『ブギウギ』には“不在”の美空ひばりも 笠置シヅ子らスターの渡米が相次いだ1950年代

NHK朝ドラ『ブギウギ』の第23週では、スズ子(趣里)にアメリカ公演の話が舞い込む。娘の愛子(小野美音)を日本に残して渡米することは、身を切られるような決断だったが、歌手としてさらに大きくステップアップするために、スズ子は渡米を決意する。

1950年、羽鳥(草彅剛)はスズ子に、ハワイのホノルルを皮切りにアメリカ本土を回ることを提案する。スズ子は、一度はブギを生んだアメリカに行ってみたいし、本場の観客の前でどこまで通用するのか挑戦してみたいという気持ちを抱くが、GHQの渡航許可が下りないため、愛子は連れていけないと聞かされて悩んでしまう。だが、相談に乗ってくれた羽鳥の妻・麻里(市川実和子)に背中を押され、家政婦の大野(木野花)の協力も得て、スズ子は渡米を決める。ただ、やはり愛子はスズ子と離れたくないと泣きじゃくる。

まだ幼い愛娘をおいて、4カ月も家を空けることになったスズ子だが、彼女のモデルである笠置シヅ子も、1950年に渡米している。アメリカ横断公演ツアーを行うために旅立った笠置と服部良一は、ホノルルで熱狂的に迎えられ、公演は大成功となった。その後のロサンゼルスでも、笠置の熱いパフォーマンスは大好評で、現地のマスコミ報道でも、飛び跳ねながら踊って歌う笠置の好演は大きく取り上げられた。

一行は4カ月かけて、サンフランシスコ、ハリウッド、シカゴ、ニューヨークと、アメリカ大陸を横断して回り、笠置にとって本場のブギを学ぶ貴重な機会となった。

同じく1950年、『ブギウギ』には登場しないが、9歳で天才少女歌手としてデビューし、やがて歌謡界の女王に上り詰める美空ひばりが、当時13歳で笠置よりも1カ月早く渡米したという史実がある。大先輩である笠置より先にアメリカに行ったことや、美空が笠置の真似をして歌っていたことなどから、2人の間に確執があったと語られることもあるが、本人たちよりも周囲が2人の関係を悪く捉え、騒いでいたとも言われている。美空にとって、笠置は憧れの大歌手であり、笠置は「ベビー笠置」と呼ばれていた美空と笑顔で一緒に写真を撮るなど、美空を可愛く思っていた模様だ。

美空と同じ1937年生まれで、ジャズ歌手として活躍した江利チエミは、1953年に16歳で渡米。「キャピトル・レコード」でレコーディングを行い、ヒットチャートにランキングされるという、日本人初の快挙を成し遂げた。

1950年代には、笠置をはじめ、美空や江利ら歌手が渡米して話題を呼んだが、1955年には、アジア人俳優として初めてアカデミー賞を受賞したナンシー梅木も、26歳で渡米している。梅木もジャズ歌手として人気を博していたが、ミュージカル映画にも出演するようになり、音楽の勉強のために渡米。その後、笠置たちとは異なり、活動の場をアメリカに移した梅木は、ハリウッドデビューを果たし、1957年にマーロン・ブランド主演の映画『サヨナラ』に出演。本作でアカデミー賞・助演女優賞を受賞した。

『ブギウギ』では、愛助(水上恒司)を亡くし、一人で愛子を育ててきたスズ子は、大野の手を借りてはいるが、愛子と離れるなんて考えたこともなかったはず。渡米したことで、スズ子の歌唱にどのような影響がもたらされるのか、続きを観るのが楽しみだ。

参考
菊池清麿『評伝 服部良一:日本ジャズ&ポップス史』(彩流社)
(文=清水久美子)

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