GACKT 15回目の「卒業式ライブ」現場撮!「ボクがやり続ける本当の理由」を初自白

3月2日、GACKT(50)が、まだ雪の残る長野県佐久市私立佐久長聖高校の卒業式にサプライズで登場した。

卒業式の終盤、校長先生が3年生の生徒たち337名へ「最後にサプライズを用意しました。きっとみなさん喜んでもらえると思います」と語りかけると、卒業生から大きなざわめきが。会場の後ろの扉が開き、登場したのはGACKTとアーティスト・K(40)だった。

大いに沸く式場で、『野に咲く花のように』をKのピアノとコーラスとともに力強く歌い終えたGACKTは、生徒たちに力強く語りかけた。

【夢は見るものじゃない、夢は叶えるもの。 そして夢を叶えること、それは決して諦めず強い意志を最後までつらぬくこと。 キミたちの未来に期待します。卒業おめでとう】

彼が06年から始めた「卒業式ライブ」は今回で15回目。“ライフワーク”となっていたが、20年はコロナ禍で中止。22年は活動休止中のため断念せざるを得なかったが、昨年から復活していた。

GACKTが「卒業式ライブ」を続けている理由とは――。発売中の彼の自伝『自白II』に、その答えが書かれていた。一部を編集して特別公開する。

《2006年から全国各地で[卒業式ライブ]を行っている。『これから夢に向かって歩き出す学生たちの背中を押すことが少しでもできるなら』という想いで、毎年3月、中学校や高校の卒業式にサプライズで登場し彼らの門出を祝うものだ。

卒業式イベントの数年後に、その学校の卒業生と何回か偶然出会ったことがある。新しく立ち上げた会社の集まりに出席した時に、「自分の高校の卒業式でGACKTさんが来てくれて、とにかく頑張ろうと思ってここまで頑張りました!」と言われればやはり嬉しいものだ。ラジオ局で会ったこともあった。ラジオ番組のゲストに来ていた会社の社長で、「実はあの時、生徒でいました。あの時に勇気をいただきました!」と言葉を届けてくれた。ボクが背中を押したきっかけは小さいことかもしれないが、その彼らが前に進んで一つの結果を出している。意味があったことを再認識できる。それは本当に嬉しいことだ。彼らは頑張ったんだなと。

[卒業式ライブ]は、ボクがやりたいからやっている。2011年の東日本大震災を受けて一つの考え方が変わった。ボランティアをやったことで一部のゴシップ誌から酷く叩かれた。挙句の果てには、[集めた金を盗んだ]とまで言われる始末だ。翌年には当時所属していた事務所にマルサが入った。その時にはすでにボクとの契約は切れていたものの、当時の新聞や週刊誌の見出しは[GACKT脱税]と出た。もちろん、ボクと脱税はまったく関係ない。だが、その会社の反面調査でボクの自宅にも家宅捜索が入った。「調べるなら全部調べてくれて構わない。必要な書類があるなら全部出す」と協力もした。だが、「世の中の一部のゴシップ誌に[GACKT脱税]と書かれるのは困る」と伝えた。ボクが「今の状況をブログに出したい」と言ったがそれは捜査妨害になるからダメだと。

実はこの一件で、その時すでに決まっていたハリウッド映画の出演からCMの話もすべて飛んだ。マジで勘弁してほしかった。しかも、[現事務所]ではなく[元事務所]なわけだ。だがゴシップ誌は面白く[GACKT脱税]と書き散らした。[ボランティアをやった時の募金で集めたカネを横領した!]とまで書く始末。だが、そもそもその現金にも触っていないボクに横領する手段もない。集めたカネをボクらは一切触らず、別の通信会社が一時預かりを引き受けてくれた。だが、今度は[怪しい韓国系の企業にカネを流した!]と書く始末。その企業はLINEだ。日本人のほとんどが使っているLINEの会社だ。叩きようにも程がある。

その当時、仲間の一人から言われた。「世の中の暇な人たちってのは、人の汗のかき方に文句を言う。自分では行動は何一つしないのに、人の行動、汗のかき方に文句を言うだけ」と。『なるほどな…』と理解はしたが、その言葉だけで起きたすべての出来事を払拭できるまでには至らなかった》

