『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』調査報道映画指折りの傑作が描く、#MeTooのトリガー

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』あらすじ

2017年、ニューヨーク・タイムズ紙に衝撃のスクープが掲載された。のちに”性犯罪告発運動”#Me Too運動を爆発させたハーヴェイ・ワインスタイン事件。取材を進める中で、ワインスタインは過去に何度も記事をもみ消してきたことが判明する。さらに、被害にあった女性たちは示談に応じており、証言すれば訴えられるため、声をあげられないままでいた。問題の本質は業界の隠蔽構造だと知った記者たちは、調査を妨害されながらも信念を曲げず、証言を決意した勇気ある女性たちと共に突き進む。そして、遂に数十年にわたる沈黙が破られ、真実が明らかになっていくー。

”その名を暴く”のではなく、著名な人物を表舞台に引きずり出す物語


のっけから文句を言うようで恐縮だが、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(22)のタイトルは、作品を正しく表してはいない。おそらく原作の邦訳本に付けられた書名「その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」(新潮社刊、英語題は『SHE SAID』)にならったのだろう。しかし本作は「誰かの名前を暴く」話じゃない。「最初から名前がわかっている著名な人物を、表舞台に引きずり出す」実話なのだ。

その人物とはハリウッドの超大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインであり、現在、有罪判決を受けて収監されていることは多くの人の記憶にも残っているはず。そしてこの映画は、#MeToo運動の起爆剤となったワインスタインの性犯罪報道を担当したニューヨーク・タイムズ紙の記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによるノンフィクション本がベースになっている。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』予告

ワインスタインの性暴力について調べていたカンターとトゥーイーの最初の告発記事が掲載されたのが2017年10月5日。その5日後には、ニューヨーカー誌もジャーナリストのローナン・ファローによるワインスタインの告発記事を掲載する。これを契機に警察も捜査に乗り出し、2018年5月にワインスタインは正式に起訴され、2020年3月に禁錮23年の判決が言い渡されている(後に16年の刑期が追加された)。

名もなき被害者たちの声を拾った2人の女性記者


ワインスタインの蛮行と組織的隠蔽のシステムが明るみに出せたのは、新聞記者やジャーナリストの果敢な努力の成果であることはもちろんだが、一番重要だったのは、これまでに声を上げても無視されてきた、また、声を上げる手段を奪われて沈黙を余儀なくされていた被害者たちに話をしてもらうことだった。

被害者は膨大な数にのぼり、誰もが知っているハリウッドセレブもいれば、ワインスタインの映画会社で働いていた無名の女性スタッフも多かった。ワインスタインは告発されると巨額の示談金でもみ消しを図り、被害者を守秘契約で縛って公に発言できないようにしていた。

身の危険を感じていたり、報復を恐れていたり、トラウマに苦しみながら人生を立て直そうと苦闘している女性たちと、いかに信頼関係を築いて、辛い体験について語ってもらうのか。ワインスタインを引きずり下ろすには、カンター、トゥーイー、ローナン・ファローらの気の遠くなるような地道なプロセスの積み重ねがあった。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(c)Photofest / Getty Images

この報道の功績を讃えられ、カンターとトゥーイー、そしてローナン・ファローは2018年4月にピューリッツァー賞を受賞する。その報道の過程を本にしたためたのが、カンターとトゥーイーの「SHE SAID」と、ファローの「キャッチ・アンド・キル」(文藝春秋刊)である。

誤解されがちだが、「SHE SAID」と「キャッチ・アンド・キル」が#MeToo運動の火付け役になったわけではない。この2冊の書籍が出版されたのは2019年。#MeToo運動に火をつけたのは2017年のニューヨーク・タイムズとニューヨーカー誌の報道であり、両書は報道の最前線にいた3人が後から振り返って執筆した回想録なのだ。

カンターとトゥーイーはニューヨーク・タイムズ紙で働く同僚だが、ローナン・ファローはスクープを競うライバル的存在で、協力してワインスタインの件を追っていたわけではなかった。ファローは当時4大テレビネットワークのひとつNBCで働いており、同局のニュース番組で報道するつもりで調査を進めていた。しかし社内でもみ消し工作に遭い、かき集めたネタをニューヨーカー誌に持ち込んだ。

