厩(うまや)の厄除けとされた猿

猿駒曳の護符が厩に貼られるなど、猿は馬を守ると同時に厩全体の厄除け・守護とされてきました。この信仰の源流に近いインドでは現在でも厩で猿を飼う地域があるそうですが、日本ではどのような形で残っているのでしょうか?

東北に残る厩の「猿」

日本の中でも人と馬のつながりが古民家の構造・年中行事などとして色濃く残っている地域の一つが東北です。その東北では、生きた猿を飼うのでなく猿の骨などを厩に置くことで厄除け・馬の健康祈願とする「厩猿(うまやさる、まやさる)」の痕跡が残っているといいます。

この風習は、もともとは厩で猿を飼っていたものが、猿の減少・生きたまま捕まえて慣らすことの難しさなどから次第に猿の骨を置くようになったものではないかと考えられています。

厩猿としておかれた猿の骨の中には削られた跡がみられることもあり、馬の薬として使用された可能性があるようです。ほかにも、福島県の相馬地方周辺には昭和初期まで「馬が病気で苦しんでいるときに鼻先で猿の毛を燃やすと症状が和らぐ」といった民間療法が残っていました。

日光の「三猿」

厩猿のように、生きた猿が難しい場合には「猿の一部を置く」ということが行われる一方で、さらに手軽な方法として広く受け入れられたのが前述の「護符」でした。しかし、そのほかに厩自体に猿の意匠を施すという事例があります。

有名な例としては日光の「三猿」が挙げられます。皆さんも、おそらく三猿(見ざる・聞かざる・喋らざる)といえばどのようなものかイメージできる方が多いのではないでしょうか。

三猿自体があまりに有名なため、その部分だけがピックアップされて「どこにあるのか実はよく知らない」という方も意外に多いもの。ですが、三猿は日光東照宮の神厩舎に施された彫刻です。

猿まわしと馬

ここまで猿と馬にまつわる信仰について解説してきました。最後に、この信仰に関連して「猿まわし」という芸のことをお話しします。

猿まわしとは、猿まわし師の口上・太鼓などに合わせて猿に芸をさせるものです。内容としては「日光猿軍団」のショーのようなイメージが近いでしょう。

現在では猿の曲芸といえば街頭で行われる「パフォーマンス」という色合いが強いですが、昔の日本では猿曳(さるひき)などと呼ばれる猿まわし師たちが「厩に対する祈祷を兼ねた芸」として家々を回ったと伝わっています。

こうして家々を回って芸を披露することを「門付け(かどつけ)」といって、かつての日本には猿まわしのほかにもさまざまな門付け芸が存在しました。しかし、こうした芸はひそかに農閑期の副収入として行われるほか、差別を受けてきた地域・集団の人々が生活のための伝統芸としてきたケースも多いのです。

そのため、門付け芸は人々の娯楽として楽しまれる一方で「その芸をできること自体で差別的に見られる」という可能性もあり、大々的には伝承されない時期・地域もあったと思われます。

そして、猿まわしも産業の変化・娯楽の増加・タブー視される差別問題などを背景として、明示~昭和にかけて一度日本からほぼ姿を消した芸の一つです。しかし、現在は「周防猿まわしの会」などの努力もあり、猿まわしの芸はよみがえりつつあるそうです。もしかすると、馬関連の行事に出演する猿たちに出会うチャンスがあるかもしれません。

まとめ

猿は動物の中では非常に人間に近い、いわば「動物と人の境界」を象徴するような存在。それゆえ、昔から猿には不思議な力があるとする信仰は多かったようですね。みなさんも、馬房まわり・乗馬グッズなどに猿をモチーフにした小物などを付けたら猿が愛馬を守ってくれるかも!?

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