コタツ記事量産のスポーツ紙、自分で自分の首絞める

安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

・元スポーツ紙の社長が、「コタツ記事」を量産する古巣を批判。

・ワイドショーや著名人のSNSだけを元にしており、報道とは呼べないと批判。

・スポーツ紙(その親会社である新聞含め)が、本来の存在意義を取り戻すラストチャンスだ。

週刊文春に面白い記事が載っていたのですぐ目にとまった。

題して、三浦基裕「スポーツ紙のコタツ記事が恥ずかしすぎる」|松本問題「私はこう考える」(2月28日)だ。(週刊文春電子版だと「初回登録は初月300円でこの続きが読めます」と書いてあるが、なぜかYahoo!ニュースの文春オンラインだと全文読める)。三浦氏とは、2011年まで日刊スポーツ新聞社の社長を務めた方だという。

古巣の日刊スポーツの松本人志氏に関する記事を「コタツ記事」として痛烈に批判したのだ。

コタツ記事とは、SNS上の情報やテレビ番組の内容だけを元に書かれた記事をいう。コタツの中にいても書くことができる程度の中身のない記事、と揶揄する表現だ。

自分が社長だった会社の事を批判するのだからよほど腹に据えかねたのか、厳しい言葉が並ぶ。

三浦氏は、松本人志氏の報道に関してスポーツ各紙に膨大な量の関連記事をアップしていることに触れ、「そのほとんどが報道と呼べる代物ではありません」とバッサリ。テレビのワイドショーを見ただけで書いた記事ばかりである事を批判した。

さらに、「他媒体や著名人のSNSからの『パクリ記事』になっており、「もはや報道機関とは呼べません」と断言した。

PV数を増やすために現場は上から指示されているのかも知れないが、最近のコタツ記事の多さは目に余る。

そもそもワイドショーの一部や、芸能人のSNSの情報をそのまま記事にしているウェブメディアは無数にある。さらにその記事を転載しているメディアまである。もう無法状態といっていい。

こうした手法は実はテレビのワイドショーも同じだ。もう何年も前から朝のワイドショーは朝刊各紙をボードに貼り付け、スタジオでアナウンサーが棒線を引っ張った箇所を読み、コメンテーターがそれについてあーでもないこーでもないと、毒にも薬にもならないような話をするのが常になっている。その当時から新聞の著作権はどうなっているんだ、という声は一部にあったものの、新聞各紙も取り上げてくれるならまあいいか、と思ったかどうかは知らないが、テレビ局を訴えたという話はついぞ聞いたことがない。

とにかく、新聞各社は、結果として自分で自分の首をしめてしまった。紙の新聞を購読している人は年々減り続け、必然的に折り込み広告の価値も下がってしまったのだ。

いずれにしてもコタツ記事ばかり量産しているようだと、スポーツ紙の存在意義が無くなるという三浦氏の危惧は分かる。だから餃子を売るスポーツ新聞社が出てくるのか、と妙に納得してしまうが、このままで良いわけもない。

スポーツ紙(その親会社である新聞も含め)が、どうしたら本来の存在意義を取り戻せるのか、立ち止まって考えるラストチャンスのような気がする。でも、もう手遅れかも知れない。

なぜそう思うかって?

その答えは、とある新聞記者に系列のスポーツ紙のコタツ記事について筆者が「あれってどうなの?」と振ったときの彼の返事にある。

「だってアレ、PV伸びるんだよね」。

(了)

トップ写真:イメージ(本文とは関係ありません)出典:Taiyou Nomachi/GettyImages

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