「映画のタイトル」に著作権が無いってホント?『死霊のはらわた』『逃亡者』『Mr. ノーバディ』同じ邦題が乱立するワケを解説

『逃亡者』© 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

映画監督に著作権はない、ましてや映画タイトルには!

『メトロポリス』(1926年)、『M』(1931年)で知られるフリッツ・ラング監督にピーター・ボグダノヴィッチ監督がインタビューした、「映画監督に著作権はない」という名著がある。いうまでもなく、ラングにしてもボグダノヴィッチにしても、あるいはヒッチコックにしても黒澤明にしても、自分が監督した作品に対する著作権は持っていない。著作権者は映画を製作した会社であり、映画監督には創作者として著作人格権はあるものの、著作権はない。

実は、同様に、映画のタイトルについても著作権はない。そのため、複数の同一の“映画タイトル”が存在しうるのだが、今回はそんな観点で、いくつかの作品をご紹介したい。

『死霊のはらわた』のタイトルを拝借して『死霊のはらわたⅡ』を公開してもOK!?

筆者が日本ヘラルド映画で宣伝の仕事をしていたのはもう40年近く前だが、最初期に担当した作品のひとつに、1985年公開のサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』(1981年)がある。1970年代のヘラルドでは、『悪魔のはらわた』(1973年)、『悪魔のいけにえ』(1974年)、『悪魔の沼』(1977年)といったホラー映画を立て続けにヒットさせ、“悪魔シリーズ”のヘラルド映画を謳っていた。

『死霊のはらわた』はその路線の延長上の作品で、原題は『THE EVIL DEAD』というのだが、邦題はいかにもヘラルドのセンスで、結果的にスプラッター・ブームを巻き起こしてスマッシュ・ヒットした。だが、その3年後に同じライミ監督が『EVIL DEAD II』を作った時、日本配給権はライバル会社の松竹富士の手に渡り、『死霊のはらわたⅡ』として公開。われわれヘラルド宣伝部が知恵を絞って付けたタイトルが松竹富士にパクられたようで疑問を感じて、当時の宣伝部長に聞いてみたところ、「まあ、お互い様でもあるし、そもそも映画タイトルに著作権はないんだよ」と教えられた。

タイトルのように非常に短い表現を著作物として認めてしまうと、後世の人々にとって「あれもダメ、これもダメ」と同じような表現を用いることが出来なくなって表現の選択が大幅に制限されてしまい、結果として新たな創作活動に支障が生じる、との理由で映画のタイトルや楽曲、本のタイトルなどには著作権が認められていないのだ。

『逃亡者』は“誰が何から”逃亡する映画か?

※注意:物語の内容に触れています。

ヘラルドから独立してフリーの映画ジャーナリストとなった1993年に、ハリソン・フォード主演の『逃亡者』の完成披露試写を見に行った。

筆者の世代だと、『逃亡者』といえば1963年のアメリカの大ヒットテレビドラマのことで、デビッド・ジャンセン扮する医師リチャード・キンブルが、妻殺しの濡れ衣を着せられ、警察に追われる身となりながら真犯人を探す……というプロットで、最終話放送時にはアメリカでは視聴率50%の新記録を樹立、日本ではラジオドラマ『君の名は』(1952~1954年)以来、銭湯がガラ空きとなるなど、社会現象となったほどの人気番組だった。

ハリソン・フォード版はそのテレビ版のリメイクなので、真犯人は誰なのか、というのが映画のキモなのは明らかだったため、なるべく事前情報を仕入れずにまっさらな状態で試写を見始めたのだが、悲しいことにプロとして映画を観る筆者には、あの種の職業病のようなもので、映画が始まって5分もしないうちに真犯人が判ってしまった。

というのも、フォードと彼を追うFBIのトミー・リー・ジョーンズ以外、ほかに誰が出ているのか一切知らずに見始めたのに、冒頭にオランダの名優ジェローン・クラッベがチラッと出てきたのに気づいたのだ。彼が出ている以上、そんなに小さな役のはずはない、とそのキャスティングで真犯人が割れてしまった次第。

さて、本作の場合、テレビ版のリメイクだからタイトルが一緒でも当然と言えば当然なのだが、実は『逃亡者』という題名で公開された作品は、ほかにもフランスのジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の名作(1944年/日本公開:1950年)、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の名作(1947年/日本公開:1962年)、長門裕之主演の日活作品(1959年)、そして筆者がいた頃のヘラルドでも、マイケル・チミノ監督、ミッキー・ローク主演の『逃亡者』(1990年:原題『DESPERATE HOURS』)があったから話はややこしい。

チミノ版はウィリアム・ワイラー監督、ハンフリー・ボガート主演の名作『必死の逃亡者』(1955年)のリメイクだが、こうなってくると、俳優名を覚えていない人には“誰が何から逃亡する話か”で区別しなくてはならないかもしれない。

『追跡者』といったらバート・ランカスターじゃないの?

