【読書亡羊】「条文削除」を訴えるなら、海保法25条より憲法9条第2項 奥島高弘『知られざる海上保安庁』 その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!

「生え抜き長官」渾身の書

海上保安庁長官の職には、組織発足以来長らく国交省の役人が座ってきた。背広組の中でも国交省と旧運輸省の事務次官になれない人の第2ポスト、と位置付けられていたという。

海上保安大学校を出た現場経験者、つまり制服組がその座に初めて就いたのは2013年のことで、安倍政権下で、菅官房長官が主導。船の整備、人員確保、予算増と同様に、海上保安庁を強化する施策の一つとして実施された。

本書『知られざる海上保安庁―安全保障最前線』(ワニブックス)の著者である奥島高弘氏も、2020年に現場から長官に就任した「生え抜き長官」の一人だ。

海上保安庁の機能強化の背景には、言うまでもなく中国との尖閣諸島をめぐる激しい応酬がある。2010年の尖閣沖漁船衝突事故と日本政府による尖閣諸島の国有化を受けて、中国は尖閣周辺での活動を活発化させ始め、年々状況はエスカレートしている。

これに文字通り「最前線」で対処しているのが海上保安庁だ。だが、帯に〈この組織のこと、日本人はほとんど知らない〉とあるように、海保が直面している現状の本当の厳しさはもちろん、海保の役割、位置づけがどのようなものかは、確かに詳しく知られてはいない。先に述べた海保の長官人事が話題になったのももはや10年以上前のことだ。

本書は「日本がほとんど知らない」海保について、その任務や法的位置づけを詳しく説明するとともに、「きちんと知られていないがゆえに広まっている誤解」についても指摘している。

日に日に厳しくなる環境

テレビドラマなどをよく見る人たちの間で知られている海上保安庁は、人命救助を行う潜水士を主役に据えた『海猿』のイメージや、水中事故を捜査する架空の組織である「Deep Crime Unit(潜水特殊捜査隊)」を描いた『DCU』のイメージだろう。

しかしその任務の領域は広く、密輸や密漁の取締、領海警備、海洋環境の保全、航行管制、海洋調査など多岐にわたる。年明けすぐの能登半島沖地震で物資輸送のために離陸準備をしていた海上保安庁機が日航機と衝突し海保職員5人が死亡する事故があったが、この地震に対して海保は防災業務や給水支援を行うと同時に、地震で隆起した海底地形の調査も行っている。

日本の領海・EEZ(排他的経済水域)の総水域面積は世界第6位の広さだが、これを海保は約1万5千人の人員でカバーしている。これはだいたい神奈川県警の警察官と同じ人数だといい、この人員で広い海上の治安を維持するのはまさに至難の業。

もちろん、先の安倍政権下での施策も相まって、海保の予算は年々大幅増額することが決まっている。人員もわずかずつだが伸びている。だがそれと同時に担うべき任務も増えているのである。

「海自との連携」を推す声

尖閣沖にやってくる中国海警への対処が厳しくなればなるほど、増してくるのが「海上自衛隊との連携強化」を推す声だ。特に安全保障の知識がある人たちの中から、強く聞こえてくる。

もちろん、本書でも説明があるように、海保と海自は日頃から連携はしているし、有事の際には総理の決断によって、海保は防衛大臣の統制下に入ることになっている。ここから、「より連携を深めるべき」「日頃から一緒に行動すべき」「燃料や武器も共通のものを使うべき」との意見も出てくるようだ。

だが本書で奥島氏はこうした意見に反論する。これらは「本当の海保の役割や強みを知らない」からこそ出てくる意見だというのだ。

確かに有事の際に海保は防衛大臣の統制下に入るが、海自と同じ行動をとるわけではない。むしろ、海自が本来の任務、仮に日本に対する武力攻撃に対処する事態となれば、海自が敵勢力の殲滅(無力化)に専念できるように、海保は住民の避難・救援などの国民保護措置や、海上における人命保護の役割を果たす。

こうした役割分担を、同じ統制下で行うからこそ意味があるのであって、そもそも海保は「武力攻撃に対して海自と一緒に〝戦える〟組織」ではない、ということなのだ。

海保はあくまで警察組織であり、法執行機関。この辺りの区別がついていない人が多いこと、しかも「安全保障に一家言ある人」の中からそうした意見が出てくることに、奥島氏が頭を悩ませていることが本書からは伝わってくる。

「非軍事組織」であることの意味

その最たるものが、海上保安庁法第25条の存在だ。この条文は、海保がいかなる場合にも軍事組織にはならないとの規定を定めている。

「この条文があるからこそ、海保と海自が真の意味で連携できないのだから、もはや削除すべきだ」

そうした声も近年高まっている。もちろんアイデアとしてそうした観点から法律について考えることに問題はないわけだが、奥島氏は一冊を通じて、徹底して「海保法25条削除論」に異を唱えている。

その理由の最も大きなものは、「非軍事組織」であるがゆえに東南アジアを中心とする諸外国と能力向上支援などで連携できているという実態だ。

「非軍事組織だから信頼されるなんて、軍事組織である自衛隊に対する当てつけか」という声もあるかもしれないが、これも本書を読む限り、当てつけではなくあくまでも役割の違いを強調しているに過ぎない。

憲法9条のせいで「軍事組織(軍隊)」であることを誇りに思えない状態に留め置かれているからこそ、海保との間でこうした「軍事か、非軍事か」の軋轢が生まれてしまうのはこの上なく不幸なことだ。だが、「条文削除」を訴えるなら、海保25条より憲法9条の第2項の削除を訴えるべきだろう。

さらに奥島氏が、安倍政権下で提唱された「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を挙げているのは注目だ。

法の支配に基づき、インド太平洋地域の安定を図るには、海上自衛隊のみならず、海保という法執行機関の活躍できる領域も広い。だからこそ安倍政権も、海保の軍事化を目指すのではなく、むしろ非軍事組織のまま法の支配に資することのできる海保であれと、予算増や人事改革に臨んだのだとわかる。

中国海警を反面教師にせよ

こうした「海保を軍事組織に!」の声の高まりは、対する中国が海警を国務院という行政組織の隷下から中央軍事委員会―人民武装警察の隷下へと転属させたことが拍車をかけている。

「海警」とあたかも警察組織であるかのように装い、船もコーストガード系の白い塗装を施しながらも、その実態は軍隊組織に近く、武器使用規定も苛烈なものとなっている。だからこそ、日本もこれに対応すべく海保を軍事組織にすべきだ、という論理だ。

だが本書が指摘するように、中国海警の活動の根拠法になっている「海警法」は国際法に抵触しかねない規定や条文を設けており、そうであるがゆえにますます国際的信頼を低下させている。

中国に対抗するあまり、中国海警と同じような存在になることは、日本にとっては国際的信頼を得るという面から見てもプラスとは言えないだろう。

本書は海保でなければできない国際貢献についても詳しく触れている。海保法25条についても、まずは本書を読んでから議論に臨みたい。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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