「航空発祥の地」かつての姿に…飛行場と駅結んだ「旭橋」の電灯を復元へ 所沢市、設計図や仕様書を発見

親柱に設置されていた電灯が復元される方針が決まった「旭橋」=6日午後、所沢市御幸町

 埼玉県所沢市は、国登録有形文化財「旭橋」(同市御幸町)に設置されていた電灯を復元する方針を決めた。当時の設計図面を基に、親柱に立っていた4基をよみがえらせる取り組みだ。かつて所沢に置かれた飛行場につながる道をつないできた旭橋。市は電灯を復元することで「航空発祥の地である所沢を体感してほしい」とし、2025年度の設置工事を目指す。

 旭橋は東川に架かる長さ10メートル、幅員12メートルの鉄筋コンクリート造りで、1本の桁を両端の2点で支える「単行橋」の構造を持つ。欄干は白色のタイルによって、連続するアーチ形が設けられている。

 1911年に完成した日本最初の飛行場「所沢飛行場」と、南側の所沢駅を結ぶ「飛行機新道」に建設された。当初は土橋だったが、飛行場の拡張に伴い物資の往来が増えるなどしたため30年、現在の橋に架け替えられたという。

 電灯は橋の両端に設けられた石製の親柱4カ所に設置されていた。「戦時中の金属供出で失われた」と伝えられ、台座だけが残された。詳細な当時の姿は不明で、市は旭橋の写真の提供を市民に呼び掛けてきた。しかし電灯に結びつくような写真は寄せられなかったという。

 一方、市が県行政文書を調査したところ、「親柱及装飾燈」とした設計図面(縮尺20分の1)をはじめ、架け替え工事の仕様書や日誌が見つかった。こうした資料の内容から、電灯にはダイヤガラスが6面に使われ、青銅が用いられていたことなどが確認された。

 架け替え工事は県の事業だったが、電灯を含む親柱の製作や取り付けの費用について、地元の所沢町が負担していたことも判明した。市は電灯について、当時の設計図の図面から型を起こし、復元する方針だ。市は2024年度の市当初予算案に事業費1274万円を盛り込んでいる。

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