『さよならマエストロ』西島秀俊と芦田愛菜に訪れた和解の時 喪失と再生重ねる作劇の妙

『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)第9話では、父と娘に和解の時が訪れた。

晴見フィルは仙台で開かれるオケフェスにワイルドカード枠で出場が決定。最後のコンサートに選んだのはシューマンの交響曲第3番「ライン」。俊平(西島秀俊)の指揮者としてのデビュー曲であり、5年前、表舞台を去る直前に演奏した曲である。

第9話で取り上げる作曲家はシューマンとメンデルスゾーン。ロマン派の巨匠である2人の友情は広く知られている。シューマンが「ライン」を作曲する数年前にメンデルスゾーンと長男エミールは相次いでこの世を去り、失意の底にあったシューマンはデュッセルドルフに新天地を求めた。ライン川沿いの風景に触発された同曲はシューマン自身の喪失と再生から生まれた。

瑠李(新木優子)の先輩・朋花(ヒコロヒー)の紹介で練習場所を借りることができた晴見フィル。俊平が用意したスコアは「ライン」の他にもう1曲あった。第1話で、俊平が晴見フィルと初めて音合わせをした時の即興シンフォニー。シュナイダー(マンフレッド・W)から送られた旋律を重ねたアンサンブルは、まるで以前からそこにあって、この日のために用意されていたかのように奏でられる。それを聴く響(芦田愛菜)の胸中にさまざまな感情が去来した。

俊平は香川への帰郷で過去と向き合い、自身の原点を確認した。響は自らの足で踏み出した天音(當真あみ)に心を動かされ、音楽への情熱を取り戻しつつあった。響は大輝(宮沢氷魚)に5年前の出来事について語る。音楽に囲まれて育った響。俊平とメンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」を奏でることが響の夢だった。

天才少女と呼ばれた響が輝きを失い、壊れるまで自分を追い込んだ経緯は第5話で海(大西利空)が語った通りである。そのことと響が音楽をやめ、俊平が表舞台を去ったことはどのように結びつくのか。決定的な事実は伏せられており、本作最大のミステリーだった。あらためて響自身の言葉を通して明かされた真実は、本人にしか語りえない心の軌跡だった。

誰よりも愛し、尊敬する人から投げかけられた言葉はあまりにも残酷で、響の心身をさいなみ引き裂くのに十分だった。最後の舞台で響が感じた一体感、音楽との調和は、極限状態で残された力を振り絞って生まれた奇跡だったのだ。「今のが私の最高だったんだよ」。響の懸命な思いは父に届かなかった。

「マエストロが晴見に来て俺たちと出会ってくれたこと、それも運命なんじゃないかって思うんだよね」

ベートーヴェンの「運命」で幕を開けた本作はクライマックスに差しかかった。大きな円を描くようにそれまでの全てが有機的につながり、一つのシンフォニーを奏でる。ドイツで生まれたメロディに地方都市の市民オーケストラが音を重ねて、新たな生命を吹き込むように。長い時間を経て響と俊平は互いを許し合い、抱擁を交わした。鳴りやんでいた父と娘のハーモニーがふたたび響きはじめた。

父と娘の葛藤を繊細なタッチで描写する『さよならマエストロ』は、ロジカルな筋立て以上に、音楽に身をