年端も行かぬ幼い子どもを性の対象とする「小児性愛」の問題は、性をタブー視する日本社会のなかでも特に忌避され社会的議論につながってこなかった。
しかし近年、ジャニー喜多川氏による男児への性加害が明らかになったほか、塾講師をはじめ教師やベビー(キッズ)シッターなど、子どもにとって身近な大人による加害行為も表面化してきた。
本連載では、小児性愛障害と診断され、子どもへの性加害を起こした者への治療に取り組む斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)が、治療やカウンセリングを通じ実感した加害者特有の「認知の歪み」について解説する。
今回は、子どもに性加害をしていた男性が当時書き残していた日記を引用し、その常軌を逸した「歪み」が発生する理由や背景を見ていく。(全5回)
※ この記事は、斉藤章佳氏による書籍『「小児性愛という病――それは、愛ではない』(ブックマン社)より一部抜粋・構成しています。
子どもへの性加害者の“おぞましい”主張
〈今日のXは最初からすごく積極的だった。「胸、大きくなったね」というと困ったような顔をしていたけど、あれは恥じらって見せて僕を誘っていたんだな。
触り始めると最初は身をよじっていたけど、僕にはわかる。触ってもらって気持ちよくなってきてるんだよね。でも、この関係が周りにバレてはいけないから、素直になれなかったのかな。〉(A 男性・32歳)
これは、塾講師という立場を利用し、小学校中学年~高学年の女子児童複数人に性加害をしていた男性の日記です。彼は加害行為をするたびに、どの子にどんなことをしたかを詳細にノートに書き留めていました。
ひとりの子の親が被害を訴えたことで、強制わいせつ罪の疑いで逮捕されました。ほか複数人の子に対する被害も確認されましたが、彼は勤め始めてから2年のあいだ頻繁に加害行為をくり返していたので、明るみに出ていない被害はまだたくさんあると思われます。
彼の綴(つづ)った言葉を読んで、多くの方がおぞましいと感じたはずです。そんなわけないだろう! と怒りに震える方もいるでしょう。その感覚は、正常だと思います。
彼がしていたのは、明らかに加害行為です。子どもに肉体的・精神的に後々まで残る多大なダメージを与えました。けれど彼が見ていたのは「子どもから求めてきた」「子どもはよろこんでいた」という光景。事実とは、正反対です。
被害児童は彼にされたことを苦痛や恐怖に感じていたことがわかっています。痛みに耐えて歯を食いしばり、恐怖で身体が硬直し、目には涙がにじむ……彼はそんな様相を見て「僕を誘っている」「感じている」「イッた(オーガズムに達した)」と興奮していたのです。
Aの認知と現実とのあいだには、埋めようのない齟齬(そご)があります。なぜこんなことが起きているのでしょうか。
クリニックで子どもへの性加害経験者からヒアリングしていると、これは性加害をする者なら誰もが持っている、特有の思考の歪みだと実感します。Aというひとりの男性だけに起きた特異な現象ではありません。
本人にとって都合のいい“認知の歪み”
こんなふうに語る者もいます。
〈私とYちゃんはつき合っていました。恋人同士だったんです。Yちゃんは16歳になったら私と結婚するつもりでいました。いえいえ、はっきり言葉にしなくてもわかりますって。愛し合っているなら当然のことでしょう?〉(B 男性・49歳)
12歳の女子児童と交際していると思い込み、性加害をした49歳男性のケースです。女子児童の側には、交際しているという認識はありません。怒ると声を荒らげるBが怖くて、いわれるがままになっていたのだとわかっています。
子どもが、ずっと年齢の離れた大人に好意や恋愛感情を抱くということは、ないわけではないでしょう。しかしそれに乗じて性行為をするのは、間違っています。12歳は性交同意ができる年齢ではないとされています。それが14歳や16歳ならいいという話ではなく、子どもの心身の成長や性についての理解度に見合わない性行為を大人が求めることは、あってはなりません。
事実、Yちゃんという女子児童は身体と精神のバランスを著しく崩しました。母親がその異変に気づき、原因を聞き出して加害行為が発覚し、事件化しました。彼女はようやく悪夢のような時間から解放されましたが、Bのなかでは「女子児童と相思相愛で、交際していた」という現実がいまでも続いています。
性加害をする者が、自分がしたことに対して子どもが見せる反応をどこまでも都合よく解釈する様子が、AやBのケースからわかります。
「子どもは黙って受け入れてくれていた」――みずからの加害行為を振り返り、そう主張する者は多いです。だから自分がしたことは暴力ではなかったという認識でいます。彼らのほとんどは、黙る=受容だと考えているのです。
レイプ被害者の70%が経験した“フリーズ”も…性加害者にとっては「受け入れてる」
子どもが加害行為中に抵抗しなかったのは受け入れていたからでは断じてなく、恐怖によって全身が凍りついて動けなかったから、という可能性が高いです。これを「フリーズ(凍りつき)」といいます。意識はあるけれど筋肉が硬直して身体が動かない、発声が抑制される、痛みを感じにくくなる……などといった状態です。
フリーズの概念は心理学や被害者支援の現場では広く知られていて、性別、年齢を問わず性暴力被害者に広く見られる現象だとわかっています。最近ではTonicimmobility(擬死反応、強直性不動状態)という言葉で表されることもあります。
スウェーデンで、レイプ被害女性のための救急クリニックを訪れた女性を対象に調査したところ、レイプ被害者の70%にこのフリーズが見られたことが明らかになりました。抗(あらが)うことができない、抗うと何をされるかわからない状況下で暴力に晒(さら)されたときに凍りつくのは、正常な反応だということです。
まして大人と子ども、全力で抵抗したところで体格の差も腕力の差も歴然としています。身体をこわばらせるのが精一杯なのに、それを受容と思われてしまうのはたいへん理不尽なことです。
そうした思い違いが起きる原因のひとつに、フリーズという現象がまだ世間一般に周知されていないことが挙げられます。
被害者に「なぜ逃げなかったの?」と聞かないワケ
性犯罪、特に強制性交等罪をめぐる裁判で、被告が「相手が抵抗しなかったので、受け入れていると判断した」「嫌がっているなんて思いもよらなかった」と主張するのはよくあることです。その主張が通って無罪となった例は、非常に残念なことに数えきれないほどあります。
被害者は「性交したくなかった」「性交に同意していなかった」けれども、恐怖で身体が動かなくなった……。しかしこれを証明するのは容易ではありません。明らかな暴行・脅迫がなくとも、加害者が被害者にとって逆らえない人物であれば何もしなくても抵抗を封じられます。ゆえに、被害者支援の現場では「なぜ逃げなかったの?」と聞くことはありません。それは逃げられないのが当たり前だからであり、問うこと自体が被害者の自責や、さらなる傷つきにつながるからです。
(第2回に続く)