三度の流産と不妊治療、不育症治療を経てようやく授かった子に知的障害が…。「私には育てられない」子育てで心が崩壊したことも

母親の美華さんと息子さんのTくん(当時2歳ごろ)。「息子は無発語で身振りもなくて…。でも、頑張れば普通の子と同じようにできると思い、療育に励み始めたころでした」(美華さん)

もし、待ちに待って誕生した赤ちゃんに障害があるとわかったら、あなたはどんな気持ちになり、どのような行動を行動を起こすでしょうか?

障害や発達に気がかりのある親子などを対象に講座や研修などを行う、一般社団法人『そーる』の代表理事で、小児発達専門看護師と保健師でもある佐々木美華さん(47歳)は、まさにその現実を突き付けられました。

今春から中学生になる息子さんのTくん(12歳)は中度知的障害の傾向が見られ、小学校は特別支援学級に通学。左手は動かしにくく、発語も十分とは言えません。
子育てで心が壊れてしまった時期もあるという美華さんに、Tくん誕生に至る経緯から3歳ごろまでの様子、ご家族の変化などについてお聞きしました。

特集「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

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生まれて1年は“生きてるだけでしんどかった…”

生後まもないころのTくん。「生後すぐ何かしらの障害があり、成長発達に影響がでる可能性があると新生児科の先生から示唆されました」(美華さん)

「乳幼児健診に仕事で携わった経験があったので、3歳ごろまでの標準的な発達はわかっているつもりでした。でも、息子は初めからあまりにも違っていて…。まっさらな状態で手探りの子育てが始まりました」(美華さん)

美華さんは3度の流産を経験。不妊治療と不育治療を経て、ようやく息子さんを授かりました。

「妊娠初期から不育症の治療で自己注射を打ったり、妊娠8週で大出血したり…。重いつわりや切迫早産などもあって、“死産するんじゃないか…”と心配が絶えない妊娠生活でした」

子宮筋腫の手術歴のある美華さんは、予定帝王切開での出産を予定していました。しかし、想定外のことが起こってしまいます。

「予定帝王切開の前に陣痛が来て、妊娠36週4日で緊急帝王切開になってしまって…。無事に出産はできたのですが、誕生した息子は2380gの低出生体重児。なかなか産声を上げず、呼吸が不安定で耳の位置は低く、口蓋裂もあり、心臓には穴が空いていて…。すぐに保育器に入りました」(美華さん)

美華さん自身も分娩後、まさかのトラブルに見舞われます。

「胎盤が子宮に癒着して大出血してしまって、分娩後すぐに子宮と両方の卵巣を摘出しました。初めは意識がなく、息子に障害があると知ったのは、出産から少し経ってからでした。先生からは顔つきが少し気になると言われ、詳しく検査をすることになったんです。
その結果、染色体には異常はありませんでしたが、成長とともに発達に遅れが出る可能性があると宣告されました」(美華さん)

Tくんに障害があると聞いたときの心境を、美華さんはこう話します。

「価値観や考え方などは人それぞれですが、子どもを授かると夢を持つ方が多いんじゃないかなと思うんです。たとえば“健康で生まれて来てほしい”とか“賢い子に育ってほしい”とか。
私も同じように夢を持っていました。でも、障害があると聞いた瞬間、価値観がひっくり返されて…。それまで抱いていた夢がすべてなくなりました。
“私がこれまで選択してきたことは正しかったんだろうか?”と自分を責め、“この先どうしよう”と恐怖と不安に襲われました」

それから美華さんとTくんは、約1カ月の入院生活を経て退院します。

少しの物音で目を覚まし、寝返りに違和感も…

8カ月ごろのTくん。「当時の私は、周りの子に追いつかせようと必死だったんだなと思います。(美華さん)