つまり、たまたま両者が同時進行的に調査報道を進めていて、ギリギリのタイミングでニューヨーク・タイムズが先にスクープ記事を出した。タイムズ紙とニューヨーカー誌は続報を出し続け、ほかのメディアも追随したことで、ワインスタインの犯罪行為の全容が明らかにされていったのである。

ワインスタイン事件の顛末を描いた2冊のベストセラー


ハリウッドの暗部を白日のもとに晒した一連の騒動を、ハリウッドが注目して映画化する流れはいささか皮肉にも感じられるが、業界として自己反省や自浄作用が機能しているとも言える。カンター&トゥーイーの「SHE SAID」の映画化権は、まだ出版される前にアンナプルナ・ピクチャーズとブラッド・ピットが設立者に名を連ねるプランBが共同で獲得した。

筆者が映画化のニュースで驚いたのは、ワインスタイン事件が映画になるならローナン・ファローの「キャッチ・アンド・キル」の方だろうと思い込んでいたから。同書はファローの一人称で書かれており、ファローは事件を取材したせいでNBCの職を失いそうになり、義務感と保身の間で葛藤し、やがて闘い抜く決意をする。ワインスタイン側に監視されて命の危険を感じるくだりはスパイ小説さながらだ。「キャッチ・アンド・キル」は最初から映画化を想定しているのではと思ってしまうくらい、エモーショナルでエキサイティングな物語に仕上がっているのだ。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(c)Photofest / Getty Images

一方「SHE SAID」では客観的に取材の過程が綴られていて、実際に調査報道を進めたカンターとトゥーイーは自分たちの露出を可能な限り抑えようとしている。主体はあくまでも声を上げた女性たちであり、勇猛果敢な記者たちの物語であることよりも、ワインスタイン報道に関する第三者的な報告書であろうとしているように見える。また、事件の余波を一歩下がったところから分析する試みでもあり、その姿勢はエピローグ的な「最終章」にもっともよく表れている。

加熱したワインスタイン報道も落ち着いてきた2019年1月、カンターとトゥーイーは、取材の中で知り合い記事に登場した12人の女性たちに、報道の余波について語り合ってもらっている。12人はアメリカ、イギリス、ドイツの各地からロサンゼルスに集まり、参加者のひとりであるグウィネス・パルトロウが自宅を会場として提供した。

自分たちの報道は確かに世の中を動かしたが、勇気を出して口を開いた被害者たちの人生にどんな影響を与え、どんな意味があったのか? 最終章でカンターとトゥーイーは、ジャーナリズムの功罪を、当事者である12人の女性の実体験から見つめようとしているのである。

地道な調査報道を丹念に描く真摯なアプローチ


「SHE SAID」は、2人の著者の真摯さに感銘を受ける名著だが、真摯であるがゆえに映画化に向かない素材に思えた。ハリウッド的な脚色を加えて、勇気ある記者たちが「その名を暴く」ために活躍する英雄物語に仕立てていれば、原作の根幹にあるスピリットは失われ、うすら寒いフィクションになってしまっただろう。

しかし監督のマリア・シュラーダーと脚本のレベッカ・レンキェヴィチは、地味であることを恐れず、絶妙なバランスを見つけ出した。そもそも映画の歴史には調査報道を扱った優れた作品がいくつも生まれている。もっとも有名でジャンルを代表しているのがアラン・J・パクラ監督の『大統領の陰謀』(76)であり、『スポットライト 世紀のスクープ』(15)はアカデミー作品賞を受賞し、スティーヴン・スピルバーグは『大統領の陰謀』と同じ1970年代のワシントン・ポスト編集局を舞台に『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17)を作っている。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(c)Photofest / Getty Images

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』も明らかにその系譜に連なる一本で、奇を衒うことなく、ジャーナリズムの現場を丹念に追いかけている。過去の作品と違っているとすれば、事件を追う記者の性別が女性であり、彼女たちが取材する相手もまた女性たちである点だろう。長い間、声を封じられてきた女性たちが、今こそ自分たちのために声を上げようとしている。その現代性さえあれば、余計な小細工をしなくとも十分に切実でスリリングで、観客を惹きつける映画ができると、シュラーダー監督らは考えたのではないか。

