アングル:シンガポールのAI活用、焦点は日常生活の問題解決に

Rina Chandran

[シンガポール 26日 トムソン・ロイター財団] - シンガポールにある100カ所余りのコミュニティーセンター。そのうちのどこかでバドミントンをやろうと思えば、プレー以前に疲れはててしまう。コートの空きが見つかるまで、ウェブサイト上で何度も日時の入力を強いられるからだ。だが人工知能(AI)のおかげで、近々この作業も簡単になるかもしれない。

コミュニティーセンターを運営するシンガポール人民協会は、政府のテクノロジー担当部門と協力し、空きコートの検索を支援する生成AIによるチャットボットを構築した。シンガポールの公用語4つはどれも利用できる。

まもなく導入可能となる「予約チャットボット」は、「AIトレイルブレイザー(先駆者)」プロジェクトのたまものだ。同プロジェクトは昨年、日常的な問題に対するAIベースのソリューションを生み出す目的で発足した。

シンガポール政府機関とグーグルによる支援のもと、「AIトレイルブレイザー」は、求職者の履歴書チェック、カスタマイズされた教育カリキュラムの作成、顧客サービスセンターの通話記録の作成といったツールの開発という成果をもたらしている。

ジョセフィン・テオ情報通信相はこのプロジェクトについて、シンガポールのAI戦略の一環であり、規制よりも「万民のためのAI」に重点を置いている、と語る。

テオ情報通信相は先月、いくつかの新ツールのデモが披露されたグーグル・シンガポールのオフィスで、「優れたガバナンスのためには規制が欠かせないが、AIに関しては、活動の支援につながるしっかりしたインフラの確立が必要だ」と語った。

さらに「もう1つ非常に重要な側面は能力構築」だとし、「国民にこうしたツールを使ってもらうだけでなく、AIツールをうまく使えるようにスキルを高める機会を提供することだ」と述べた。

生成AIの利用が世界中で爆発的に拡大する中、各国政府が急いでいるのは、技術革新や潜在的な経済的メリットを損なわずに、選挙におけるデマの拡散からディープフェイクに至るまでAI利用の弊害を抑制することだ。

シンガポールのデジタル戦略を監督する情報通信メディア開発庁(IMDA)のデニース・ウォン副長官補は、公共部門や産業界へのAI導入と、研究、スキル、協働を支援する環境構築に重点を置いていると述べた。

ウォン氏はトムソン・ロイター財団の取材に対し、「規制が主眼ではない。人々が自信を持ってAIを活用するためには、信頼のおけるエコシステムが不可欠だと考えている」と語った。

「つまり、企業にとって使いやすく、技術革新の余地があり、安全かつ責任ある方法でAIを展開できるエコシステムが必要だ。それが結局は信頼醸成につながる」と指摘した。

<責任あるAI活用>

シンガポールは安定したビジネス環境を背景に、技術革新に関するグローバル指数では常に首位に迫っており、昨年は制度や人材、インフラの面で世界5位にまで上昇した。

AIの導入についても先行しており、2019年には最初の国家AI戦略を発表し、個人・企業・コミュニティーが「自信と優れた判断力、信頼性を持って」AIを活用するという目標を掲げた。

昨年には裁判所における生成AIツールの実験を開始。生成AIは学校や政府機関でも使われており、昨年12月には第2の国家AI戦略を発表し、「シンガポールと世界の公益に資するAI」という目標を掲げた。

また昨年には、責任ある活用のための検証ツールと製品試験の場である生成AIサンドボックス(外部から切り離された実験環境)を開発するため、「AI検証財団」も設立した。IMDAは、IBMやマイクロソフト、グーグル、セールスフォースといったIT企業とともに同財団の中心メンバーとなっている。

ウォン氏は、このツールキットはコード共有プラットフォーム「ギットハブ」上に置かれ、国内外数十社が興味を示していると明らかにした。

「このツールキットがあれば、利用者はジェンダー表現や文化表象など気になるパラメーターに基づいて試験を実施できるようになり、希望通りの成果へと導かれることになる」と同氏は続けた。

IMDAによれば、IT大手の華為技術(ファーウェイ)がこのツールキットで行った試験ではデータに含まれる人種バイアスが明確になり、UBSによる試験では、データ内のある属性がモデルの公正性に影響を与えるという注意喚起につながったという。

「誰もが責任を持ってAIを活用できるようにしたいが、各国政府の力だけではそれは無理だ」とウォン氏は言う。

<目指すは「ゴルディロックス」規制>

経済協力開発機構(OECD)によれば、世界全体では169カ国が1600以上のAI政策・戦略を策定している。

シンガポール政府によるプログラムの主軸である「AIシンガポール」でシニアディレクターを務めるサイモン・チェスターマン氏は、米国が規制を最小限にとどめた市場ベースのモデルを選択する一方で、欧州は人権重視のアプローチ、中国は国家主権と安全保障を優先していると説明する。

だが、シンガポールは別の道を選んだ。

「シンガポールのように国土が狭い国では、過小規制と過大規制の双方をいかにして避けるかが課題だ。市民をリスクにさらしてもいけないし、イノベーションを他国に譲ってチャンスを逃すのもまずい」とチェスターマン氏は語る。

チェスターマン氏は、「こうしたゴルディロックス(適温)規制という発想だけでなく、産業界との連携に対しても実に意欲的だ。AIに伴う問題を予防する最前線では常に業界標準と選択肢が重要になるからだ」と言う。

東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国は今月、AIを巡るガバナンスと倫理に関する指針を発表した。透明性、公正、公平、説明責任、誠実性、そして「人間中心主義」といった原理がうたわれている。

ただしシンガポール、カンボジア、ミャンマーといったASEAN加盟国は、顔認識や群衆行動解析システム、警備ロボットなどにより、監視強化のためにAIを利用しているという批判を浴びている。

テオ情報通信相によれば、シンガポールでは今年、「AIトレイルブレイザー」の第2陣となるプロジェクトが始まる。日常の課題解決に向けた生成AIソシューションの構築に向けて、新たに最大で150の組織に対して支援を提供する。

豪グリフィス大学の研究者、オースマ・バーノット氏は、こうした産・学・官による協力はテクノロジーの進歩を加速する一方で、リスクもはらんでいる、と警告する。

バーノット氏は「中長期的に、こうした企業に過剰に依存してしまう恐れがある」と指摘。「課題は、死活的に重要なAIインフラに関して、(企業との)提携と国家主権によるコントロールのバランスをとることだ」

「AIトレイルブレイザー」のイベントでは人民協会の予約チャットボットを主題とするショートフィルムが上映され、興奮のざわめきが広がった。

バドミントンコートの予約は2022年に14万件を超えた。国家AI局のディレクター、ウェン・ワンイー氏は、そうした予約が簡単になるようなツールは歓迎されると語った。

(翻訳:エァクレーレン)

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