石原良純の母・典子さん“なぜ32歳になって大学受験を?”と聞かれ…とても素敵な一言を返す

2月26日に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話 復活SP第3弾有名人の家族は本当に幸せなのか!?』。今年3回忌をむかえた石原慎太郎・典子夫妻のお墓参り&逗子の大豪邸に、二男・石原良純含め4兄弟そろっての訪問に密着。たった1人で政治家の夫を支えながら4人の子育てをやり遂げた典子さんの偉大さが、4兄弟と典子さんの大学の同級生らのインタビューから明らかになった。

典子さんは、生まれる前に父を戦争で失くし、14歳で母を結核で亡くした。その2年前の12歳の時に親同士の縁で出会ったのが、石原慎太郎さんだった。典子さんは17歳、慎太郎さんは23歳の時に結婚。当時、慎太郎さんは『太陽の季節』で最年少芥川(あくたがわ)賞作家となった年齢だった。

結婚後長男を授かってからも、夫は映画初監督に挑んだり、スクーター南米大陸1万km横断の旅をしたりなど、半年間家族をほったらかし。当時近くで典子さんを見ていた親戚は「4人の男の子をよくお育てになってるなあっていうのは日々感じることで、夫は何もしないだけじゃなくものすごく手のかかる夫で、お姑(しゅうとめ)さんもすごい手のかかるおばあちゃまでしたから」と典子さんに尊敬と心配の目を向けていたという。しかし、典子さんに「投げ出したくなる時もあるだろう」と聞いた時は、“投げ出すなんて考えたこともない”と言われたそう。

そして、1968年に慎太郎さんが参院選に出馬した時には、子育てしながら選挙活動のサポートもするようになったという典子さん。さらには32歳の時に大学受験を志し、見事志望校の慶應義塾大学法学部政治学科に入学。典子さんの14歳年下の同級生が、大学で勉強する理由を聞いた際、「自分は高校卒業で、主人が将来大臣になった時、妻の肩書きが高校卒じゃ申しわけない」と言われたそうで、典子さんは、家事と子育て、選挙区へあいさつ回り、さらに大学で勉強しながら夫を支えていたという。

三男の宏高さんは「“親父が一番”の母でしたから」親戚には「“ご主人が命”だったんだと思います」と語られる典子さん。慎太郎さんの趣味であるスキーやスキューバダイビングにも40歳を過ぎてから挑戦したことについて、「好きとか嫌いとかじゃなくて、親父と一緒に旅行できるのが楽しかったんだろうなあ」と二男の良純も語った。

慎太郎さんがすい臓がんを患い闘病の末、2022年に亡くなるまで、約67年も妻として支え続けた典子さんは、夫が亡くなった1か月後に後を追うように亡くなった。四男の延啓さんは「まあ、母も弱ってたんで。むしろ、父について行ったということで、なんとなく安心はしました」と話す。良純も「石原慎太郎のとことんパートナーであり続けた、石原慎太郎っていう人にとことん付き合った。そして、親父が死ぬまで死ななかったね、やっぱり」と、父・慎太郎さんに生涯必死についていこうとする母・典子さんを捉えていた。

長男の伸晃さんは、妻からとても印象深い話を聞いたという。「“お母様のご趣味は、『お父様』なんですね”って言ったんですって。そしたらしばらく経ってからお母さんが、“違うわよ。私は『石原家』なの趣味は”って」。趣味は“石原家”…その言葉通りの典子さんの人生に、スタジオは深く心を打たれた。

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写真提供:(C)日テレ

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