昭和三陸大津波から91年、冬の夜の教訓忘れぬ 宮古で避難訓練

早朝の津波を想定し、乗用車で避難訓練を行う参加者=3日午前3時33分、道の駅たろう

 津波常襲地で備え、悼み、生きていく―。1933(昭和8)年の昭和三陸大津波から91年となった3日、甚大な被害に見舞われた岩手県宮古市田老地区では、厳冬の未明の地震を想定した自動車避難訓練や犠牲者の追悼行事が行われた。度重なる災害の教訓を語り継ぎながら、歴史とは異なる事態も想定し、住民の命を守るすべを考える。そんな一日になった。

 周囲が暗い午前2時半ごろ、道の駅たろうに市民ら10人が集合。ここ数日の大雪が残り、厚着で臨んだ。緊急地震速報を受けて身の安全を確保した後、乗用車で避難。交差点や接合部の損壊が懸念される橋などを確認しながら、10分ほどかけて約3.6キロ先の高台の駐車場に逃げた。

 県立大総合政策学部講師で同大防災復興支援センターの杉安和也副センター長(地域防災)は車内に緊急脱出用のハンマーや非常用持ち出し袋を常備することを助言。低体温症対策として▽地面など冷たいものとの接触を避ける▽水分や栄養の補給▽毛布に2~3人でくるまる―などを挙げた。

 杉安副センター長は「津波避難は原則徒歩が基本だが、あえて車避難を体験した」と強調。「夜は状況を把握しづらく、徒歩より早く安全に避難できるとも限らない。車を必要とする人が地域にどれほどいるのか把握するなど共助も重要だ」と指摘する。

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