ポグバだけじゃない…ドーピング検査で陽性になったサッカースターたち

先日ドーピング違反のために4年もの出場停止処分を言い渡されたポール・ポグバ。すでに30代となっている彼にとって、キャリアの危機とも言えるような長期のものである。

今回は『Planet Football』から「ドーピング違反で出場停止処分を受けたワールドスターたち」をご紹介する。

アンドレ・オナナ

ドーピング違反となった年:2021年

当時のクラブ:アヤックス

出場停止期間:9ヶ月

カメルーン代表のゴールキーパーを務めていたアンドレ・オナナ。アヤックスで活躍していた2021年2月に禁止薬物フロセミドの陽性反応を示し、UEFAから12ヶ月の出場停止処分を受けた。

オナナが説明したところによれば、妊娠中の妻が服用していた薬を誤って使ったためであるとのことで、その判決に控訴した。それは最終的に9ヶ月に短縮されたが、アヤックスでのキャリアはそれによって不幸な終わりを迎えることになった。

マーク・ボスニッチ

ドーピング違反となった年:2002年

当時のクラブ:チェルシー

出場停止期間:9ヶ月

マンチェスター・ユナイテッドでプレーしていた経験を持つオーストラリア人ゴールキーパー。アストン・ヴィラでは長く守護神として活躍し、プレミアリーグでも高い実力を証明していた。

2001年に加入したチェルシーではフィットネスの問題に苦しみ、2001年11月のエヴァートン戦で負傷離脱。そして2002年9月にコカインの陽性反応を示し、9ヶ月の出場停止処分を受けた。

エドガー・ダーヴィッツ

ドーピング違反となった年:2001年

当時のクラブ:ユヴェントス

出場停止期間:4ヶ月

1990年代の終わり頃から2000年代の初頭にかけて世界トップクラスの守備的ミッドフィルダーとして活躍したオランダ代表選手。目の病気のために着用していたゴーグルやファンキーな髪型などアイコニックな存在であった。

彼は2001年にナンドロロンが検出されて出場停止処分を受け、その数カ月後にアナボリックステロイドのノランドロンとノルレチオコラノロンの陽性反応を示した。ただ、当時はセリエAで同種の違反が相次いだという影響もあり、4ヶ月で試合に戻ってきた。

アドリアン・ムトゥ

ドーピング違反となった年:2004年、2010年

当時のクラブ:チェルシー、フィオレンティーナ

出場停止期間:7ヶ月、9ヶ月

パルマでは中田英寿やアドリアーノとともに「トリデンテ」という伝説的な3トップを組んだルーマニアの神童。2003年に1580万ポンドという高額な移籍金でチェルシーに移籍したが、2004年にコカインの陽性反応を示して7ヶ月の出場停止を受けた。

その後2006年に加入したフィオレンティーナで復活を見せるも、2010年にはシブトラミンの陽性反応を示して9ヶ月の出場停止処分を受けている。

ヤープ・スタム

ドーピング違反となった年:2001年

当時のクラブ:ラツィオ

出場停止期間:4ヶ月

オランダ代表の歴史を彩ったスキンヘッドのディフェンダー。2001年にイタリア・セリエAを騒がせたドーピングのスキャンダルで出場停止を受けた選手の1人であり、彼も10月の検査でナンドロロンの陽性反応を示した。

彼は5ヶ月の出場停止処分を言い渡されたが、その後控訴したことによって4ヶ月に短縮されることになった。

フランク・デ・ブール

ドーピング違反となった年:2001年

当時のクラブ:バルセロナ

出場停止期間:11週間

そしてイタリア・セリエAだけではなく、2001年にはスペインのバルセロナに所属していたフランク・デ・ブールもドーピング違反で処分を受けている。UEFAカップのセルタ・デ・ビーゴ戦後に行われたチェックでナンドロロンの陽性反応を示し、当初は1年間の出場停止を言い渡された。

ただ、デ・ブールは「汚染されたサプリメントを使用していたために意図的なものではなかった」と認められ、なんと11週間にまで短縮されている。

ディエゴ・マラドーナ

ドーピング違反となった年:1991年、1994年

当時のクラブ:ナポリ、アルゼンチン代表

出場停止期間:15ヶ月、15ヶ月

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世界の注目を集めたディエゴ・マラドーナのドーピング違反事件。1991年にナポリでプレーしていた際にコカインの陽性反応を示し、15ヶ月に及ぶ出場停止処分に直面することになった。

さらに1994年のワールドカップではグループステージの2試合でプレーした後にエフェドリンの陽性反応を示し、大会を追放された。結局それが彼にとって最後の代表でのプレーになった。

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