『ブギウギ』足立紳脚本の誠実さを感じるスズ子と愛子の別れ 母の人生と子への“罪悪感”

山下(近藤芳正)に代わり、甥のタケシ(三浦獠太)がスズ子(趣里)の新たなマネージャーとなってから数カ月。家政婦・大野(木野花)のおかげで愛子(小野美音)もスズ子が仕事の間、すっかりおりこうにお留守番ができるようになった。

こうして仕事と家庭の双方で心強いパートナーを得たスズ子。そんな中、『ブギウギ』(NHK総合)第107話では、“歌手”としてのスズ子に天地がひっくり返るような話が持ち上がる。だが、“母親”であるスズ子にとっては、ありがたくも少々早すぎる話だったようだ。

今やブギの女王として日本を席巻するスター歌手・福来スズ子の次なるステージは、なんとアメリカ。現地の興行主から善一(草彅剛)を通じ、ホノルルを皮切りにアメリカを縦断する公演のオファーが届いたのだ。ブギの本場であるアメリカで、自分の歌がどれだけ通用するのか、いつか試してみたいという気持ちがあったスズ子にとって願ってもない話だった。

だが、唯一にして最大の問題は愛子の渡航許可が下りないこと。公演は4カ月を予定しており、そんなにも長く母親と子供が離れ離れになることに大野も懸念を示す。大人からしてみれば、4カ月はあっという間。けれど、子供にとっての4カ月は大人が思う以上に長い。その間、母親に会えないとなったら尚更だ。

余談だが、筆者も愛子と同じく母子家庭で育った。母親は看護師として忙しく働いていたが、祖父母が家にいて面倒を見てもらえていた自分は恵まれている方だと思う。だけど、やっぱり寂しさは拭えなかった。今なら働きながら自分を育ててくれていた母親の大変さもありがたみも理解できるが、幼い頃は母親に会えない時間の、永遠にすら感じられるほどの長さにただただ打ちひしがれるのみだった。「存分に甘えられるのは母親だけ」という大野の言葉はそんな子供の目線に立った素直な意見であり、スズ子を責める意図はない。だが、スズ子にとっては母親として痛いところを突かれたのではないだろうか。

そんな中、早まったタケシが愛子にスズ子が遠い国に行き、しばらく離れ離れになるかもしれないということを話してしまった。愛子はスズ子にすぐさましがみつき、手がつけられないほど泣きわめく。その反応があまりにリアル。子供なりに感じている不安や寂しさがひしひしと伝わってくる小野美音のわずか6歳とは思えない名演が、スズ子を演じる趣里の罪悪感を引き出しているように見える。

アメリカに行くべきか、行かざるべきか。簡単に答えが出せない問いと向き合うスズ子の頭に浮かぶのは、愛助(水上恒司)とツヤ(水川あさみ)の顔だ。どんなときもスズ子の味方で、歌手として羽ばたく彼女を誰より応援してくれていた二人。そんな二人がもし生きていたら……とその言葉を欲してしまうのは、スズ子がどこかでアメリカに行くと決めていたから。その上で誰かに背中を押してほしかったのだ。

それに気づいた善一の妻・麻里(市川実和子)は「もし、私があなたの母親だったら『行ってきなさい』って言うわ」とスズ子の背中を押す。歌手としての自分と、母親としての自分との間で揺れ動くスズ子。対して、「普通の母としてしか生きられないだけ」と語る麻里は自分が望んだわけではないのかもしれないが、主婦として家庭を3人の子供を守ってきた。

人は自分の生き方を肯定するために、自分とは違う他人の生き方を否定したくなるものだ。けれど、麻里はスズ子の生き方を否定せず、むしろ応援してくれる。逆に言えば、それは誰かとの比較ではなく、自分が自分の生き方に納得し、誇りも感じているからだろう。そんな麻里の矜持と優しさにスズ子はまた救われた。母親の生き方は家庭の数だけあって、正解はない。大切なのは自分が納得できるか否かーー。

スズ子はアメリカに行くことを決め、そのことを正直に伝えると愛子は再び泣き叫ぶ。ここで愛子に「頑張って」や「行ってらっしゃい」を言わせないところに足立紳脚本の誠実性が表れている。愛子を強く抱きしめ、何度も謝るスズ子。胸が引き裂かれるような思いとともに彼女はアメリカへ旅立つ。
(文=苫とり子)

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