若手が続々成果獲得。安田裕信がドライバーマネージメントを手がける「スーパースターを作りたい」

 レーシングドライバーとして、スーパーGTやスーパー耐久シリーズで活躍する安田裕信。これまでトップクラスで戦ってきた一方で、レーシングカートチーム『HIROTEX RACING』を主宰。こちらも多くのトップドライバーを四輪に輩出してきた。そして今季に向けて、安田は新たな取り組みをスタートさせたという。それはレーシングドライバーのマネージメント。今までの印象にはない取り組みだが、なぜマネージメントをスタートさせたのか、そして今季の驚くべき成果について聞いた。

 安田は1983年滋賀県出身。レーシングカートを戦った後、2002年に鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)のスカラシップを獲得した。2006年にはニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)入りし、2008年にスーパーGT GT300クラスではチャンピオンも獲得。フォーミュラ・ニッポン参戦をはじめ、スーパーGTではGT500クラス、GT300クラスとトップドライバーとして活躍してきた。

 そんな安田は、2009年に自身のレーシングカートチーム『HIROTEX RACING』を立ち上げ、全日本カートなどに挑戦してきた。「最初のドライバーは藤波清斗で、その後牧野任祐や小高一斗などいろんなドライバーを乗せてきましたね」と安田は振り返る。ただ、彼らの場合カートに乗せるオファーはしてきたが、四輪ステップアップ後については、一部をのぞきあまり相談をしてこなかったという。

 ただ「僕も年齢が40歳に近づいてきて意識するようになりました」というのが、「レーシングドライバーとして成功する道に導いてあげるようなマネージメントをしてあげたいと思った」ことだ。カートで育ててきたドライバーの両親に相談されたり、後述する2023年に走らせたふたりのドライバーが「筋が良かった」ことがきっかけのひとつだ。

■「パッとしなかった」大草りきが掴んだGT300のシート

 そしてもうひとつのきっかけが、2024年にModulo Nakajima RacingからGT500クラスにデビューすることになった大草りきの存在だ。過去に大草はHIROTEX RACINGに所属したことがあったが、「そこまでパッとしなかった(安田)」という。

「ウチのカートチームを出て、SRSを受けたんです。ただそこで落ちて、泣いて電話がかかってきました。『なんとかして欲しい』と。そこで、僕はどうしたらいいか分からなかったのですが、自分が乗っていたスーパー耐久のチーム(TECHNO FIRST)のオーナーに連絡して、一年S耐に乗ってもらいました」と安田は言う。

 その後、大草は仕事をしながらジュニアフォーミュラにステップアップするも、なかなか浮上のきっかけが得られなかったが、フォーミュラ・リージョナルが始まり、現在も安田や大草を支えるPONOSの辻子依旦社長がドライバーとして参戦することになった。安田はそのアドバイザーとして携わることになったが、辻子が出場できないレースが数戦あった。そこで安田は「大草に賭けてみようと社長に相談して、乗せたんです」と大草にチャンスを与えることになった。

「そうしたら、昔よりもすごく強くなっていて、しっかり走る。同じ頃に別件で僕がお世話になっていた方が大きな病気になり、その方が手伝って欲しかった仕事があったんです。そこで、人間性も良かったので大草に手伝ってもらい、代わりに『お前がちゃんとプロドライバーになれるように、オレが頑張ってみる』と伝えたんです」

 フォーミュラ・リージョナルでの活躍、さらに大草の人間性に出資をする人も現れ、大草は安田の助力もあり、スーパーGTでGAINERのシートを得ることができた。2022年のことだ。大草はコンビを組んだ富田竜一郎からも多くのことを学び、鮮烈なスピードをみせた。2023年は安田と組み、結果こそ残らなかったものの、安田は大草の活躍を見て、GT300で2年戦ったら決めていたことがあった。

「自分はニッサンでずっとやってきましたが、トヨタ、ホンダ、ニッサンのメーカーの枠を外れても、もう一度チャレンジすることで、成功させられるんじゃないかと思ったんです。大草について言えば、岩佐歩夢選手(大草がSRSを受講した際にスカラシップを獲得)がバンと世界に進出して、その下のスカラシップドライバーも出世してますけど、一方で大草は苦労していた。それを挽回するチャンスを与えられるんじゃないかと思ったんです」と安田は、大草を“マネージメント”して、GT500シート獲得を目指すことになった。

