20代で不妊症と診断され、特別養子縁組で42歳で女の子の母に。「私がママって言っていいのかな・・・」と葛藤も【元アナウンサー・久保田智子】

公園で遊ぶ何気ない日常には、笑顔があふれています。(映画『私の家族』より/©TBS)

TBSアナウンサーとして活躍して、現在は「TBS NEWSDIG」編集長を務める、久保田智子さん。久保田さんは、特別養子縁組で女の子を家族に迎えています。20代で不妊症と診断され、38歳でテレビ局勤務の夫と結婚、42歳で3人家族になるまで、久保田さんにはさまざまな葛藤があったと言います。
特別養子縁組で子どもを迎えた自身の体験をドキュメンタリー映画『私の家族』にした久保田さんに話を聞きました。久保田さんはこの映画で初監督を務め、ナレーションも自ら担当されています。
全2回インタビューの1回目です。

特別養子縁組制度で迎えた長男は6歳に。第2子長女を家族に迎えて思うこと【瀬奈じゅんインタビュー】

20代で妊娠できないと知り、育児雑誌の表紙を見るのもつらかった時期が

久保田さんが、妊娠できにくい体であると知ったのは20代のとき。TBSアナウンサーとして活躍しているときでした。

――20代での婦人科受診をしたときのことを教えてください。

久保田さん(以下敬称略) 私は20代のときに生理不順で産婦人科を受診したところ、医師に「妊娠は無理だと思ってください」と言われました。まさかそんなことを言われると思わなかったので、とにかくショックでした。不妊症という診断でした。

そのころはアナウンサーとして仕事が忙しく、結婚する予定はなかったのですが、「結婚して、子どもを産んで家族を築く」という生活が、私にも当たり前に存在すると考えていたので、本当にショックでした。

そのころは「もう子どもがいる生活は望めないのかな?」「子どもがいるシングルの人と結婚したらいいのかな?」「私は家族をもつことができないのかな?」と、もんもんと考えていました。考えれば考えるほど、つらくなってどんどん自分を追い込んでいきました。
書店でふと『たまごクラブ』『ひよこクラブ』を見かけると、表紙を見るだけでつらかった時期もあります。

彼に「子どもは授かれない」ことを伝えても、前向きな返事が

夫の前向きで、ノリノリな明るい性格にひかれ、38歳で結婚。(映画『私の家族』より/©TBS)

久保田さんは、1つ年下の彼と38歳で結婚。夫・のりさんは、他局で政治部の記者をしています。

――結婚したときのことを教えてください。

久保田 夫とは取材の現場で知り合い、私が38歳のときに結婚しました。交際期間は数カ月と短かったです。
つき合い始めたころから「私には、子どもができない」ということは伝えていました。夫は何事にもポジティブな性格です。「子どもができない」ということを悲観していた私と違い、気にする様子はまったくありません。
「そっか・・・。ふ~ん」ぐらいな感じです。そして、「一緒に考えていこう」と言ってくれました。

――特別養子縁組という制度についてはいつごろ知ったのでしょうか。

久保田 「妊娠できない」と知ってからです。子どもが授かれないからこそ、子どもをもつことに執着するようになってしまっていて・・・。結婚して、自分が母になるにはどういう選択肢があるのかいろいろ考えて、調べている中で、特別養子縁組という制度があることを知りました。

特別養子縁組とは、さまざまな事情で生みの親が子どもを育てられない場合に、子どもが家庭環境の中で健やかに育つことができるように育ての親に託す、子どものための制度です。生みの親との親子関係は解消され、戸籍上も育ての親の実子となる制度です。

――夫・のりさんとは、特別養子縁組についてはどんな相談をしましたか?

久保田 つき合っているころから夫は、ニューヨーク赴任が決まっていました。私も後から、一緒にニューヨークで暮らすことになりました。夫と生活を共にしている中で、「ここに子どもがいたらどんな感じかな?」と考えるようになり、夫に「特別養子縁組で子どもを迎えることを考えたい」と伝えたのですが、夫は初めは慎重で「ていねいに考えていきたい」と言いました。

子どもを迎え入れるということは責任重大です。夫の気持ちはよくわかります。私自身も夫婦2人の生活で十分楽しかったので「なぜここまでして私は子どもがほしいんだろう?」と自問自答した時期もありました。
いずれにせよ、ニューヨーク赴任中の状況では日本の特別養子縁組の説明会の参加や登録などは困難ですから、ニューヨークで生活している中で、本当にどうしたいのか話し合いを重ねました。

――特別養子縁組のあっせん団体は、どのようにして選びましたか。

久保田 日本に戻ったら、特別養子縁組の説明会に行こうと考えて、インターネットなどでいろいろ調べてはいました。
そしてある民間のあっせん団体に決めて、説明会に参加し、6日間の研修を受けました。
特別養子縁組は、子どもを迎えるときだけでなく、その後もずっと団体や担当者とつながっていきます。もし親子関係に悩んだりしたときも、相談にのってくれたりもします。
私の場合、縁があって、とてもいい担当者に出会えたと思います。
もし、特別養子縁組を考えるなら、あっせん団体選びは慎重に行ってほしいと思います。さまざまな団体が集うフォーラムなども開催しているので、まずは足を運んで情報を集めることをおすすめします。

民間あっせん団体で研修を受けて、わずか1カ月ほどで赤ちゃんを迎える

特別養子縁組で生まれたばかりの赤ちゃんを迎えに。(映画『私の家族』より/©TBS)

