森田理香子、5年8か月ぶり出場のツアーで予選突破!【ゴルフ】

高校時代から活躍し、プロ入り後も順調

ダイキンオーキッドレディスで幕を開けた2024年日本女子ツアー。トーナメントレコードの通算18アンダーで優勝したのは21歳の岩井千怜だったが、彼女より1回り上の選手も注目を集めていた。

その選手は、13年の賞金女王に輝いた森田理香子。1990年1月8日の34歳で、20代前半の選手が主流の女子ツアーの中ではベテランといえる。

京都出身で、京都学園高時代は2006年に世界女子アマ2位、07年には、関西女子チュア選手権優勝、日本女子アマチュアゴルフ選手権ベスト8、日本女子オープン16位(ローアマチュア)。高校卒業後の08年日本女子アマでは惜しくも2位に終わったものの、06〜08年にJGAナショナルチームの一員として活躍した。

08年、プロテストで一発合格。同期には菊地絵理香、穴井詩、木戸愛がいる。

同年のクオリファイングトーナメントで35位に入り、翌年の開幕戦からツアーに出場。序盤は6試合連続予選落ちなどプロの洗礼を受けるも、6月以降は安定した成績を残し、賞金ランキング27位で初シードを獲得した。

13年に賞金女王獲得も、その後は…

初優勝はプロ3年目の10年。10月の樋口久子IDC大塚家具レディスは台風の影響により36ホールに短縮された。首位に3打差の13位タイで最終日をスタートした森田は11バーディ1ボギー、当時のツアー最少ストロークタイとなる「62」で回り、逆転でツアー初の勝利の美酒を浴びる。

12年にミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで2勝目を挙げた森田が、ベストパフォーマンスを見せたのが13年だ。

開幕戦のダイキンオーキッドレディスを制すると、5月の中京テレビ・ブリヂストンレディス、6月のサントリーレディスでも優勝。11月の大王製紙エリエールレディスでシーズン4勝目を挙げ、横峯さくらとの激戦を制して賞金女王に輝いた。

だが、14年はTポイントレディスの1勝のみ、賞金ランキングも16位にとどまる。
翌15年は未勝利に終わり、賞金ランキングは20位とさらに下げた。

そして16年。33試合に出場して予選落ち18回と極度の不振に陥り、賞金ランキング69位でシード権を手放してしまう。
13年賞金女王による翌年からの3年シードが切れ、同年のQTでも79位と上位に入ることができず、17年の出場回数は20試合に減少。うち12試合で予選落ちを喫し、賞金ランキングは89位とさらに降下した。

18年の出場権をかけたクォリファイングトーナメントもセカンドで敗退し、最後のツアー出場は同年6月のニチレイレディス。この年は6試合に出場して予選通過2回、最高順位はダイキンオーキッドレディスの29位タイだった。

5年8カ月ぶりのツアー復帰を決めた理由

そして24年3月のダイキンオーキッドレディスで、5年8カ月ぶりにツアー復帰を果たす。

「賞金女王を獲ってから、燃え尽きた自分がいたのはたしか。案の定、成績も落ちて、体の調子もよくなかった」
と当時を振り返る森田。休養後の1年はゴルフが嫌いで、クラブを握らなかったという。
だが、その心境に変化が現れた。

「今回復帰に踏み切ったのは、この5年、6年でいろいろなお仕事をして、改めてゴルフの楽しさというか、試合にも出てみたい気持ちが湧いてきたのが、ちょうど今って感じだからです」(森田)

歴代チャンピオンとして出場した開幕戦。第1日は2バーディ2ボギー1ダブルボギーの2オーバー74で61位タイ発進。2番ホールで師匠の岡本綾子が見守っていることに気づくと「泣きそうになった」と言う。

続く第2日は13番からの4連続を含む5バーディを決め(2ボギー)、3アンダー69をマーク。通算1アンダーの18位タイに浮上し、予選を突破する。「上出来だと思います。自分でも『天才やなぁ』って思いながら回っていました」と振り返るほど会心のラウンドだった。

第3日は3バーディ4ボギーの73、最終日も4バーディ3ボギー1ダブルボギーの73と1打ずつ落とし、通算スコアは1オーバー。36位タイで4日間を終えた。それでも本人は、
「4日間完走できたし、悪いながらも耐えられたのでよかった。100点満点です」
大会中のドライビングディスタンスは平均255.625ヤードを計測し、穴井に続く2位。自慢の飛距離に陰りは見られなかった。

今後も主催者推薦での出場を続ける森田。34歳の再チャレンジにエールを送りたい。

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