■善意とは、その瞬間だけのことではなく、その後に起こるリスクも含めて覚悟すること。

《その後も被災地の各地の様子を定期的に見に行った。定期的に被災地に行って、募金活動や支援活動などを共にやっていた新潟の仲間の一人と合流した。彼もまた、ずっと時間を見つけては被災地で活動を続けていた。そんな彼に「ボクらは個人でたくさんのカネを出し、被災地に大量の物資も運んだ。でも、あそこまで叩かれて、なぜ、まだボランティア活動を続けられるのか?」と話をした。

彼はボクのことを兄さんと呼ぶ。そんな彼が答えた。「兄さん、オレはやりたいからやってるんだよ。誰かに褒められたくてやってるんじゃない。オレはこうやってる自分がカッコいいと思ってんだよ」と。「何もしない口だけの外野から、意味のわからない文句を言われることがあるけど、オレはこれをやってる自分をカッコいいと思っているからさ」と言われたとき、大きなハンマーで殴られたような衝撃を受けた。『そうだよな、やりたいからやったんだよな…』と。行動した自分自身を褒めてやれる自分がいる、それで助かった人がいる。『やりたいからやった、それで十分。それ以外の言葉は必要ない』と。

それ以降、ボクは自分のやったことに対し、常に一言で言うようになった。メディアというものは綺麗なストーリーを求めたがる。ボクらに熱く語ってもらいたいわけだ。だがボクはそういう[誰かを助けたい]のようなメディアが大好物の[お涙頂戴物語]を語ることはなくなった。世の中に綺麗事が必要なこともわかるが、ボクは一切それらの理由を熱く語らず、「自分のエゴでやっている」「やりたいからやっている」と言うようになった。卒業式ライブにも色んな理由はあるが、世の中に対してボクが発言するのはもうシンプルに「やりたいからやってる」「ボクのエゴでやっている」とだけ言うようになった。

2011年に、YFC【YELLOW FRIED CHICKENz】というバンドを組んで、ワールドツアーをしている最中のことだ。フランスのカフェでメンバーとボランティア活動について話したことがある。メンバーも当然にゴシップ誌からボクが散々叩かれていたことを知っていた。そのことを質問してきた。「あれは辛くないですか?しんどくないんですか?腹も立つし、苦しくないんですか?」と。

すでにボクは、完全にそれらの葛藤を自分の中で解決できていた。逆に彼らに質問をした。「もし車の運転をしていて、目の前に車線変更ができない中年女性が運転して走っていたら、どうする?」と。全員「スピード落として入れてあげる」と答えた。「なんで?」と聞くと「善意」「かわいそうだから」と。話を続けた。「だが、車線変更もできない人を前に入れるということは、その後に事故が起きる可能性もある。彼女を自分の前に入れた直後に彼女が急ブレーキをかけて、その女性の車にオマエの車が当たったとする。『アンタ、どこ見て運転してるのよ!』と怒鳴ってきたとしたら、その人を自分の前に入れた自分に後悔しないか?」と聞いた。

全員が「うーん」と考え始めた。「善意とは、その瞬間だけのことではなく、その後に起こるリスクも含めて覚悟すること。そのリスクも受け入れて初めて善意が成立する。ボランティアとはそういうもんだ。ボランティアをやっていると、世の中のどうでもいい何もしてないヤツらにまで色々と言われることもあれば、理解されないことも多々ある。ソイツらは一切動きもしないし、明らかに他人事という人間に限って人の汗のかき方に文句を言うんだ。こういう世の中の人間に対して腹を立てるならそんな善意はやめた方がいい」と。全員が口を閉ざした。

[善意]という言葉は非常に難しい言葉だ。善意でやっているならリスクを全部受け入れなければいけない。もちろん、善意を否定しているわけではない。SNSの発達により、善意でやったことが多くの顔を見せない輩に汚される世界になったことを認識しなければならない。そんな世界にボクらは生きている。だからこそ、「やりたいからやっている。ボクのエゴでやっている」とボクはそう答える》

15回目となった「卒業式ライブ」は、彼の固い信念に基づいていた――。

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