名優サマンサ・モートンの凄みとラストの切れ味


とはいえ息を呑むような映画的な瞬間もある。映画の中盤、ゾーイ・カザン演じるジョディ・カンター記者がロンドンに赴き、ゼルダ・パーキンスという女性と一対一で会う。ゼルダはかつてハーヴェイ・ワインスタインのアシスタントとして働いた経験があり、口封じのための秘密保持契約の存在を告白し、重要な証拠書類をカンターに渡す。契約を破棄するリスクを負ってでも世に訴えようと決めた強固な意思が、緊張が解けることのない彼女の言葉と表情から痛いほど読み取れる。

ゼルダを演じたのは『ギター弾きの恋』(99)『モーヴァン』(02)で知られる名優サマンサ・モートンで、途上するのはこの1シーンのみ。しかし9分間ほぼ一人で語り、カンターに後を託して去っていく。取材に行き詰まっていたジョディたちにとって潮目が変わった瞬間を、その存在感と迫真の演技でみごとに表現しているのだ。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(c)Photofest / Getty Images

映画では原作を刈り込んで脚色しているわけだが、原作にはなかった要素も付け加えられた。仕事だけでなく子育てにも追われるカンターの日常や、トゥーイーが抱える産後うつの問題といったプライベートな一面だ。

脚本を執筆したレンキェヴィチは、英国映画アカデミーのインタビュー企画で興味深い話をしている。アンナプルナとプランBはカンターとトゥーイーの著作の映画化権利を出版前に取得しており、レンキェヴィチが関わった段階ではまだ執筆中だった。脚本に取り掛かろうにも、参照すべき原作はまだ存在していなかった。章がひとつ書き上がると、その草稿がレンキェヴィチのもとに送られてきたという。

レンキェヴィチはまずカンターとトゥーイーの家を訪ね、彼女たちの生活を見て、話を聞くところから始めた。「SHE SAID」を書くにあたってカンターとトゥーイーが自分たちを前面に出さないように配慮したことはすでに述べたが、映画では取材を進める彼女たちが主人公的存在にならざるを得ない。2人の日常描写は、取材の大変さだけでなく、仕事をする女性たちが直面する困難という、もうひとつのレイヤーを作品に付け加えることに成功している。

BAFTAの脚本家講義シリーズ:『シー・サイド』の脚本家レベッカ・レンキェヴィチ

脚色の妙でいえば、物語をどこで終わらせるべきか、幕の引き方が実に素晴らしい。ネタバレに配慮してここでは詳細を書かないが、シュラーダー監督とレンキェヴィチは、まさに報道かくあるべしという、絵的には地味でもこの映画を締めるにはこれしかないと思わせる瞬間を完璧に選び取った。その切れ味の鋭さにおいて、過去に調査報道を描いたどんな名作にも勝るとも劣らない最高のラストだと断言したい。

興行面の失敗は#MeTooの衰退を象徴しているか?


完成した映画が全米公開されたのは2022年11月。ニューヨーク・タイムズの最初の報道から5年、「SHE SAID」の出版から3年後というタイミングが早かったか遅かったのかは意見が分かれるところだろう。『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は批評家筋の評価は高かったものの、興行的には振るわなかった。いや、有り体に言って大コケした。全米の興行収入は582万ドル。世界全体では1,393万ドル。3,200万ドルとされる製作費の半分も回収できなかった。ザ・ハリウッドリポーターは「2,000スクリーン以上で公開された映画の中で史上最低のオープニング成績」と報じた。

興行的失敗の原因を特定するのは容易ではないし、「ヒットしない=駄作」なわけでもないのだが、興行成績の惨敗については「世の中の#MeToo疲れ」が指摘されたり「一般の人々は映画人の期待に反してハリウッドに興味がない」と言われたりもした。映画賞には数多くノミネートされたが、賞レースを席巻することはできず、アカデミー賞からは完全に無視されてしまった。

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(c)Photofest / Getty Images

ローナン・ファローの「キャッチ・アンド・キル」は、ファロー自身によってポッドキャスト化された後、HBOでファローがホストを務める同名のドキュメンタリーシリーズも製作された。しかしこれも大きな反響を呼ぶことはなく、いまだに劇映画化はされていない。

しかし『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』に関して言えば、長いスパンで語り継がれるべき時代性を備えており、流行に左右されない普遍性がある。タイミングを逸したとしても、作品そのものの価値が損なわれるわけではない。また「調査報道映画」というジャンルにおいても指折りの傑作だと思っているのだが、あとは作品を観た人それぞれに判断していただくしかあるまい。

文:村山章

1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。

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