現地には行けないけれど…能登半島へ軽トラ寄贈 東北などでの経験、知識生かし「路地裏の復興」支える

「東北の被災者と支援者をつなぐ会」の高田哲郎さん(右から2人目)らが購入した軽トラック=5日、埼玉県小鹿野町下小鹿野

 長年、東日本大震災の支援活動を続けている秩父を中心としたボランティア団体「東北の被災者と支援者をつなぐ会」のメンバーが、能登半島地震の被災地支援へ向けて動き出した。募金で集めた支援金で中古の軽トラック数台を購入し、被災地へ寄贈する。埼玉県小鹿野町在住で同会代表の高田哲郎さん(89)は「狭い道路の崩壊や分断の影響で、奥地まで支援が行き届かないのが、自然災害復興に共通する最大の障害。小回りが利く軽トラックで、路地裏の復興に役立ててほしい」と、現地支援者へ思いを託す。

 高田さんは国語教師として37年間、小鹿野町内の中学校に勤務。1990年代に全国各地の教員仲間らと、同会の前身となる「中国の山村の子どもたちに学校を贈る会」を創設し、約20年にわたり中国の児童計1800人を援助してきた。2011年3月以降は東日本大震災の復旧復興活動に切り替え、宮城県の気仙沼市や南三陸町、岩手県陸前高田市などに赴き、物資運搬などを行ってきた。

 高田さんが東北の被災地を訪れたのは計126回。昨年、南三陸町内の過疎地にある慰霊公園に、犠牲者数と同じ49本のボタンを植えたのを一区切りに、活動の休止を考えていた。その矢先、能登半島で地震が起きた。

 「能登の復旧の進捗(しんちょく)は連日報道されているが、報道の目の届かない過疎地ほど支援が届かず、悲惨な状況にある」と、高田さんは東北支援の経験を踏まえて語る。「日赤などを通じて集められる義援金は、行政の大規模な復興計画には資するが、路地裏の今日明日の支援にはつながりにくい」。当時、東北の小さな町の復旧作業で、最も必要とされていたのは、損壊家屋などの撤去作業や物資運搬に最適な軽トラックだった。

 5日現在、1台約30万円の軽トラック2台を購入済みで、3台目の発注をかけた。計8団体、56個人から寄付金が集まったほか、かつて支援してきた中国の孫兄弟から、「能登の復興に役立ててほしい」と25万円が届いた。高田さんは「20年ほど前にまいた種がこのように育ってくれた」と、喜びをかみしめる。最初の寄贈先は珠洲市内に決定した。運搬方法は現在調整中という。

 会員一同(現在約150人)、現地で支援したいという思いが強いが、メンバーの高齢化が進み、体力的にも難しいのが本音。被災地に暮らす仲間も、「人手は欲しいが、来てもらっても寝室や食事場の確保ができないので、軽トラックを贈ってほしい」と望んでいる。

 高田さんらは今後も関係者らに声をかけ、4台目の軽トラックと、被災地で品薄なブルーシート購入に向けて募金活動を続ける。メンバーの1人、秩父市の大海七重さん(83)は、知人一人一人に思いを込めた直筆の手紙を送り、支援金を募っている。「すぐに役立ち、目に見える相手に直接手渡せる支援方法なので、みんなに勧めやすい」と話していた。

 同会への寄付に関する問い合わせは、高田さん(電話0494.75.2002)へ。

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