術後から、美華さんには手のけいれんや慢性疲労のような状態が続いていたこともあり、Tくんの子育ては美華さんの実家で始まりました。

「幸いにも母乳はよく出たので、搾乳してあげていたんです。でも、息子は吸う力が弱く、口蓋裂もあってうまく飲めずで…。口蓋裂専用の乳首も試したんですが、なかなか合うものがなくて、1回に3時間かけて授乳していました。それでも体重が増えて欲しい一心で頑張って授乳していたら、少しずつ飲めるようになって。離乳食もよく食べてくれたので、1歳ごろには息子なりに体重も増えて。ひとまず安心しました」(美華さん)

ところが、Tくんにはほかにもさまざまな気がかりがあったそうです。

「ちょっとした物音でもすぐ起きて、“キーキー”とつらそうに泣いたり、うまく呼吸ができなくてチアノーゼになることもたびたび。実家の両親や私のきょうだい、週末は夫も来てみんなでお世話していました。体つきはふにゃふにゃでやわらかいのに、背中の緊張が強くて動きにくそうで…。“首がすわったかな?”って思ったのは5カ月のころでした」(美華さん)

とくに違和感があったのは寝返りだったそうです。

「2カ月くらいのときに背中を反って反射的にひっくり返るような動きをしたんです。
“体全体をうまく使えてないし、なんかおかしいな”って。でも、そのときは“寝返りできた!”って喜んでたんですが、やっぱり早すぎるし気になってしかたなくて…」

このとき、美華さんはどのような心境だったのでしょう?

「出産した病院で運動機能に遅れが出ると言われていたので、頭ではわかっていたんです。
でも、自分の子に障害があることを受け入れられなくて、“そんなはずはない!2歳、3歳になったら追いつく”って、あえて見て見ぬふりをして…。その反面、“寝返り 気になる”などと検索して現実を見て恐怖を感じたり。

小児神経内科は定期的に受診していて、定期健診も行きましたが、“様子を見ましょう”と言われたり、身体測定をしてもらうくらいで…。3歳ごろまでは、確定診断を受けていないこともあり、目の前の息子の現実を受け止められずに過ごしていました。

何をどうしていいかまったくわからない子育てと、口蓋裂の治療や小児神経内科の通院、両方の卵巣を摘出した影響から来る手のしびれや倦怠感、慢性的な寝不足なども重なって…。あのころは生きてるだけで本当にしんどい時期でした」(美華さん)

約1年の里帰りを経て2人は自宅に戻りますが、Tくんへの気がかりはさらに膨れ上がります。

歩けない、話さない、まねしない…

Tくんが1歳代のころ。

自宅に戻ると、美華さんは週3回ほど仕事に復帰、Tくんも保育園に通い始めます。

「息子は1歳半になっても歩けず、医師の勧めで運動リハビリを始めました。2歳半で歩けるようにはなりましたが、体幹が弱くて姿勢を保ちにくいなと…。そのころ、精神運動発達遅滞と正式に診断がおりました」

とくに苦労したのはTくんとのコミュニケーションだったと言います。

「表情とか泣くくらいしか意思を出せなかったので、気持ちを汲み取れないこともしょっちゅう。息子はそのたびにかんしゃくを上げたり、泣き続けて…。聴覚と触覚が過敏で、おむつ替えのたびに大泣きしたり、あお向けの状態が苦手で布団に寝かせられなかったり…。1歳半ごろまでは夜中2時間おきに起きていたので、私もいっぱいいっぱいでした」(美華さん)

美華さんはTくんを連れ、気分転換に子育て支援センターに出かけますが、さらにストレスを溜め込んでしまいます。

「無意識に同年代のお子さんと比べてしまうんです。たとえば、“ほかの子は話してるのに、うちの子はひと言も話さない…”って。息子の発達の遅れを見るのが辛くて、足が遠のくようになってしまいました」

「息子は動物好きになって動物園や水族館などにもよく行きました。芝生の上など、はいはいできる環境であれば、歩けるようになるまではいはいさせていました」(美華さん)

