さよなら、炊事…あらゆるキッチン家電を手放し「普通の食卓をやめた」ことで起きた奇跡のお話

(※写真はイメージです/PIXTA)

『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、電子レンジ、フードプロセッサー、極めつけとして冷蔵庫まで手放しました。その結果、キラキラした料理本を参考にするなど凝った料理をつくる日々から、超ワンパターンな「地味メシ」を食べ続ける生活へと大きくチェンジ。食事がおいしくない、つまらない…という状況になると思いきや、贅沢なごちそうをあきらめたことで、「何もかもが手に入った」というのです。その理由を著書から一部抜粋してご紹介します。

メシ・汁・漬物…「代わり映えのしない食事」から生まれたものとは

ずっと自分は料理好きだと思っていたし、料理は楽しみであり趣味だと思っていた。だがこうなってみれば、たとえ楽しみだとしても、あまりにも常軌を逸した時間とエネルギーをそこにつぎ込みすぎていたことに気づかざるをえなかった。

しかも思い返してみれば、そこまでの多大なるエネルギーを料理につぎ込みながらも、私はいつだって新たな美味しいレシピを探していた。あれだけ努力しても、絶えず「もっと美味しいものがあるはず」と満たされぬ思いを抱え続けていたのだ。でも今は違う。

「メシ・汁・漬物」という食事を毎日食べるようになったら、飽きるどころか、そのご飯が楽しみすぎてハンパな外食などしたくない。私が一番好きな食べ物はコレだったのだと生まれて初めて気づいた。

私はこの簡素な食卓にいつも満足している。ここがまさに最終ゴール。どんな「美味しいもの情報」にも我が心はピクリとも反応せず。その平安、楽さ、余裕といったら!

ということはですよ。この全てをまとめますと、今や私は、面倒な炊事からスッキリと解放され、その結果、膨大な時間とエネルギーと平安を手に入れて、しかも、毎日究極にうまいものを食べているということになる。

さらに言えば、毎日同じものを食べていると「食べ過ぎる」ことがないのでダイエットとも無縁となり、しかも結果的にこの食卓はいわゆるバランスのとれた献立ゆえ超健康的。なので、美容やダイエット情報にも一切興味がなくなった。ここでもさらに時間とエネルギーと平安が生まれたのである。

追い求めていた「可能性」は自分が本当に求めていたものなのか

いやーこれってある意味「奇跡」なんじゃないでしょうか?

私は今や、時間も、エネルギーも、健康も、美味しさも、つまりは全てを手に入れたのだ。しかも努力して手に入れたわけじゃなくて、全ては努力を手放したことで手に入ったのだ。間違いなく自分が一番びっくりしている。

で、改めて、一体なぜこんなことが起きたのかを復習するとですね、ことの発端は、冷蔵庫をやめたことである。冷蔵庫をやめたことで、私は「日々ごちそうを食べる」という可能性を手放さざるをえなくなった。そこから、この奇跡の全てが始まったのだ。

そう「可能性」!

世の多くの人が当たり前に追い求めている「可能性」。それをあきらめた途端、全てが手に入ったという恐るべき事実!

このことをどう考えたら良いのだろうか。

思うに、可能性を追求すること自体に問題があるわけじゃないのだ。だが私が当たり前に追い求めていた可能性は、あまりにも小さな世界に偏っていた。

当時の私が夢見ていたのは、日々、昨日とは違うごちそうを食べ、広い家に住み、山のような服を毎日取っ替え引っ替え着る……という、お姫様のような暮らしがしたいという「可能性」である。でもそれは冷静に振り返ってみれば、実は自分自身が本当に求めていたわけではなく、際限なくモノを売るために誰かが意図的にこしらえた一つの物語にすぎなかったのではないだろうか。

自分で自分の欲の奴隷になる必要はない

もちろん、どのような物語を追い求めようが自由だ。お姫様になりたければそれも良し。しかし我らはふと我に返って考えなければならない。

お姫様は自分で家事をしているだろうか? もちろん、していない。お姫様の暮らしは、幾多の使用人がいてようやく成り立っているのである。

で、あなたの場合はどうだろうか。あなたが目指しているお姫様の暮らしを実現するために、幾多の使用人を雇うことができるだろうか。姫の暮らしを実現するのにお金を使うことが精一杯で、使用人を雇うお金など残っていないのが普通なのではないだろうか。ならば、誰が使用人になるのかというと、それは「あなた自身」ということになる。

それこそが、我らの家事がどうやっても楽にならない最大の理由なのではないだろうか。すなわち、我々は人生の可能性をポジティブに追い求めているはずが、いつの間にか自分自身が自分の欲望を叶えるための使用人になり、姫が欲を募らせるほどに、時間もエネルギーもどんどん吸い取られていくのである。

そこまでしても、つまりは姫と使用人の一人二役を担ってでも、自分は本当に本当の姫のような暮らしがしたいのかを今一度考えるべきである……などと言うと、何か夢のないことを押し付けているように思われるかもしれない。でも実はそんなことはないのだ。

「姫の食卓」をあきらめた私は、決して敗北はしなかった。

最初は敗北そのものと思ったが、そうじゃなかった。その先には思いもよらぬ別の世界が広がっていた。代わり映えのない地味で平凡な食べ物を、日々「美味しい」と思える自分がいたのである。つまりは、当たり前に今ここにある平凡なものの素晴らしさに気がついたのだ。

もちろん、その素晴らしさは今までだってちゃんとそこにあった。でも私はいつだって、今ここにないものを追い求めること、そう「可能性」を追求することに忙しすぎて、足元に目を向ける余裕なんてこれっぽっちもなかったのである。

「ここにはないもの」ばかり見てきた私。つまりは何も見てなかった私。

そんな人間になぜ幸せが見つけられるというのだろう。

可能性を捨てることは、今ここにあるものの素晴らしさに気づくこと。そこに気づくことさえできたなら、自分で自分の欲の奴隷になる必要なんて、つまりは大変な時間と労力をかけて家事を頑張る必要なんて全然ないのである。

稲垣 えみ子

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