『i ai』富田健太郎×堀家一希対談 マヒトゥ・ザ・ピーポーと作り上げた“現実を超えた虚構”

マヒトゥ・ザ・ピーポー初監督作品『i ai』が3月8日に公開された。バンド「GEZAN」のフロントマンであり、小説執筆、俳優、フリーフェス、反戦デモの主催など幅広い分野で活動を続けているマヒト。映画『i ai』は、彼自身の実体験を交えながら、主人公のバンドマン・コウ(富田健太郎)と、コウが憧れるヒー兄(森山未來)、ヒー兄の弟でバンド仲間のキラ(堀家一希)、ヒー兄の恋人・るり(さとうほなみ)などが織り成す青春群像劇となっている。

詩的な言葉、赤を強調した映像美も印象的な『i ai』の撮影を担当したのは、写真家・佐内正史。吹越満、永山瑛太、小泉今日子など、実力派の役者陣も本作の世界観を彩っている。

リアルサウンド映画部では、コウ役の富田健太郎、キラ役の堀家一希の対談をセッティング。兵庫県明石市を中心に行われた撮影の日々、マヒト監督とのやりとりを含め、「ガーンと頭を殴られる感覚だった」という映画『i ai』について語り合ってもらった。

●心に刻まれたマヒトゥ・ザ・ピーポー監督の言葉

ーー富田さんはオーディションで参加者3500名から主役のコウ役に抜擢されました。どんなオーディションだったんですか?

富田健太郎(以下、富田):台本の一部をいただいて、それをもとにした現場での芝居です。

堀家一希(以下、堀家):コウ役は別のオーディションもあったよね? 最後に呼ばれてたでしょ?

富田:うん。映画の最後のほうにコウの独白の場面があるんですけど、(マヒト監督に)そこを見せてほしいと言われて。その時点では自分の解釈が合ってるかわからなかったんですけど、すごく刺さる台詞なんですよ。

堀家:しかもオーディションの時点でしっかり覚えてたね。じつは僕もコウ役を狙ってたんですけど、監督に「キラだよ」と。

富田:俺は当時はキラ役を狙ってたんだよね。自分の性格にはそのほうが合うかなと思ってたんだけど、「コウ役でお願いします」と言われて、ビックリで。

堀家:そうなんだ(笑)。

富田:そういえば撮影に入る前に二人で話したよね。

堀家:あったね。ひたすら役とか物語について話して。(富田が)手作りパスタを食べさせてくれました(笑)。

ーー堀家さんが『i ai』の脚本を読んだときの印象は?

堀家:最初は「難しいな」と思いました。詩的なセリフもあるし、どういう意図や発想で書かれているのかを自分なりに読み解いてみたんですけど、出来上がりの予測がぜんぜんできなくて。

ーーコウ、キラもそうですが、“どんな環境で育って、どんな生き方をしてきて”といった背景が劇中ではほとんど説明されてないですよね。

富田:そうですね。もちろん自分のなかでコウの人生観みたいなものは考えていたんですが、それよりも実際の撮影のなかで感じたものが大きかったです。キラもそうだし、るり姉、バンドメンバー(キラ、コウを中心に結成された劇中バンド「THE POP SHIT」)との日々だったり、何よりもヒー兄というカリスマ的な人が作っていく現象や軌跡を目撃することで、僕らもいろんなものを受け取って。それがすべて記録、記憶として残ったという感覚があるんですよね。マヒトさんと佐内さんが明石や神戸の空気を無邪気に感じていたのも印象に残ってます。その瞬間に起きること、そのときの空気感や匂いを敏感に捉えていたというか。

富田健太郎

堀家:そうだね。キラの場合は、ヒー兄という圧倒的な存在の兄がいるというのがまず大きくて。僕自身も優秀な兄を持ってるんですけど……。

富田:あ、そうなんだ。

堀家:すごく頭がよくて勉強もできて。僕はそれを尊敬してるし、「カッコいいぜ、ウチの兄貴」くらいに思ってるんですけど、キラはヒー兄と比べられたり、劣等感みたいなものも抱えてる気がしたんです。「俺の兄貴、すげえだろ」と敬いつつも、「俺も見てくれよ」という気持ちだったり、ちょっと距離を取ってるところもあるというか。るり姉に「(キラは)どっか寂しそうな顔するよね」みたいなことを言われるシーンがあるんですけど、バンドメンバーで楽しくやってるときも、少しだけ浮いて見える感じになるように意識してました。

