「経験のなさが大事なところで出た」北澤豪が“ドーハの悲劇”を述懐

元日本代表MFの北澤豪氏が3月8日、鈴木啓太氏の公式YouTubeチャンネルに出演。“ドーハの悲劇”を振り返った。

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1994年、アメリカ・ワールドカップへの出場を懸けてアジア最終予選に臨んでいた日本代表は、勝利すれば本大会初出場が決まる最終戦でイラクと相まみえた。

試合では、開始早々に三浦知良のゴールで先制。後半に入り一度は追いつかれたものの、中山雅史の得点で2-1とリードし、終盤戦を迎えた。途中出場に備えながらベンチで戦況を見守っていた北澤氏は、勝利への自信を持っていたようだ。

「(1-0で勝利した前戦の)韓国戦から流れはできているから、流れ通り、この試合もいったなという入り。(オフサイドかどうか際どかった中山のゴールが)こういうのを認めてくれるって、完璧にいっただろうなと思った」

しかし、終了間際に相手にCKから同点弾を決められてしまう。

「経験のなさが大事なところで出た。中東の(チームが)、ああいうところでショートコーナーをやってくるという意外性も予測はなかった」

自身の出番がなかった点には「結果は結果だからしょうがない。俺もそこまでの信用を得られなかった」と語った。

日本サッカー史に残る“悲劇”を体験し、選手によって次への向き合い方が変わると痛感したという。

「世代によって違う。次と思える人と、これで終わったという人が出てくるわけで。ワールドカップに向けた思いは一緒かもしれないけど、世代によって感じ方は違うんだなと、あの時にすごく感じた。俺は『次しかない』としか思わないじゃん。それがあるから、今を消化できる。『次、頑張ろう』みたいな、切り替えどころ」

年上の選手に対しては「先輩たちが引っ張ってこない限りは、こんなシチュエーションは起きなかった。プロという扉も開かなかった」と感謝した。

そして、鈴木氏に大会を通じて得られたものを問われると、「やればそこまでたどり着けるんじゃないかという自信と、アジアを突破するまでに必要なもの。同時に世界、これまでの自分のハードルの設定から変わった。そういう設計ができた。いかないと、やらないと分からない部分が感じられた」と答えた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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