「みんなでファミリーになろう」刑務所で広がる獄中者たちの交流の輪 女性受刑者には全国から手紙が殺到

獄中者たちから筆者に届いた手紙。手紙に押される検閲印は、収容先の施設ごとに違う(筆者撮影)

筆者はこれまで、刑事施設(刑務所や拘置所)に収容された有名、無名の様々な獄中者と面会や文通をしてきた。その中で気づいたのが、社会的な注目を集めた著名な獄中者には、他の獄中者と文通するなどして交流している者が多いことだ。その実例を振り返ると、獄中者たちの交流の輪の意外な深層が浮かび上がった。(ノンフィクションライター・片岡健)

●著名獄中者同士の知られざる交流

著名な獄中者が他の獄中者と交流している実例に筆者が最初に直面したのは、2008年頃のことだった。筆者は当時、冤罪を訴えて最高裁に上告中だった和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚(62・当時は被告人)とその収容先の大阪拘置所で面会したり、手紙をやりとりしたりしていた。

ある日、筆者は面会中に林死刑囚からマスコミ相手に訴訟をしようと考えていることを明かされ、こう聞かされた。

「八木さん、マスコミに訴訟して勝ってるんやて」

「八木さん」とは、1999年頃に大きく報道された本庄保険金殺人事件で冤罪を主張しながら死刑判決を受けた八木茂死刑囚(74・当時は被告人)のことだ。死刑確定者は親族や弁護人など一部の者以外とは面会や文通ができないが、当時は林死刑囚、八木死刑囚共にまだ裁判中で死刑判決が確定しておらず、手紙をやりとりできたのだ。

林死刑囚は当時、獄中者を含む様々な人から多数の手紙をもらっていたが、八木死刑囚と手紙をやりとりしていたことはこの時初めて知った。八木死刑囚からマスコミ相手の名誉毀損訴訟で勝訴していると聞き、自分もやりたいと考えたような話しぶりだった。

実際、林死刑囚は死刑確定後、マスコミ相手に名誉毀損訴訟を次々と起こすようになった。そして勝訴したことがしばしば報道されてきたが、筆者はそのたびに八木死刑囚のことを思い出した。ただ、八木死刑囚の訴訟実績を判例データベースで調べたところ、マスコミ相手の名誉毀損訴訟を複数起こしていたことはわかったが、勝訴した判決は見つけられなかった。

●著名な女性獄中者には全国の男性獄中者から手紙が殺到

著名な女性獄中者は林死刑囚に限らず、他の獄中者から多数の手紙をもらう傾向があるようだ。筆者がそのことを知ったのは、2013~2015年頃、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚(当時は被告人)と面会や文通をしていた中でのことだ。

昨年(2023年)1月、収容先の広島拘置所で食べ物をのどに詰まらせ、窒息死した上田死刑囚(享年49)は、筆者が面会や文通をしていた頃は冤罪を訴えて裁判中で、松江刑務所で収容されていた。

「接見禁止がとれた時、それまでに届いていた手紙を何百通も交付されたんですが、刑務所や拘置所の人から届いた手紙がいっぱいあり、びっくりしました」

上田死刑囚は面会中、そのように言っていた。全国の獄中者から手紙が届くことに悪い気はしなかったようで、マメに返事を出し、何人かとは文通もしていた。

当時、上田死刑囚は獄中者たちから届いた手紙を見せてくれたこともあったが、その全員が男性で、筆者は獄中の人間模様をかいま見た思いになった。要するに著名な女性獄中者のもとには、交流を希望する全国の男性獄中者たちから手紙が殺到するわけだ。

もっとも、2017~2018年頃、「後妻業」と呼ばれた関西連続青酸殺人事件の筧千佐子死刑囚(77・当時は被告人)と面会や文通をしていた頃には、男性獄中者から手紙が届いているという話は聞かなかった。林死刑囚や上田死刑囚が裁判中、30~40代の年齢だったのに対し、筧死刑囚は逮捕された時点で60代後半の年齢だったので、男性獄中者からあまり関心を持たれなかったのかもしれない。

●「みんなでファミリーになろう」紹介によって広がる獄中者たちの交流の輪

死刑判決を受けながら昨年12月にガンで死亡した名古屋夫婦殺害事件の山田(旧姓・松井)広志被告人(享年49)の最期について、筆者は同被告人が獄中結婚していた女性・山田睦子さん(48)に取材して記事を執筆し、2月25日、弁護士ドットコムニュースで配信された。

記事では、睦子さんが元々、寝屋川中1男女殺害事件の溝上(旧姓・山田)浩二死刑囚(53)と獄中結婚しており、離婚後、溝上死刑囚の養子になっていた山田被告人と再婚したという複雑な人間関係を紹介した。

筆者は、存命だった頃の山田被告人や、裁判中だった頃の溝上死刑囚(当時は被告人)とも面会や文通をしていたので、この2人の周辺で複雑な人間関係が形成された事情もある程度理解している。その事情とは、溝上死刑囚が他の獄中者との交流に積極的な人物だったことだ。

山田被告人は生前、溝上死刑囚と養子縁組した経緯について、「浩二(溝上死刑囚のこと)は『みんなでファミリーになろう』と言って、僕を含めて色んな人(獄中者)に声をかけていました。それで僕も養子になったんです」と語っていた。溝上死刑囚が実際に何人の獄中者とファミリーになったのかは不明だが、大分刑務所で懲役30年の刑に服している男性獄中者も誘っていたという。

また、逮捕時は山田姓だった溝上死刑囚が現在の姓になったのは、睦子さんと離婚後、それ以前から養子縁組していた女性の姓に変えたからだ。この女性がどういう人なのかは不明だが、溝上死刑囚にとってはファミリーの一員なのだろう。

溝上死刑囚のような他の獄中者との交流に積極的な人物が1人いれば、その周辺でおのずと獄中者同士の交流の輪が広がっていくわけだ。

●獄中者たちに取材する者も獄中者たちの交流の輪の一員に…

同じ刑事施設で収容された獄中者同士で文通していた例もある。たとえば、前橋高齢者連続殺傷事件の土屋和也死刑囚(35)と浜名湖連続殺人事件の川崎竜弥死刑囚(40)がそうだった。

2人はいずれも裁判の控訴審以降、東京拘置所で収容されていた。筆者は、裁判中だった頃の2人と同時進行的に面会や文通をしていたのだが、ある時、土屋死刑囚(当時は被告人)から届いた手紙に、〈川崎氏と接見したそうですね〉と書かれており、この2人が文通していることを知った。

そこで、土屋死刑囚と面会や文通をしたことをもとに書いた雑誌記事のコピーを川崎死刑囚(当時は被告人)に送ったところ、今度は川崎死刑囚から届いた手紙に、〈彼(土屋被告)イケメンなんですね!!〉と書かれていた。川崎死刑囚は私が送った記事に載った土屋死刑囚の写真を見るまで、土屋死刑囚の顔を知らずに文通していたわけだ。

この経験を通じ、筆者は改めて意識させられたことがある。それは、様々な獄中者と面会や文通をするなどの直接的な取材をしていると、自分自身が獄中者たちの間で話題にされるということだ。筆者のような取材者も獄中者たちの交流の輪の一員になりえる存在なのかもしれない。

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