『春になったら』「グラッツェ」に込められた愛 ビクトリーだった雅彦の仕事人生

気がつくと3月になっている。なんとなく落ち着かないのは季節のせいだけじゃなかった。『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)第8話では、結婚式の招待状と授業参観、雅彦(木梨憲武)の退社式が行われた。

雅彦に結婚を認めてもらった瞳(奈緒)と一馬(濱田岳)は、ウェディングプランナーの黒沢(西垣匠)と森野(橋本マナミ)を訪ねる。結婚式の日取りは3月25日。瞳たちは雅彦のために式のプランを練り直すことにした。瞳は龍之介(石塚陸翔)から授業参観の招待状を受け取る。「だって僕のママでしょ」。満面の笑みで瞳は龍之介を抱きしめた。雅彦は瞳の結婚がうれしくてたまらない。何としても式に出たい。その日まで元気でいると決めた。

行事、イベント、式典。日常の中の非日常を『春になったら』は描く。私たちが節目と呼ぶその日は、始まりや終わりを刻む人生の1ページだ。そこには主役がいて、参加者は惜しみない拍手を送る。

実演販売の仲間たちは雅彦の退社式を企画した。最後に雅彦が売るのは「ビクトリーばさみ」。ヨッシーコーポレーション初のオリジナル商品で、切れにくくなるキッチンばさみの欠点をカバーしたすぐれものだ。社運を賭けて雅彦は最後の実演販売に臨む。「グラッツェ! グラッツェ!」と店頭でセールストークをする父を、10代の娘は複雑な心境で見つめていた。恥ずかしいし、全然カッコよくない。でも社会に出てから、父の気持ちが少しわかるようになった。

仕事って何だろうと思う。生きているときに一番多くの時間を占める仕事は、その人をもっともよく表すものかもしれない。身近で接する同僚は、その人を一番よく知っている。退社が特別な感慨をともなうのは、きっとそのせいなのだろう。同僚や一馬、まき(筒井真理子)、黒沢、そして駆けつけた瞳の前で、雅彦は、痛みに耐えながら実演販売士として声を張り上げた。その姿はカッコよくて、雅彦の仕事人生はビクトリーだったと感じた。

おどける場面もあった木梨憲武の演技は、回を追うごとに迫真性を増している。衰弱する雅彦を全身で表現しており、痛みがじかに伝わってくるようだ。木梨は“弱さ”を演じられる役者である。不意にバランスを崩した瞬間、思わずこっちが「あっ」と言ってしまうような観る人とつながった演技、そしてユーモア。二枚目の役にも情けなくてクスリと笑えるポイントを挟んでくるが、その時すでに木梨の空間に引き込まれている。細かすぎるくらい行き届いた一挙手一投足から、役へのリスペクトが垣間見えた。

イタリア語で「ありがとう」を表す「グラッツェ」。足を止める通行人に、リピートしてくれるお客さんに、話題にしてくれる人たちに向けて、雅彦は感謝を伝える。見てくれる人の存在が雅彦を支えていた。妻の佳乃(森カンナ)が亡くなった時も、幼い瞳を抱えて働き続けた。仏壇に置かれた佳乃の写真が二人を見守っていた。

その日の主役に参加者の視線は注がれる。けれども、本当のことを言えば、支えられているのは自分のほうなのだ。賢い龍之介はそれをわかっていて、同級生に良いところを譲った。雅彦だって、高校生の瞳が父親の仕事を恥ずかしいと思っているのは知っていた。それを寂しいと思うこともあったが、自分を見ていてくれる瞳の視線が、人ごみに立つ雅彦を奮い立たせてきた。「グラッツェ」は最愛の人に向けた言葉だった。

瞳の結婚式に、雅彦が用意するもう一つの式。なじみの店での最後の不摂生を、雅彦は一馬と二人で堪能した。瞳を呼ばなかったのは、いたら心配させてしまうからだ。向こう岸へ渡る式の主役は、見送る人々に何を贈るか考えている。春はもうすぐそこまで来ている。

(文=石河コウヘイ)

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