ハリソン・フォード版は大ヒットし、その後、渡辺謙主演のテレビドラマ『逃亡者』(2020年)にもなっているが、それよりも前、1998年にはスピンオフ作品としてトミー・リー・ジョーンズを主演とした『追跡者』(原題『U.S. Marshals』)が公開された。

こちらも悪くはない出来で、配役もほかにウェズリー・スナイブス、ロバート・ダウニー・Jr、ジョー・パントリアーノとなかなかよい役者が揃っていたものの、筆者にとっての『追跡者』とは、何といってもマイケル・ウィナー監督、バート・ランカスター主演の1970年の作品(原題:『LAWMAN』)のことだ。

法を曲げることを拒み、情け容赦なく悪党たちを逮捕し、逃げる者は殺してきた保安官バート・ランカスターが、自分のなしてきたことは単に新たな憎しみと悲しみを作り出すだけの、血なまぐさい憎悪に満ちたことでしかなかったことに気づきながらも、結局は自分を変えることができない……という当時流行りの新感覚ウェスタンで、今も筆者の心に残る作品のひとつ。英国出身の監督のマイケル・ウィナーは、当時『メカニック』(1972年)、『シンジケート』(1973年)、そして『狼よさらば』(1974年)といったチャールズ・ブロンソン主演作を立て続けに発表し、最も注目すべき監督だった。

さて、『追跡者』というタイトルの作品には、ほかにも佐野周二主演の1948年の松竹作品、珍しい中国映画の犯罪サスペンス(1987年:原題『Desperation 最後的瘋狂』)、そして小沢仁志主演のやくざ映画『追跡者 SHOT GUN』(2012年)もあったりする。しかし考えてみると、『逃亡者』にしろ『追跡者』にしろ、映画という娯楽の本質を考えると、追われたり、追いかけたりする主人公たちを描くのは王道の展開なのだから、そういったタイトルに相応しい作品というのは幾らでもあって当たり前なのだろう。

どちらがお好き? 『ミスター・ノーボディ』と『Mr. ノーバディ』

ところで邦題から、過去作品のリメイクかハリウッドでの翻案ものか? と思って見に行ったら全く関係のない作品だったということもある。『Mr. ノーバディ』(2021年)はそんな作品のひとつで、結果的にはとても面白く、満足した作品だが、筆者は全くことなる映画のリメイクだろうと思い込んでいた。

『Mr. ノーバディ』は、渋くて好きだがまさか主演を務めるような人ではないと思っていたボブ・オデンカークの主演で、一見、冴えない中年のオヤジが実はとんでもない殺人マシーンのようなキレッキレの身体能力と格闘技の技の持ち主で、町のチンピラどもを叩きのめす、という展開の物語だ。

一方で、筆者がリメイクと思い込んでいた元の作品、『ミスター・ノーボディ』(1974年)は、イタリアで作られたいわゆるマカロニ・ウェスタンで、『ウエスタン』(1968年)に次いでセルジオ・レオーネの原案の許でアメリカの名優ヘンリー・フォンダが出演した。

内容は、引退を考えている伝説の早撃ちガンマンに、その後釜に座りたい若者がまとわりつき、最後にとうとう二人が対決して若者が勝つのだが、実は二人で示し合わせて芝居し、若者は新たな早撃ちガンマンの評判を得る代わりに、老ガンマンをこっそりと船でヨーロッパへと旅立たせる……という物語だった。

74年の『~ノーボディ』のタイトルは、劇中の若者がまだ何者でもない無名の存在であるところから、名前を聞かれても自ら「俺は誰でもない」という意味で名乗った名前。21年の『~ノーバディ』のほうは、市井の人々の中に溶け込んで目立たずに暮らしている、実は凄腕の主人公を客観的に示した呼称。『君の名は』と『君の名は。』(2016年)くらい異なる両作品だが、どちらも“なるほど”と思える原題、そして邦題だ。筆者は両作品とも大好きだが、みなさんはどちらの作品をより面白いと思うだろうか?

文:谷川建司

『逃亡者』『追跡者』『Mr. ノーバディ』『悪魔のいけにえ[公開40周年記念版]』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2024年3月放送

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