『ブギウギ』草彅剛が繊細な演技で体現してきた羽鳥善一 その“変わらない”魅力とは

NHK連続テレビ小説『ブギウギ』に欠かせない人物、羽鳥善一(草彅剛)の「作曲二千曲記念ビッグパーティー」が開催される。その作曲歴も圧巻だが、余興として出演を依頼したスズ子(趣里)との関係も気がつけば長いものになっている。彼女が梅丸楽劇団(UGD)に参加したのが23、24歳頃であり第23週の時点では西暦1951年、つまりスズ子は36歳になった。羽鳥との間に12年間もの月日が流れたというわけだ。

UGDに入った頃のスズ子と今の彼女はかなり変わったが、羽鳥はどうだろうか。彼は常に自分の音楽的欲求と渇望を大切にしてきた。フィーリングと直感で伝えるようなコミュニケーションが癖で、出会ったばかりのスズ子も「ラッパと娘」の曲を覚える際に苦労していたのが懐かしい。思い返せば、最初は彼女に苦手がられていた羽鳥。しかし彼女自身が成長し、羽鳥に挑戦するような態度になったのがきっかけで二人のリズムが合っていった。この関係性は時間が経っても変わらず、物語の主人公であるスズ子が常に変わったり成長したりする立ち位置にいるのに対し、その師と言える羽鳥が最初から一貫した“変わらない”キャラクターなのは興味深い。

羽鳥における“変わらなさ”はいくつもある。例えばその話し方。他の登場人物とは違い、フラットなトーンで話す彼はそれ故に真意がどこにあるのか掴みづらく、話し方そのものがミステリアスなキャラクター造形に役立っている。草彅剛の繊細な演技がここで活かされていて、飄々とした羽鳥の態度の変わらなさも物語の良い味となっている。しかし、だからと言って彼の感情が伝わらないわけではないところが羽鳥の旨味であり草彅の絶妙な匙加減なのだ。

羽鳥の妻・麻里(市川実和子)は大阪から東京に来たばかりの羽鳥が自分の感性と違う音楽の仕事が多く、塞ぎ込んでいたが彼の立ち居振る舞いから悩みが(周囲に)あまり伝わらなかったことがあると話している。実際、悩むこともあるし動揺することもあって、それは例えばスズ子の母・ツヤ(水川あさみ)の危篤の知らせを受けてもステージに立ったスズ子を案ずる目であったり、終戦を迎えた敵地の上海で今後の自分を憂いながら朝から酒を啜る様子だったり、あらゆる場面で瞬間的に描かれてきた。第14週「戦争とうた」では音楽的であり彼自身の信念を熱く語る様子も。その不意に垣間見える彼の人間性を、草彅はセリフというより態度で瞬間的に生み出す。だから我々は彼を見るうえで気が抜けない、集中させられる演技なのだ。

羽鳥の変わらなさは、どんどんヒット曲を作り上げていく天才的作曲家としての側面以外、夫としての側面でも強調されてきた。妻の麻里に基本的に育児に関する全てを任せる様子は、スズ子が初めて自宅を訪れた第29話から変わらない。この回を見返すと、あの頃は羽鳥と麻里の間には長男のカツオしか子供がいなかったし、その後の放送で描かれた「父親の話し方を真似する」特徴もすでに初登場時から盛り込まれていて、改めて本作のキャラクター設定の細かさと正確さに驚かされる。

今や3人の子を持つ羽鳥だが、麻里が3人目を妊娠中の時に上海にいたり、スズ子が妊娠した際にも祝福はするも何も考えていない発言を繰り返していたりと、妻に子供のことや家事を任せっきりな状態は出会った頃から変わっていない。そんな彼の無邪気すぎる言動にツッコミを入れる麻里がいて、彼女が逆に現代の母親に寄り添った価値観のキャラクターだからこそバランスが取れているのもある。ここでも面白いことに、麻里は羽鳥が“変わらなくてもすむような”立ち位置にいる登場人物なのだ。

「この人、本当に音楽のこと以外何もできないし、興味もないのよ」

世の中がどんな状況でも、主人公のスズ子がどれだけ変わっても、師の羽鳥が羽鳥のままであり続けるからこそ彼女が感じられる安心感と信頼。物語において、つい成長しがちで変わりがちなキャラクターが多い中、彼の“変わらなさ”は大きな価値があるのだ。曲のインスピレーションが降りてきたらどんなところにいようがメモを取ることを優先してきたし、まるで子供のようにワクワクして作曲を続けてきた。時には曲がヒットしすぎて忙しくなったり、作曲に躓いたりする場面もあった。しかし、音楽の天才として羽鳥は“羽鳥”をやり続けていく。それがスズ子にとって、りつ子(菊地凛子)にとっての過去・未来・現在における支えなのだから。

(文=アナイス)

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