“普通に近づいてほしい”療育に勤しむ日々

Tくんが2歳代のころ。「当時から絵本が好きで読み聞かせをしたり、リハビリではボールプールで遊んでいました」(美華さん)

Tくんが2歳になると、美華さんは療育に力を注ぎ始めます。

「できることは何でもやろうと、あらゆる療育に参加しました。週1回自宅へ専門の先生に来てもらったり、自治体主催のグループ療育に週2回通ったり、民間が運営する療育に参加したり…。
まだ歩けない息子をリビングに座らせて、モノの名前や“はーい”“ちょうだい”などのまねを教えたりもしました。当時を振り返ると、必死だったんだなと思います」(美華さん)

会社員のパパは仕事で忙しく、頼れるのは週末だけ。美華さんは子育てを1人で抱え込んでしまいます。

「家族のために夫が一生懸命に働いていることはわかっていたので、遠慮して助けを求められなくて…。その結果、子育てや家事を1人で抱え込んでイライラして。誰にも相談できずにいたら、心が壊れてしまったんです」(美華さん)

突然過呼吸になったり、涙が止まらなくなったり…。美華さんは心療内科に通うようになります。

「息子が3歳になるころでした。当時の私は自分の感情をコントロールできなくなってしまって…。3歳児健診も、ほかのお子さんと息子を比べるのがつらくて行けないほど、余裕がなかったんです。私が追い込まれるたびに、実家の両親は片道約3時間かけて駆けつけてくれました。でも、高齢だし負担をかけるのは申し訳ないなって…」

大変な状況の中、美華さんは考えてある行動を起こします。

「“働き方を変えてもらえないか”って夫に相談しました。そうでもしないと、家庭が崩壊する寸前だったんです。息子も成長するにつれてパパとのかかわりが大事になるだろうし、産後から続く私の手のしびれや倦怠感も気になって。助けを求めました」

パパは出退勤の時間を調整したり、泊まりの出張を減らすなど、子育て優先の働き方にシフトします。

「息子の保育園の送迎を夫婦で交代でしたり、決まった時間に帰宅して息子のお世話や家事をしたり…。とても協力的になってくれました」(美華さん)

「動物園や水族館も好きで、大きくなった今も動物園は大好きで。パパとよく足を運んでいます」(美華さん)

助けを求めたら気持ちがラクに

パパの働き方が変わると、美華さんにも変化が起こります。

「また1人で抱え込まないように、地域のファミリーサポートなどに協力を求めました。
私と息子が2人でいると、行動療法などが中心になりやすくて…。たとえば“お菓子が欲しくて泣き続けても、もらえない”その代わり、“ちょうだいという身振りや絵カードを渡すともらえる”って息子が認識できるようにかかわってしまって、つい厳しい対応になりがちで…。
なので、私以外の方が接してくれたほうが息子ものびのび楽しく過ごせるかなと思ったんです」(美華さん)

週1回、夕方1~2時間の間、ファミリーサポートの手を借りると、美華さんとTくんにいい兆候が表れます。

「私と2人でいるときより、息子の表情は明るく楽しそうでした。私も少し離れたことで、息子の成長を客観的に見られるようになって。じっくりと息子にかかわってくださった、ファミリーサポートの方には、感謝の気持ちでいっぱいです」(美華さん)

療育や保育園の先生に相談したり、療育で知り合った親子との交流を深めたり。パパや両親などのサポートも受けるうちに、美華さんはさらに前向きになったそうです。

「いろいろな方にかかわってもらったら、肩の力を抜いて子育てできるようになりました。
それまでは“私が育てなきゃ”ってがむしゃらな感じでしたが、“私じゃなくても大丈夫なんだ、1人で抱え込まなくていいんだ”って気づいたら、精神的な負担が減って心が軽くなりました。気持ちに余裕ができたら、息子のことが心底かわいいと思えるようになって。自然に笑顔も増えていきました」