富田:確かにキラはそうだよね。

堀家:そんなキラを引っ張ってくれるのがコウだったりするんですよ。キラが引け目を感じてると、「いこうぜ!」って。

ーーなるほど。富田さんが演じたコウは、ヒー兄と出会ったことをきっかけにバンドを組み、さまざまな経験をしながら成長・変化していきます。

富田:最初はマヒトさんとヒー兄がリンクしている気がしてたんです。GEZANのライブも何度も観させてもらったんですけど、ステージに立って、きれいごとじゃない部分もすべて表現し続ける姿を観ると、圧倒的に惹かれるんですよね。そのなかには“敬う”みたいな感覚もあったんですが、撮影のなかで「それじゃダメだな」と思うようになって。映画のなかでは途中でヒー兄がいなくなって、コウは一人残されてしまう。そこからはヒー兄から受け取ったものを咀嚼して、自分の足で生きていかないといけなくなるんです。

ーーヒー兄とコウ、マヒト監督と富田さんの関係がどこかでつながっていたと。

富田:今思い出したんですけど、撮影のときに「マヒトさん、ヒー兄じゃん」と言ったことがあって。そしたら監督は「俺はコウでもあるから」って言ったんですよね。マヒトさんにも強いところと弱いところーー人間の点滅というかーーがあるし。そういうことも撮影のなかで少しずつわかってきましたね。ただ、マヒトさんから「こうしてほしい」という直接的なディレクションはなかったんです。脚本の言葉の奥に内包されている感情については、すごく話してくれたんですが。

ーー撮影中のマヒトさんの言葉のなかで、印象に残ってるのは?

堀家:何だろう? 感覚としては覚えてるんだけど、明確な言葉というのは……言いたいことわかる?

富田:すごくわかる。言葉の奥にある感情や感覚みたいな話が多かったから。僕が一つ覚えてるのは「“向こう側”は自分の首の振り一つで現れる」という言葉ですね。コウは「ヒー兄が見えていた景色が自分には見えていない」とちょっと諦めていたんだけど、境界線みたいな明確なものはじつは存在してなくて。視点や感覚を変える、つまり“首の振り一つ”で自分もそこにいけるっていう。そういう“跨ぎ”みたいなものをマヒトさんは言っていたんじゃないかと。僕自身、そこまで考えが至るまでにかなり時間がかかりました。コウも同じというか、「自分の言葉を持ちたいけど、持てない」という足掻いてて。

堀家:……マヒトさんから言われた言葉、思い出しました(笑)。「もっと堀家を見せろ」って言われたんです。映画の最後の方で、コウとキラが二人で歩いてる場面があって。その撮影の前の日にLINEで「お前自身が見たいんだよ」と。難しいなと思ったけど、それまでの撮影も踏まえて、腑に落ちる感じもありましたね。

●“好き”で全部を越えていくバンドの魅力

ーー『i ai』は虚実が混ざっているというか、まさに境界線がなくなるような感覚もあります。撮影していて楽しかったシーンは?

堀家:バンドのメンバーと部屋でパーティしている場面ですね。4人でピザ食って、ビール飲んで、花火して。部屋のなかがすごい匂いになってました(笑)。

富田:(笑)。ピザとビールに火薬の匂いが混ざって。

堀家:撮影の最終日だったんですよ。

富田:そうそう。それまで悩みとか葛藤もあったんですけど、このシーンは「楽しもう!」って感じになって。THIS POP SHITのメンバーと一緒のシーンは全部楽しかったですね。

堀家:演奏シーンとかね。

富田:そうそう。クランクインして最初のシーンが、メンバーと一緒に屋上で音をかき鳴らす場面だったんです。撮影が終わったときに、近くの海辺にいた子供たちが「アンコール、アンコール」って言ってくれて。「え?」と思ってそっちを見たら、少年たちが手を繋いで「もっとやって」って。

堀家:急遽、もう1回やろうと。

富田:全然バンドに慣れてなくて、本当に組んだばっかりだったんですけど、アンコールをもらった瞬間、シビれちゃって。「バンドって最高じゃん!」って身体で思いました(笑)。

堀家:そうだね。安直だけど「バンドやりたい」って。

富田:じつはギターをちょっと練習してたことがあって、バンドやりたいなと思ったこともあるんですよ。でも、それこそGEZANのライブを観ると「簡単な気持ちでやっちゃダメだな」と。

ーーTHE POP SHITもそうですけど、勢いで始められるのもバンドの魅力だと思いますけどね。

富田:確かに。“好き”で全部を越えていくというか、上手いとか下手とか関係ない根底の魂の叫びという感じもありますよね。THE POP SHITのメンバーとも撮影前に何回かスタジオに入ったんです。でも、実際に撮影がはじまったら「これはもう気持ちでいくしかないな」と。脚本にもそういうメッセージが込められていると思ったし、このバンドにしか出せない良さ、鮮度があるんじゃないかなと。

堀家:映画じゃなくて、THE POP SHITの話になってるけど大丈夫そう?

