【ブギウギ】負の要素の捉え方は人それぞれ。善人揃いなのがブギウギ流か

「ブギウギ」第106回より(C)NHK

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。毎朝、スズ子に元気をもらえる作品「ブギウギ」で、より深く、朝ドラの世界へ!

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趣里主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)『ブギウギ』の第22週「あ〜しんど♩」が放送された。

仕事と家事に追われ、買い物かごを持ちあわただしくするスズ子の姿にヒントを得た羽鳥善一(草彅剛)の新たな“発明”、会心の作が送り出される。

「買い物ブギ」は、買い物の品々、買い物先での店員との掛け合いなどをブギのリズムと関西弁に乗せるという大胆な発想で、スズ子のモデル・笠置シヅ子の代表曲のひとつとなった。

この「買い物ブギ」誕生に至るまで、この週はスズ子の身辺にも大きな変化がみられた週でもあった。

タナケンこと棚橋(生瀬勝久)は、足の不調により入院生活を余儀なくされる。タナケンほどの“喜劇王”でも、一時的な離脱に怯える。それでも復活に燃える姿にショービジネスの厳しさ、尊さを再確認するスズ子は、「負けてられへん」と、自分も同じように輝き続ける、歌い続けるしかないと決意させるところは熱い演出だ。

愛助の母、トミ(小雪)も世を去る。死因は肺結核。そして、長年マネージャーとしてスズ子に連れ添ってきた山下(近藤芳正)が、トミの死を節目として、「心の糸が切れた」と、スズ子のもとから離れる決断をする。

「スズさんはこれからの人と仕事をすべき」と、自分の代わりとして置き土産のように預けていったのが、甥っ子タケシ(三浦僚太)。
「経験はあらへんけど、やる気はあります」

いや、それをスズ子に託すのはなんか違わないか。
甥が歌手志望だったりするのならともかく、マネージャーとしての基礎を鍛えるのは山下自身ではないだろうか。

史実としては、スズ子のモデル・笠置シヅ子のお金が持ち逃げされる事件が起こる。それを持ち逃げしたのが、「ブギウギ」の山下の位置にあたる、当のマネージャーだった。

優しく情に厚い、悪人のほとんど存在しないこのドラマの中でも“いいひと”度はさらに高く、地味に「ロス」を感じる視聴者も少なくないのではないかと思う。そんな山下に、持ち逃げという“汚れ”役での退場は似合わないかもしれない。

山下の代わりにやってきたタケシは稽古中に居眠りするなど仕事に身が入らない。歌や芝居に興味があるわけでもなく、やる気も口ばかりである。

まさかこのタケシが持ち逃げするのか、とも一瞬思ったりもしたが、燃えるものが見つからないだけのモラトリアム的な若者、自身を恥じてやりがいを見つける。結局タケシも「いいひと」だった。

「ブギウギ」第104回より(C)NHK

村山家のモデルである吉本興業創業者一族との確執も実際にはかなりドロドロしたものがあったとされるが、これもなんとなく「本当はいい人」「ずっと気にしていた」的な美談仕立てになっているところも、史実をある程度知っていると、人間関係がいい話の連続で進んでどこかぬるく感じてしまうのはいたしかたないのだろうか。

ついでに言うなら、戦後活躍した女性歌手としてその存在に触れずにはいられないだろう、美空ひばりの存在や関係性の描かれ方も、この先あまり期待できない気がする。さまざまなバランスもあるのだろうとは思う。それこそ「買い物ブギ」ではないが、ややこし、ややこしだ。

スズ子を大きく動かすための存在として、りつ子(菊地凛子)というあまりにも便利で説得力の強い存在がありすぎるのだろうか。大事な局面にはだいたいりつ子が出てきて、間接的に叱咤激励し成長していく。かつては時々愛助、そしてタナケンも、その役割を担わされている。

制作陣は、人間の暗黒面をリアルに描くのが苦手なのかもしれない。しかし、それら実際に存在したさまざまなことがあったからこそ、笠置シズ子という大歌手の凄みの説得力につながる気がするのだが、そのあたりは捉え方の違い、このぐらいの善人揃いのほうが見やすい作品としてちょうどいいということなのだろうか。

「次のヒット」を求められ、自分の敵は過去の自分となったスズ子のもとにやってきた「買い物ブギ」。そのステージ初披露パフォーマンスは、もちろん期待通りの華やかで見応えあるものとして今回も送り出された。

「スイングの女王」から「ブギの女王」へ、USK時代の歌劇の世界、そしてタナケン作品に参加したことで身についた映画女優としての表現力、そして自身のルーツであり今も日常会話で使う関西弁、それら福来スズ子ワールドのようなものが数分に凝縮された、スズ子の集大成のような名曲、それが「買い物ブギ」であることが、今週の最終日数分で存分に表現されていただけに、実際にあった負の要素をもう少しだけ美談で包み隠さずに伝えてくれていたら、その輝きをさらに増したものが見られたのではないかという気もしないではいられなかった。

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