「大草がGT300で活躍したときに『よし!』と思って、GT300で2年やったら、マネージメントして絶対にGT500に乗せようと思ったんです。大草にも『一緒に頑張ろう』と伝えて、2023年は成績は出ませんでしたが、ニッサンにも速いことを認めてもらっていた。GT500に乗れる自信は僕にもあったんです」

安田裕信と大草りき、そして安田の“師匠”でもある本山哲と。

■突然のスーパーフォーミュラ参戦のチャンス

 ただ、大草に足りなかったのはフォーミュラでの実績。全日本F3にスポット参戦した経験はあったが、今やGT500には必須とも言えるスーパーフォーミュラ・ライツの経験もなければ、FIA-F4にも出場したことはなかった。そんな2023年の終盤、思わぬチャンスが舞い込んだ。スーパーフォーミュラにTGM Grand Prixから参戦していた大湯都史樹が、最終戦鈴鹿に出場しないことになったのだ。

「あの時、TGM Grand Prixのシートが急に空きましたよね。すべてのレースファンの方はホンダの若手が乗ると予想していたと思うんです(笑)」と安田は振り返った。

「僕は以前から、TGM Grand Prixの池田和広代表とプライベートでも仲が良くて、シートが空いたと聞いて『誰を乗せたらいいだろう?』となったときに、『ちょっと面白い勝負してみない?』と話をしたんです。『フォーミュラなら大草は勝負できると思う』と言ったんです。池田代表もふたつ返事で、彼の人間性も好きだし、メーカー契約でもないのに頑張っているので、夢があると答えてくれたんです」

 安田は池田代表とスーパーフォーミュラ参戦の話をまとめると、スーパー耐久第6戦岡山のレースウイーク中、大草にSF参戦のチャンスがあることを伝えた。「顔は真っ青になってました(笑)。当然ライツも乗ってない、GT500も乗ってない、テストも無しでいきなりぶっつけ本番で鈴鹿ですから当然ですよね」と安田は振り返る。

「『このチャンス、やるか?』と聞いて、やらないと言ったらレーシングドライバーじゃないとは思いますが、そこから毎日眠れなかったらしいです」

「でも彼には仕事を手伝ってもらって人間力も上がっていましたし、ひょっとしたらうまくいくかも……と思って契約させてもらったんです。鈴鹿のレースウイーク、金曜日に僕は仕事をキャンセルしてフリー走行を観にいきましたが、意外と速かったんです。そこで安心しましたね。予選でもセクターベストを出しましたし、決勝もしっかり走ってくれました」

 初めてのスーパーフォーミュラ、しかもレースウイークがいきなりのぶっつけ本番だったが、大草が印象的な活躍をみせたのはご存知のとおり。その後、12月のSFテストではクラッシュしてしまうことになるが、最終的にModulo Nakajima RacingからGT500デビューを勝ち取ることができた。

「めちゃくちゃ喜んでいましたしたね。ホンダのスカラシップに落ちて、もう一度同じホンダのチームで自分の夢にチャレンジできることになりましたから」

「大草は以前僕のチームでカートを戦っていましたが、正直あまり目立つところはなかったんです。弱さもすごくありましたし、一度ウチから離れたんです。自分のところから離れたドライバーをもう一度面倒みることはあまりありませんでしたが、こうして成功してくれましたし、もう一度スーパーフォーミュラにも乗って欲しいと思います。これからは自分の力でSFのシートを掴んで欲しいと思いますし、そのためのマネージメントをしたいと思っています」

2023スーパーフォーミュラ第8戦&第9戦鈴鹿 大草りき(TGM Grand Prix)
TGM Grand Prixの池田和広代表と安田裕信。大草のSF参戦時、HIROTEXロゴがミラーに入れられた。
2024スーパーGTセパンテスト Modulo Nakajima Racingからテストに参加した大草りき。初日の帰りがけに取材、撮影させていただいた。

■安田がマネージメントするドライバーが続々とシート&スカラシップを獲得

 大草のマネージメントをスタートさせる一方で、安田は自身のカートチームであるHIROTEX RACINGから戦っていたふたりのマネージメントを手がけることになった。2023年、チームから戦っていた加藤大翔と洞地遼大だ。

「ふたりはHIROTEX RACINGとして、ヨコハマとダンロップの開発で一年契約で乗せたのですが、すごくふたりとも筋が良かったんです。どちらもHRS(ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)でやりたいと言っていたんです」と安田は語った。