親子コミュニケーションも一歩ずつ前へ

Tくんとのコミュニケーションに使っていた絵カード。

苦心していたTくんとのコミュニケーションも少しずつ前進したそうです。

「3歳ごろになって指差しするようになると、絵カードや文字盤を使ってやりとりできるようになって。息子が何を必要としているかがわかると、コミュニケーションがだいぶラクになりました。たとえば冷蔵庫にジュースを描いたカードを貼って、息子が指を差したら実物を渡したり。そんなやりとりを繰り返すと、息子も“欲しいものが手に入る”とわかってきて。自然にコミュニケーションも増えるようになりました」

Tくんとのコミュニケーションに使っていた文字盤。「息子は正確に文字を指しにくいので、一つ一つの文字が大きい文字盤は小学校入学後も重宝しました」(美華さん)

美華さんも自身に目を向けられるようになったそうです。

「意識して自分の時間をつくって、バランスボールなどの運動をしていくと、体調がよくなっていきました」(美華さん)

同じ悩みを持つ親子の居場所をつくりたい!

体調が整ってくると、療育で知り合った親子との交流もさらに盛んになった美華さん。
みんなで何気なく話したことが、現在の活動につながるきっかけになったと言います。

「“子育て広場に行くと、落ち込んだり、つらい思いをするよね”っていう話題が出て。
私も同じ経験をしたので、気持ちがすごくわかりました。中には、“行くのがイヤ”とか、“イヤな思いをするだろうから行ったことがない”“行こうと思わない”なんておっしゃる方もいて…。
本来なら、子育て広場ってほかの親子と交流したり気分転換できる、親子の居場所の一つでもあるのに、悲しいし悔しいなって。そのとき、“同じ悩みを持つ親子が集まって楽しく過ごせる場所がないなら、地域に作ればいいんじゃないか”って思いました。さらに欲を言えば、子どもの発達をサポートするようなこともできたらいいのに…って」(美華さん)

早速、美華さんは協力者を探し、Tくんが通っていたリトミック教室の先生と一緒に活動を開始します。

「月1回、障害のある0歳から2歳のお子さんとその親御さんが気軽に集まれる親子サロンをボランティアで始めたんです」

美華さんは地道な活動と準備を進め、2019年、『親子発達応援サロンそーるきっず』を立ち上げます。後編では、『そーるきっず』の活動内容やTくんの最近までの様子などについてお届けします。

取材協力・写真提供/一般社団法人親子発達サポートそーる 取材・文/茶畑美治子、たまひよONLINE編集部

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月の情報であり、現在と異なる場合があります。

一般社団法人親子発達サポートそーる 代表理事 佐々木美華さんプロフィール

小児発達専門看護師・保健師・一般社団法人親子発達サポートそーる代表理事。一児のママ。
1976年生まれ。大阪府出身。名古屋市在住。大手企業にて産業保健師として勤務後、保健センターで乳幼児健診に携わる。心療内科、産婦人科などで20年以上にわたり看護職に従事。並行して大学院にて多文化子育てサークルの可能性について研究。2009年、修士課程修了。不妊・不育治療を経て2011年、男の子出産。2019年、親子発達応援room Saule(そーる)立ち上げ。
バランスボールインストラクター取得、NPO法人ベビーボディバランス認定講師、BBA(ビルディングブロックアクティビティ)講座修了、PECS(絵カード交換式コミュニケーションシステム)レベル1ワークショップ修了、NPO法人あっとわん ソーシャルプランナー療育コース修了、発達支援コーチ初級中級修了、JABCベビーマッサージ2級講座修了、障害児向けタッチセラピーインターン、
発達障害の理解と発達遊び・身体的アプローチ(初級)講座修了。乳幼児の発達などに関する数々の講演に登壇。新聞、FMラジオなどのメディアからも注目を浴びる。2023年、著書「一歩、また一歩。(Amazon kindle出版)」を出版。現在は障害福祉事業所のアドバイザーや研修講師、乳幼児発達健診の現場で保健師としても活躍中。

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