岩手県陸前高田市のコミュニティセンターの黒板に東日本大震災が発生した13年前に書かれた文字が今も残されています。施設を管理する男性の思いを取材しました。
海から6キロほど離れた山間部。陸前高田市矢作町にある下矢作地区コミュニティセンターの管理室の壁の一角に、行事予定を記す黒板があります。
書かれているのは3月の予定表です。
(下矢作地区コミュニティ推進協議会 佐々木倉雄 事務局長)
「震災の3月11日の時の予定表をそのまま残しておいたわけです」
黒板の文字は13年前のもの。2011年の3月11日の予定は午前中に高田第一中学校の体育館の落成式と市のコミュニティ推進協議会の連絡会議、とあります。
センターの事務局長を務める佐々木倉雄さんはその両方に出席し、午後、海にほど近い商業施設で買い物中に大地震に遭遇しました。
「もうすごかったですよ。そりゃあそりゃあ、あれです。車もボンボンボンボン跳ねるような感じ」
佐々木さんはすぐに矢作町に戻り、緊急避難場所に指定されているセンターの鍵を開けました。
「津波が来たということで避難した方が次々とこのコミセンに来ました」
避難してきたのはおよそ300人。その年の8月13日に閉鎖されるまでの5か月間、被災者が身を寄せました。
「これを見るとやっぱり当時のことをしっかり思い出すっていうか」
薄れつつある当時の記憶をつなぎとめるのがこの黒板です。
「これはもう永久に消さないつもりではいたいなと」
佐々木さんは13年前のままの黒板を通して伝えたいことがあります。
「震災そのものを知らない子どもたちとかに風化させない、大人たちがよく教えてやるっていうか、そういうのが大切かなと思ってます」
黒板は小さな遺構として、震災の記憶を後世に伝え続けていきます。