骨壺ひとつを整理するのに数十万!?…元気なうちにこそ準備しておきたい「墓じまい」

(※写真はイメージです/PIXTA)

医学博士・管理栄養士の本多京子氏は「予防」の大切さを実感してきました。そしてそれは食と健康に限らず、人生全体にも通ずること。「コンパクトな暮らし」を実現するための、最後の「居場所」であるお墓の整理も重要です。本多氏の著書『60代からの暮らしはコンパクトがいい』(三笠書房)より、将来を見越したお墓選びについて見ていきましょう。

いくつになっても「最良の選択」をするために

長年、食と健康にかかわる仕事をしてきて、私がこの仕事をはじめるきっかけにもなった「予防」の大切さを今、あらためて実感しています。

ふだんからちょっと食事に気をつけておけば、そこまでの状態にならずにすんだのに……というケースを数多く見てきました。

一度病気になってしまうと、快復するのに時間もエネルギーもかかってしまいます。

ですから、段取りよく早め早めに手を打っておくこと、「予防」がいかに大事か─。それでも人は病気をしますが、食を大切にしていれば、病気になっても快復も早くなります。

これは何も病気だけでなく、日常生活、人生も同じです。だからこそ、この先の自分の体力を考えたときに、予防のためにコンパクトな暮らし方を選んだのです。

そして、人生の最後の「居場所」のために、お墓も整理しました。

私の家系に代々続いているお墓はありましたが、弟は離れた場所に住んでいるので、お墓参りはそうそうできません。父が亡くなったとき、弟や妹とどうするか相談して、そのお墓を手放すことに決めたのです。いわば「墓じまい」です。

お寺に聞きに行ったところ、骨壺をひとつ整理するのに数十万円もかかると言われます。「お墓の中にいくつ入っていますか」と聞かれたのですが、母でさえ、もうわからない状態。結局、石屋さんに数えていただいたら、6つありました。

すでにどなたが入っているかわからないとはいえ、ご先祖さまです。でも数十万円×6人分で、お墓を整理するのにそんなに出費がかさむなんて、思ってもみませんでした。それに加えて、石屋さんへのお礼とお経をあげていただくお礼を考えたら、すごい額になってしまいます。

そこで母にこう説明しました。

「ここのお墓参りに来るのはお母さんだけで、90代も半ばを過ぎたら、自分で来られないよ。誰も来られなくなったら、無縁仏になってしまうし、誰もそれを処分できなくなるから、最後の最後で迷惑をかけることになるわよ。もしこのお墓を整理すれば、また違う方がここにお墓を建てることができるじゃない。それが一番いいと思う」と。

直接わからないとはいえ、ご先祖の骨壺を放り出すわけにはいきません。ですから、お寺に行き、共同の墓地に入れていただきたいと言って、いろいろご相談をして、結果的に適正な金額でお墓を整理することができました。

その後、現在父の遺骨が納められている今のお墓を買ったのは、このあとの家族の負担を考えたからです。

「お墓」はお参りに来る人のためのもの

よく、お墓参りにあちこち駆けずり回っている人たちの話を聞きます。

自分の両親が入っているお墓、夫の両親が入っているお墓……お彼岸やお盆が来るたびに、お墓を守るために大変です。遠くにあれば、交通費もかかります。これから先もずっとできるだろうか、と考えてしまいます。

ですから、元気なうちにお墓の整理をしておかないと、あとに残された人が大変な思いをします。

身もフタもない話ですが、人間、死んでしまえばリン、炭素、窒素などの元素になって、地中に存在するだけ。では、なんでお墓が必要なのか、考えました。

お墓はお参りに来る人のためにあります。お墓参りに行くと、気持ちがすっきりしたり、清々しい気持ちになったり、自分がいいことをしたような気になったりする。そのためにお墓があるんじゃないかな、と思ったのです。それならば、やはり自分のことより、未来を生きる人のことを考えてお墓をどうするか決めるべきではないでしょうか。

私には娘が1人しかいません。そして彼女はきっとこれからも、忙しく仕事をする人生になるでしょう。

それならば、なるべく手間をかけさせないようにしたい。でもお墓参りに行けないのは後ろめたい気持ちになるでしょうから、1ヵ所で全部すませられるようにしたいと思いました。

今までいろいろな方のお葬式やお墓参りに行って、ジメジメしているのはイヤだな、明るいお墓はないものだろうかと思っていました。そうしたら友だちが、1年中、真冬でもバラが咲いている霊園を教えてくれました。「何々家之墓」といった形ではなく、残したい言葉や本名が刻まれた今様のお墓で、まわりを見ると3割ほどは、まだお元気な方が買い求めたものでした。

お墓はガラスと石でつくりました。ガラスに好きな言葉や図柄を彫刻してくれるのです。生まれた日、亡くなった日付が入っています。

そこでまた、私がひらめいてしまったのです。「そうだ、知り合いをみんな集めよう」と。

まず妹を誘って、同じ霊園にお墓を買ってもらいました。次に、お子さんがいらっしゃらない友だちがいるのですが、亡くなったあとにお身内がいなくなるというので、「近くに買いなさいよ」と勧誘して。親友にも同じように買ってもらいました。これなら寂しくありません。しかも、娘たちのお墓参りが全部一度ですむでしょう。

人は永遠に生きるわけではありません。

かといって、具合が悪くなってからお墓探しをするのは、なんだか縁起が悪いもの。元気だからこそできることなのです。

最期を迎えるとき、まわりに負担をかけずにどれだけ身軽になっているか─元気なうちにこそ考えておくべき大切な未来予測ですね。

本多 京子
医学博士、管理栄養士

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