「ただこの世界はうまくいけば良いですが、練習プランなどぜんぜん分からない部分がある。ご両親も不安があって、この世界で成功しやすく、才能を四輪でも100%出せるような手伝いがしたいと、練習プランを考えたり、語学についても留学させたりしていました」

 安田の助力もあり、加藤が主席、洞地が次席でHRSのスカラシップを獲得した。

「結果的にふたりが主席と次席になってくれたので、時間もお金もかかりましたが、めちゃくちゃ嬉しかったです。彼らのおかげで、僕のカートチームの子どもたちも夢を見るようになってくれたと思います」と安田は、ふたりの活躍が次に続くドライバーたちに繋がると言う。

 さらに2024年に向けては、FIA-F4の参戦サポートプログラムである『FIA-F4 JAPANESE CHALLENGE』の6代目チャレンジドライバーとして、GPRカートで活躍してきた熊谷憲太が選ばれた。熊谷もHIROTEX RACING出身のドライバーだ。大草がGT500、加藤と洞地がHRSスカラシップ、熊谷がFIA-F4と、安田が育ててきたドライバーが続々と未来へのきっかけを得ている。

「自分はレーシングドライバーをやっている頃からこういうことをしていますけど、お金もかかるし、人のことだから止めようと思えば止められるんです。でも、やりきってやろうという気持ちがあって。スポンサーも就いていただいたのでできている感じです。今年みんなシートに繋がって嬉しかったし、やってきたことが間違っていなかったな、と感じています。早くみんなに稼いでもらって、楽をさせてほしいと思ってるんですが(笑)」と安田。

「今は加藤と洞地がうまくいったことで、もっと年齢層を低くいっているんです。いま契約している子は小学生ですが、その子たちがうまくいくように導きたい。逆に、必要がなければ言ってほしいですし。もちろん失敗例もあります。でも大草のように、若い時は失敗したけど、挽回できるということも自分も勉強できたんです」

「自分が子どもたちの才能を見分ける自信はあるんです。自分なりにジャッジできるようになってきましたし、親御さんにも『F1ドライバーになるのは厳しいですが、このくらいにはなれます』と言うようにしています。そうでないと自分でプランニングもできないですし、例えば『スーパーGTに出たい』という子もいます。それも良い夢だと思いますし、いろんなスタイルの子を見られるようになればと思っています」

 今後もマネージメントを継続していくべく、安田はHIROTEX RACINGに加えて、『HIROTEX MANAGEMENT』というマネージメント会社を立ち上げた。一期生が大草で、加藤、洞地と続いていく。さらに、スーパー耐久でナニワ電装 TEAM IMPULから参戦する大木一輝も、安田が育て星野一樹と相談して託している。

「一樹さんとは、カートでPONOS HIROTEXと別枠でIMPULとHIROTEXをコラボさせていただくことになりました。IMPULはやっぱりみんなが憧れるチームですし、一緒にやってほしいとお願いしました。だからカートですけど、四輪を夢見ることができる体制を作りたいと思っています」

ホンダレーシングスクール鈴鹿・フォーミュラクラスの2023年度スカラシップを獲得した加藤大翔(主席)、佐藤琢磨プリンシパル、洞地遼大(次席)
2008年、GT300チャンピオンを獲得した星野一樹と安田裕信
2024年にIMPUL HIROTEX RACINGから参戦する北中一季と星野一樹、安田裕信

■四輪の世界で成功するためのマネージメント

 レーシングカートで成功していても、四輪に上がるとまた違う世界が待っている。カートで得た経験をうまく活かせず、四輪でメーカーのスカラシップを受けることができなかったり、スカラシップを得てもプレッシャーからうまく実力が発揮できないこともある。四輪に上がったら、社会性も求められる。安田が目指すマネージメントは、カートから四輪を目指す若者たちに、四輪の世界でもしっかりと実力を発揮できるように導いていくことだ。

「まわりから言われてやるのではなく、子どもたちに『どういう風になりたい?』ということを聞くようにしています。モータースポーツって、お金があれば好きなことができますが、無いなら速くないと無理なんです。レーシングカートをお父さんのお金でやってきて、すぐに四輪にいっても、プレッシャーに負けて実力が出せずに終わってしまうんです。だから僕はカートの頃から子どもたちにプレッシャーはかけますし、大人とのコミュニケーション、挨拶など、『自分を応援してもらいたい』と思われるドライバーにしておきます。そこからメーカーのオーディションを受けても、速いだけでは受かってもチャンスを失う可能性もあると思うので、一年一年が大事な世界だと思います」と安田は自身の考え方を語る。

