堰を見守ったおばあさんと、蛇と水。練馬区桜台に伝わる「堰ばあさん」【週末民話研究】

東京都練馬区桜台6丁目あたりは、かつて糀屋(こうじや)と呼ばれた地域でした。

石神井川の流れるこの地には「おばあさんが蛇になり、蛇神として祀られ続けた」という伝承が残ります。

今回は、この場所で「堰(せき)ばあさん」と呼ばれ祀られていた存在について調べていきます。

堰ばあさんとは。

その昔、石神井川沿いの糀屋という地域に住む村人たちが、田畑に水を引くために堰(せき・水をせきとめるダム以外の施設のことを指す)を作りました。

そして長い間この堰の番をしていたおばあさんのことを、村人たちは「堰ばあさん」と呼んで慕っていたといいます。

しかしある時、堰ばあさんは姿を見せなくなります。心配した村人が小屋をのぞくと、そこいたのは大きな蛇。

「堰ばあさんは実は蛇神の化身だったのだ」と考えた村人たちは、皆で相談して堰のかたわらに祠をたて、堰守の神として花や線香を欠かさず供え続けました。

ここにお参りをすると咳が治ると言われ、近隣からも良く人が参詣に来ていたそうです。帰りには石神井川の水を汲んで持ちかえり子どもに飲ませていたという話も伝わっていますが、現在はその祠もなくなっています。

フィールドワーク①石神井川沿いを散策する

地下鉄有楽町線氷川台駅からスタート。石神井川沿いを豊島園方面に歩いていきましょう。

調べていると、今回の「堰ばあさん」の民話以外にも、この地域にはなんだか蛇にまつわる伝承がちらほらと確認できました。

練馬区桜台6丁目には「高稲荷神社」という神社があります。

この高稲荷神社は高台にあって、昔その崖の下にあった沼には大蛇が住んでいたという言い伝えがあるそう。

また、練馬村の若者がその大蛇にひきこまれ、沼の中に入っていってしまったという話もあります。

川沿いには散歩をする地元住民の方々や、走るランナーの方がちらほら。引き続き石神井川に沿って歩いていきます。

堰ばあさんの話に出てくる「堰」について、見慣れない単語なので少し調べてみました。

堰は「水をせきとめるダム以外の施設のこと」だそうですが、用途や形態によりいくつか分類があるそう。

堰ばあさんの話に出てくる農業のための灌漑用水(かんがいようすい)としての堰は「取水堰」と呼ばれます。

フィールドワーク②堰ばあさんの祠跡

堰ばあさんの祠跡は、高稲荷橋のすぐそばにありました。

1949(昭和24)年に祠を新しく建てかえ供養したという情報がありますが、現在は祠はなく、祠の跡地としてモニュメントが建てられています。

蛇は水と関わりが深く、ネズミを食べることから、穀物を守る神、転じて田の神として信仰されてきました。

日本各地には、「蛇が出てきた穴から水が湧き出して、蛇が這って行ったところが川になった」といった話や、「枕元に置いていた帯が蛇になった」など、蛇にまつわる不思議な伝承が多くみられます。

古くから蛇を神として祀る「蛇神信仰」もあり、一説によると、出雲神社の主祭神であるオオクニヌシ、海神の娘で竜宮に住むとされるトヨタマヒメ、諏訪神社の祭神であるタケミナカタも蛇神であったとされています。

堰ばあさんの蛇のレリーフが埋め込まれている

信仰の対象としての蛇と同時に、日本の昔話には恐るべき存在としての蛇がよく登場するのも興味深いポイントです。

『古事記』に出てくる有名なヤマタノオロチなどがそうで、古来の日本人の持つ蛇を畏怖する感情から生まれた存在であると言えるでしょう。

調査を終えて

蛇にまつわる民話・伝承を調べていくうちに、「堰ばあさん」の話はわりと珍しいタイプなのではないかと感じました。

今回の調査の範囲では「蛇神が人の姿をして生活していた」という民話や伝承はほぼなく、蛇(神)そのものが祟りを起こしたり、水神として祀られていたりといったケースが多かったのです。

かつての糀屋の周辺住民に慕われ、農業に欠かすことができなかった堰を見守り、本来の姿に戻ってもここで祀られ続けたその存在が何者だったのか、今となってはわかりません。

しかし、祠なき後も現代までひっそりと語り継がれている堰ばあさんは、なんとなく優しい顔をしているように思えるのでした。

取材・文・撮影=望月柚花

【参考サイト】

・練馬区総務部情報公開課「練馬わがまち資料館」
https://www.nerima-archives.jp/

・国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB3/

望月柚花
ライター・フォトグラファー
1993年生まれのライター兼フォトグラファー。高校中退から数年間のひきこもり、アルバイト、副業ライターを経て、2020年よりフリーランスライターとして活動。趣味は読書と散歩、深夜のラーメン。

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