「ビキニ被災70年」を新たな出発点として核兵器廃絶を世界に訴える平和行進とビキニデー集会

焼津港所属のマグロ漁船第五福竜丸が南太平洋ビキニ環礁の水爆実験で被ばくして1日で70年。静岡市で核兵器廃絶を訴える集会が開かれ、およそ1500人が出席しました。

1954年3月1日南太平洋ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験に焼津港所属のマグロ漁船第五福竜丸が遭遇し、乗組員23人が被ばくしました。

1日JR焼津駅前から、被ばくして半年後に亡くなった久保山愛吉さんが眠る弘徳院まで、平和行進が行われました。

参加者は核兵器の廃絶を訴えるとともに、平和の思いを込めて墓前に久保山さんが好きだったバラの花を供え、冥福を祈りました。

ビキニデー集会

そして静岡市では「3・1ビキニデー集会」が開かれ、オンラインも含めおよそ1500人が参加しました。

その中で原水爆禁止世界大会実行委員会が、ロシアのウクライナ侵略とイスラエルのガサ地区での戦闘行為を強く批判。

「ビキニ被災70年」を新たな出発点として、「核兵器のない世界」を実現する運動を世界に発信すると訴えました。

また被害を受けたマーシャル諸島共和国から現地での活動の映像が配信され、被ばく者の遺族は平和への思いを語りました。

被災当時を知る人が少なくなる中、参加者たちは核兵器廃絶と平和を求める思いを若い人に継承していくことを願いました。

© 静岡朝日テレビ