加藤さんとの友情―華字メディア

1日、華字メディアの日本華僑報網は、日本人の友人との交流をつづった在日中国人のコラムを公開した。資料写真。

2024年3月1日、華字メディアの日本華僑報網は、埼玉県秩父在住の加藤さんとの気兼ねない交流をつづった在日中国人の手記を公開した。

手記によると、中国人の筆者と埼玉県の加藤さんとの交流が始まったのは、20年以上前の北京での酒席がきっかけだという。当時、加藤さんは埼玉県秩父郡両神村(現・小鹿野町)の村会議員を務めており、訪中議員団の一人としてたびたび訪中していたため、中国に親近感を持っていたという。筆者が日本に住むようになってからは、北宋(960~1127年)時代の詩人・蘇軾の詩の一節である「寧可食無肉,不可居無竹(肉を食べなくてもいいが、住居に竹がないのはいけない)」になぞらえて、加藤さんから家の周りに植える竹が送られたという。

その後も筆者と加藤さんの交流は続き、筆者の娘が子どもの頃は年末年始に家族で加藤さんの家で過ごしたという。加藤さんの家はもともと温泉旅館を経営しており、旅館はすでに廃業していたが、家の風呂にはまだ温泉が引いてあり、築200年以上の邸宅にはいまだに立派な看板が残っていたという。加藤家の母屋の前には大きな農具小屋があるほか、広大な稲田と柿の樹林があり、柿の実で作る大量の干し柿の見事さは東京から雑誌の取材があったほどだという。また、加藤さんの田んぼで実ったお米の袋が毎年100キロ以上筆者に送られてきて、自分でお米を買わなくても間に合ったほどだという。

加藤家での大みそかでは、お酒を1滴も飲まない加藤さんが酒好きの筆者へまるで従者のように杯を空にすることなくお酌をするため、筆者が不公平だと言うと、加藤さんは「これが適材適所だよ」といたずらっ子っぽい表情をしたという。食卓には加藤さんが先に注文しておいた豪華なおすしと筆者家族が作る出来立ての餃子が並び、加藤さんが訪中時に中国で入手したという「宝物」を見ながら思い出話を聞くのが恒例行事だったという。筆者の目から見て、加藤さんの宝物は二束三文の贋作や偽物のように見えたが、そのような品々に驚くほどの高額なお金を払って、少年のように無邪気に語る姿を見て、「加藤さんのような善人に楽しい自慢の記憶として残るなら、本物か偽物かは重要ではない」と思い、口には出さなかったという。

加藤さんからのお米は、3年前の新型コロナ流行の頃に加藤さん自身の老化による体調の変化で、袋詰めなどができなくなったことで終了したという。加藤さんはそれから介護施設に入ったため、筆者がお見舞いしたいと加藤さんの妻に連絡をしたところ、加藤さんが認知症を発症していることやお見舞いなどの手続きが厳しいとの理由で断られたという。筆者はこれまでの恩を感じながらも、自分たちが押しかけてかえって迷惑をかけてはいけないと遠慮したという。

筆者は加藤さんについて、「広大な土地を持つ家に生まれ、結婚や子育ても無事に終え、議員まで務めた彼の一生は幸運で円満だっただろう。そんな一生に悔いがあるとすれば、子どもたちが実家を離れてしまい、広大な土地や家屋を継がなかったことかもしれないが、加藤さんは生前、子どもたちに相続してほしいという自分の考えは古く、自分に合うと思う生活を選ぶのが一番良いと語っていた。開明的な考え方のできる人だった」と友人をしのんだ。(翻訳・編集/原邦之)

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