夫婦で守る伝統の焼き餅 創業137年・長崎の「老舗菊水 大徳寺」 届け続ける幸せの味

協力して焼き餅を作る松本さん夫婦。建物も道具も材料も創業当時からほとんど変わっていない=長崎市、「老舗菊水 大徳寺」

 巨木のそばにひっそりとたたずむ古民家。「1人前4個 ¥700円」。古い看板がかけられた無人の窓口に声をかけると、奥の部屋から松本久良子さん(85)が笑顔で現れた。「ちょっと待っときます?」

 明治20(1887)年創業の「老舗菊水 大徳寺」(長崎市西小島1丁目)。久良子さんは3代目として名物「大徳寺焼餅」を60年間、作り続けている。作り置きはせず、熱々を提供するのが創業当時からのこだわりだ。
 注文を受け、久良子さんは材料や道具が並ぶ焼き釜の前に腰を下ろした。生地をこね、こしあんを包み、年季の入った手で丸く整える。それを代々受け継がれている重さ3キロの鉄型で焼いていくのだが、焼き釜の上で何度もひっくり返す作業は見た目以上に力が必要だという。
 60年分が蓄積し、昨年、久良子さんの右腕が悲鳴を上げた。腕に力が入りにくくなった久良子さんをサポートするのは夫の利治さん(90)。退職後の70歳からあんこ作りなど裏方として手伝ってきたが、今は表にも立つように。久良子さんが成形までを担い、利治さんが焼き上げる、文字通り「二人三脚」の形にたどり着いた。
 道具や作り方は創業当時から変わらず、材料もほぼ同じ。久良子さんは「この前、50年ぶりに買いに来たという人がいて『(味が)変わらないね』って喜んでくれて」と話し、笑いながら続けた。「だって、材料だけでなく、焼く人も変わってないんだからね」
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 この場所で生まれ育った利治さんが記憶を思い起こした。かつては餅屋が隣り合って3軒並び、丸山遊郭の遊女たちの姿がたくさんあったこと。長崎原爆が投下された時、「菊水」は全ての窓を全開にしていたため、爆風が家屋の中を抜け、大きな建物被害を免れたこと。高度成長期には眼下にある銅座のキャバレーがにぎわい、酔客でごった返していたこと。
 社会や街の風景はすっかり変わってしまったが、菊水だけは時が止まったように当時のまま。だからこそ「残したい」と夫婦は強く思う。常連の一人で生家が近くにあった歌手の美輪明宏さんも数年前、店に立ち寄り「ここだけはそのままに」と願いを語ったという。
 1人前が4個の理由は、「食料が少なかった戦前からの名残」だと久良子さんが教えてくれた。物価高で材料費は上昇しているが、値上げはしていない。利益よりも伝統。利治さんはそう言った。
 「おいしい」「また食べたくなって」。そんな言葉がうれしくて、火曜日以外は夫婦で店を開ける。でも、天気が悪ければ無理はしない。肩肘張らず、二人三脚で守る味。経営は楽でないため、今のところ、後につなぐことは考えていないというが、「体が動く限り続けたい。生きがいですから」と二人の声は明るい。
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 10分ほどで焼き上がった大ぶりの焼き餅をほおばると、あんこの優しい甘さが口いっぱいに広がった。この幸福感を味わいたくて、思い出したくて、常連客は何度も足を運ぶという。
 大徳寺焼餅はきっと、昔から変わらないこの場所の空気を吸い込んで初めて完成する-。二人の話を聞いて、そんなことを考えた。冷たい風が吹き抜ける。樹齢800年超の大きなクスノキの葉がぶつかり合い、サワサワと存在感を示した。

焼き上がったばかりの大徳寺焼餅
樹齢800年超の「大徳寺の大クス」のそばにひっそりとたたずむ=長崎市

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