富田:堀家と一緒だと、撮影の時に戻ってバンドメンバーと話してる感じになっちゃうのかもしれない。

●『i ai』は虚構が事実を越えてくる瞬間がある

ーー完成した『i ai』を観たときはどんなことを感じましたか?

堀家:最初に言ったように(脚本を読んだ段階では)どういう映画になるのか想像できなかったし、モヤモヤした感じがあったんですが、完成した映画を観たときは頭をガーンと殴られた感覚がありました。自分の小ささを知ったというか、「こんなに大きいものに挑んでいたのか」と。自分自身の反省点も含めて、ドカーンと一発デカいのを食らいました。

ーー大きな衝撃を受けた、と。

堀家:そうですね。映画館で観てくださる方もたぶん、デッカイのを食らうんじゃないかなと。「このセリフが」とか「このシーンが」とかもちろん人によっていろいろあると思うんですけど。

富田:食らうよね。僕自身はまず、明石とか神戸で過ごした時間が一瞬で戻ってくる感じがあって。映画は基本フィクションじゃないですか。『i ai』は虚構が事実を越えてくる瞬間があるんですよね。こんなにも生々しさを感じる映画に、僕自身もこれまで出会ったことがなかったんですよ。そういう意味でも堀家が言った「頭を殴られる感じ」というのもよくわかります。ただ、簡単に言葉にすることができなくて。

堀家:うん。

富田:生と死だったり、霊性を帯びているところもありますからね。現実なのか虚構なのか、その微妙で曖昧なところを行き来するなかで、観ている人も“自分”という存在がそのなかに入り込んでしまうような映画だと思います。

ーー最後のコウの独白によって、「これはあなたたちのことなんだ」という気持ちにさせられます。

富田:スクリーンから出てきちゃってますよね。

堀家:劇場で上映のたびに本当にスクリーンから出てきちゃえば?

富田:(笑)。あの場面は「コウなのか富田健太郎なのか」という感覚もあって。オーディションのときは「自分の解釈が合ってるんだろうか?」と思ってたんですが、THIS POP SHITのメンバーとの日々、ヒー兄との日々、いろんな景色や感情が自分のなかに入ってきて、独白の言葉の意味合いが変わっていったんです。結局答えは出てないんですけど、あの一瞬に出てきたものがすべてなんだろうなと。

ーーラストシーンのすごさは、ぜひ映画館で味わってほしいと思います。『i ai』はまだ何者でもなく、衝動やエネルギーだけが渦巻いている若者を描いた映画でもあると思います。お二人はそういう経験をしたことはありますか?

堀家:今でもありますね、それは。「こういう役をやりたい、こういう芝居をしたい、こういう作品に出たい、こういう監督とやりたい」というのはいくらでもあるんだけど、もちろんなかなか叶わなくて。だけど「何とかしたい」という強い気持ちがずっとあって……今も昔もそれは同じですね。

富田:わかる。始めたときは真っ新な状態だし、無限の景色が広がってたんだけど、(役者としてのキャリアを重ねるにつれて)どんどん具体性を帯びてきて。

ーー現実が見えてくる?

富田:そうですね。それでも続けられるのは、ギラついた部分があるからだと思うんです。そういうふうに生きていたいと思うし、『i ai』の撮影中もずっとそうでしたね。役者って面白くて、「はい、今からこの役です」と言われてパン!と切り替えられるほど器用な動物ではない気がするんです。どうしても普段の個人としての時間で感じたことも出てくるし、ずっと試されているような感覚もある。だからこそ衝動やエネルギーが必要。それは役者に限らず、誰にでも当てはまることだと思っていて。それぞれ職業や環境は違っても、模索して、足掻きながら進んでるはずだし、だからこそ『i ai』のストーリーはいろんな人に刺さると思うんです。詩的なセリフや映像を含めてアートの要素もかなり入ってるけど、それは何も難しいことではなくて。生と死、出会いと別れもそうだし、普遍的なテーマを持った映画なのでいろんな人に観てほしいです。

(取材・文=森朋之)

© 株式会社blueprint