【3/9〜、福岡県筑後市】犬塚城・筑後海津城・城島城・生津城の御城印が販売開始

3月9日(土)より、川の駅船小屋 恋ぼたるにおいて犬塚城・筑後海津城・城島城・生津城の御城印が発売されます。

販売開始日:
2024年3月9日(土)

販売価格:
各400円(税込)

販売場所:
川の駅船小屋 恋ぼたる

群馬御城印プロジェクトの吉澤さんからコメントをいただけたのでご紹介します。

吉澤さんからのメッセージ

九州筑後に新しい御城印が登場します。

犬塚城

筑後犬塚城の築城は定かではございませんが、応仁の乱(1467年)の頃に鎮西探題渋川教直によって築かれたと言われております。
だが延徳三年に渋川氏は少弐氏と大友氏に攻められると犬塚城は落城してしまう。
その後、犬塚城は城主を度々変えるが、天正十五年に起きた「九州征伐」後に城は廃城となった、と言われております。※諸説あり

筑後海津城

永正5年に安武鑑政によって築かれた。安武氏は、鑑政-鎮政-政勝と続き、天正4年、3代政勝の時、肥後の龍造寺氏に攻められ落城し安武氏滅亡。その後や龍造寺氏の武将が城主を務めた。
正15年、秀吉の九州平定後、立花宗茂の所領となり家臣立花三右衛門が守将となるもその後慶長年間には廃城となった。
※諸説あり

生津城

1578年(天正6年)に大友氏が耳川の戦いで敗れると、筑後国の大友氏の勢力が衰える。その為、肥前国から龍造寺氏が侵攻。西牟田氏の当主だった西牟田鎮豊は、大友氏から離反して龍造寺氏に属したため、西牟田氏の居城だった西牟田城は大友氏より攻撃を受けるようになる。西牟田家周は西牟田城の防御能力に不安を感じ、1579年(天正7年)に新たに生津城を築いた。※所説あり

筑後地区を御城印で盛り上げていきたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします。

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