「レーシングドライバーって、時間と資金をかけたらタイムは出ますけど、その後成功するかしないかは人間性もありますからね。だからウチは小学生から敬語を使わせますし、そこは徹底しています。自分が20代の頃は言わなかったんですが、この歳になってきて、いろんなチームにお世話になって助けられて、早いうちにできる子とできない子では違ってくると思います」

 安田がこうした考え方に至った理由はなんなのだろうか……? 大草はもちろん、現在トップドライバーとして活躍する牧野任祐をはじめ、多くのドライバーが安田への感謝を口にすることが多い。もともと後輩の面倒をみたいタイプなのだろうか。

「なんですかね。世話焼きというのも違うかもしれません」と安田は笑顔をみせた。

「自分がカートで育って、相談相手もいないまま四輪に入って、自分もスカラシップを獲りましたけど、チャンピオンじゃないとF3に上がれなかった時代なんです。そこで自分は一度レースを辞めたんですが、ニッサンで復帰できたんです」

「誰かが言ってくれていたら、その前にもっと努力できていたかもしれない。ほとんどの人がそうなると諦めようとか、両親にも『社会人でやりなさい』とか言われるかもしれないですよね。でも、何かに才能がある子を辞めさせるのはすごくもったいないと思うんです」

 自身が経験した苦労を、後輩ドライバーたちに味わせたくない。そして資金などの理由で若い才能を潰したくない。安田が手がけるマネージメントは、そんな思いから来ている。

「任祐のときは特にそうでしたね。トヨタのスカラシップに受かったのに、家庭の事情で辞めざるを得ないと聞いて、すぐにオファーして、プランを立ててやっていきました。その後彼は自分の力で上がっていきましたが、もちろんそういう時間も大事ですけど、世界はどんどん低年齢化している。カートから四輪に上がる一年一年が大事になってきますし、そういうところをストイックにいきたいと思っています」

洞地遼大にアドバイスを送る安田裕信

■夢はスーパーフォーミュラのチームをもつこと。そして……

 新たにドライバーマネージメントという分野に挑戦をスタートさせた安田。2024年に向けては、それが最高のかたちに結びついている。しかし目指す夢はまだまだ大きい。

「この先の僕の夢としては、自分がスーパーフォーミュラのチームオーナーになって、自分のカートチームのドライバーを乗せられるようにしたいです。そして、自分のところで育てたドライバーをF1に乗せたい。そのふたつがHIROTEXとしての今の夢です」

「みんなの才能のおかげでほとんどの子が出世してくれていますから嬉しいですけどね」

 レーシングカートから育てたドライバーが国内トップフォーミュラで戦い、さらには世界へ羽ばたいて欲しい。安田がHIROTEX RACINGで走らせているドライバーは、すべて安田自らが選びオファーしているドライバーたちだ。彼らをきちんとマネージメントし、育て上げる道筋を作りたい。世界と戦えるドライバーを世に出し、日本のモータースポーツの発展に繋がっていくのが安田の願いだ。

「世界で戦える準備をもっとしたいですね。カートで教えておいたことを、上に行って『あ、これ安田さんに聞いたことだ』と思い出してくれればと思うんです。でも、できている子とできていない子では一年が変わってくる。タイヤの使い方だって、フォーミュラに乗ってからではなく、カートで覚えることもできるんです」と安田は語った。

「もちろん、今のままでも日本のプロのレーシングドライバーは速いし成功もしていますが、では世界で何人成功するか……と言ったら、向こうでは10代で成功するくらいでないとF1に行けないと思うんです。カートのときから先を見越した教育をしていればスポンサーも就くかもしれないし、もっとみんなの夢が広がるのではないかと思っています」

「自分もまだまだドライバーとしてレースをしたいし頑張りたいですけど、今後日本のモータースポーツに少しでも貢献できることをしていきたいと思っています」

 安田は最後にこう言った。「スーパースターを作っていきたいです」と。

HIROTEX RACING時代の牧野任祐と安田裕信
HIROTEX RACINGからカートで育ったドライバーたちが、どんな成績を残してくれるだろうか。

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