三位一体型観光街づくり~地域創生撮影活動~第1章「魅力発見」②

予土線レールを考える

今回は四国という括りで考えてみる。

愛媛県大洲市で進める持続可能な観光街づくり。今やかつて上り調子だった時代の内子町のように賑やかだ。前回は、現在のような状況を生み出すきっかけとなった取組の一部と私の動きについてご紹介した。既に20年以上の刻を経て掠れてしまっていることは否めない。だが、形格好は変わっていくにしても物事への取り組み姿勢や考え方はそう変わったものではない。時代は変わるが。

江川﨑から宇和島へ向かう伊予灘ものがたり

そこで、今回は四国の河川とレールという共通の土俵をもつ予土線について少しレポートしてみたい。

活動初期の撮影のお仕事

2021年10月、フリーで活動し始めて2年目に愛媛県からいただいた仕事の一環で予土線を撮影する機会を得た。現職時代は肱川とその流域での集客交流基盤創出に取り組んでいた。そのため、大洲市以外の撮影というのは限られていた。

そんな折も折、いただいたこのお仕事は写真を撮影することでの役割とその効果による観光街づくりについて考えさせていただく機会になった。

お昼時の吉野生駅で昼休み中の郵便さん

よく聴く予土線。宇和島駅を出発して北宇和島、務田、伊予宮野下、二名、大内、深田、近永、出目、松丸、吉野生、真土、西ヶ方、江川崎、半家、十川、土佐昭和、土佐大正、打井川、家地川、若井、そして窪川へと愛媛県の松野町を経由し四万十川沿いを経て合計22の駅で結んでいる。それぞれの駅を訪ねスナップしていくと、地域にとっては外せない「汽車」と「駅」であることが脳裏に焼き付いた。写真の吉野生駅のお昼時などはその典型である。

四国西南写真紀行

人口減少に喘ぎ続けているニッポン。その中にあって四国西南部は、観光資源は豊富でもそれを生かすだけの地域力は乏しい状況なのか。私は以前から「写真紀行」という表現をよく使う。それ故、この地域でもひょっとしたら「四国西南写真紀行」が成り立つかもしれないと考えている。ただ実現させるためには地域を含む県などの行政体との連携が不可欠ではあるが。

汽車旅予土線。四季折々の変化に富んだ自然とそこに生きる人々の暮らしぶりは、かつてのニッポンの原風景をも思わせられる。

河が流れ秋冬の冷え込みは美しい紅葉を生み出し霧が巻く。

年が明け早春から花の便りが届き始め国道沿いの桜並木は圧巻である。

肱川とは違った朝の表情を見せる四万十川

最初に撮影したときは予土線と周辺地域の基礎知識がなかった。

そのため、まずこれを知るために22の駅全てを回ってスナップすることから始めた。運営するレール会社の現状は大変厳しく、国の支援に頼らざるを得ない状況であることは周知の事実。

しかし、だからといって「お荷物」と言われている予土線や伊予灘線を放置することもできない。今、その取組が少し動き始めてはいるが果たしてどういう手立てを講じれば良いのか試行錯誤が始まろうとしている。

予土線の名物シーン## 節目の年に観光列車が走る

今年はタイミング良く予土線開通50周年だそうだ。

この機会を活用して愛媛県の計らいもあり、この3月1日に人気観光列車の伊予灘ものがたりが宇和島まで走った。

そして、3月2日には宇和島駅から江川崎をを往復。

3月3日に宇和島を出て大洲まで戻るという「きずな旅」を企画催行した。

盛り上がった沿線地域とここぞとばかりに全国から集まった「撮り鉄ちゃん」たちの面々。人が集まれば予期せぬハプニングやマナー違反が起きる。だが、これらは今後への栄養剤と考えれば手立ての講じ方は必ず見える。

盛り上がる地域の様子は「予土線継続」に向けたメッセージと理解して良いのか。いや、そうではなくてもっといろんなことをしっかりと考えろというメッセージと理解すれば良いのか。いずれにしても「お金」で解決できることではなくもっと大切な何かをレール会社も含めて地域と共に「しっかり考える」ことが求められているとこの二日間撮影して感じた。

レール会社の経営が成り立たないからと言うのは理解できるし重要なことだ。しかし、そのことを前面に出すよりももっと「考えなければならないこと」がある。それが何であるかは、2021年に最初に22の駅を全てスナップして回って行くと「私に見えたこと」と申し上げておきたい。

(次回へ続く)

(これまでの寄稿は、こちらから)

寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員

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