久保田さんは2019年に、特別養子縁組で赤ちゃんを迎えました。急な展開だったと言います。

――特別養子縁組で赤ちゃんを迎え入れるまでのことを教えてください。

久保田 一般的にはあっせん団体の説明会に参加して、子どもを迎え入れるための研修を受けます。私も同じで、先にお伝えしたように6日間の研修を受けました。
研修を受けてから、子どもを迎えるまでの期間はそれぞれですが、わが家の場合は、数週間で「もうすぐ出産のお母さんがいます。もしそのお母さんが特別養子縁組を希望した場合、迎えられますか」というような連絡がありました。
「特別養子縁組となるかどうかはまだわからないので、赤ちゃんを迎える準備は、まだしないでください」ということも言われました。出産後、状況が変わることもあるからとのことでした。

それから数日後、再び担当者から連絡があり「赤ちゃんが無事に生まれました。お母さんの気持ちは変わらず、特別養子縁組で赤ちゃんを託したいと言っています。4日後に退院予定ですが、指定する医療機関に迎えに来てください」と言われました。
連絡を受けてからの数日間はめちゃくちゃ忙しかったです。赤ちゃんの衣類や肌着、紙おむつ、べビーベッド、哺乳びん、ミルクなどを、ネットで調べながら買いそろえました。

――赤ちゃんに初めて会ったときのことを教えてください。

久保田 あっせん団体の担当者から連絡をもらった4日後、生まれたばかりの赤ちゃんを病院に迎えに行きましたが、あまりに急なことで心がついていっていないよう感じでした。
赤ちゃんを初めて抱っこしたときは「かわいいな~」と思うものの、現実とは思えずにまるで夢の中にいるようでした。
でも、少しずつじんわりと、今までに味わったことがないような幸福を感じました。
直感的な夫は、「理屈じゃなくかわいいいい!」と言っていました。

血がつながっていなくても家族。特別養子縁組への理解を深めたい

お散歩中の久保田さんとはなちゃん。(映画『私の家族』より/©TBS)

ドキュメンタリー映画『私の家族』は、特別養子縁組で、娘・はなちゃんを迎えた日からの5年間の記録です。

――はなちゃんを迎えて、大変だったことはありますか?

久保田 出産という赤ちゃんとの共同作業を経験していない私と、はなが親子でいいのだろうか? そしてはなにとっては私たちが親でいいのかな? と考えたこともありました。「ママごっこ」をしているだけなんじゃないかな? と考えたこともあります。
でも泣いているはなを抱っこすると泣きやむし、ミルクをあげるととってもよく飲んで、そしてよく眠ってくれる・・・。そうした時間が幸せで、何をしても、どんなお世話をしても楽しくてたまりませんでした。

――映画の制作は、はなちゃんを迎えたばかりのころから考えていたのでしょうか?

久保田 当初は映画のことは考えていませんでした。娘と一緒に、いつか見たいな、娘の成長の記録として残しておきたいな、と考えて娘を迎えた日から毎日、動画か写真を必ず撮ると決めて残しています。膨大な量です。

――映画の始まりの浜辺のシーンが印象的です。

久保田 映画にしようとして撮りためたわけではない、私たち家族の記録映像がベースになるので、家の中や近所の公園など近い動画が多かったんです。だから広い空間を感じられる映像を映画用に撮影したくて、江の島でのドローン撮影を決めました。
改めて考えたら、江の島、鎌倉の海は夫との初デートの場所でした。あのときは夫と2人で歩いていたけれど、そこに娘が加わって3人になったことが感慨深いです。

――映画を制作しようと思った理由を教えてください。

久保田 一つは特別養子縁組について、社会の理解を深めたいという思いがあったからです。最近は、特別養子縁組で子どもを迎えた夫婦が、顔を出してコメントする場が増えてきましたが、まだ特別養子縁組は特別視されていると感じます。私が夫と特別養子縁組の説明会などに参加したのは、2018年ですが、当時もなんとなく実態が見えなくて、子どもを迎え入れることや、その後の親子関係などに不安を感じました。そうした不安のために、子どもを迎えたくも、一歩前に踏み出せない人もいると思います。
この映画を通して特別養子縁組への理解が深まってほしいと思います。

お話・監修/久保田智子さん 協力・写真提供/TBSテレビ 取材・文/麻生珠恵、たまひよONLINE編集部
©TBS

2023年4月、こども家庭庁の発表によると、保護者のない児童など社会的養護が必要な児童は約4万2000人にのぼります。久保田さんは「特別養子縁組は、子どもが健やかに成長するための、子どものための制度です」と言います。司法統計年報によると、特別養子縁組の成立件数は、2021年は683件でした。ここ数年は600~700件を推移していて、約10年前より約1.5倍に増えています。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年2月の情報であり、現在と異なる場合があります。

『私の家族』

久保田智子さんは、子どもを授かることができず、2019年に特別養子縁組で新生児を家族に迎えた。 「ママとパパが大好き」。そう笑う2歳になった娘に、久保田さんは「もう一人、生みの母もいるんだよ」と話しかける。“真実告知”という、子どもに出自を伝える時期に入り「 娘にちゃんと話したい」と、久保田さんはある後悔から、強くそう思っていた。家族の過去と向き合い、産んでも育てられなかった女性との交流を重ね、たどり着いた“真実”と伝え方とは…。

久保田智子 初監督映画『私の家族』は「TBSドキュメンタリー映画祭2024」にて上映。2024年3月15日より東京、大阪、名古屋、京都、福岡、札幌の全国6都市で順次公開。

『私の家族』予告編

TBSドキュメンタリー映画祭2024|TBSテレビ

© 株式会社ベネッセコーポレーション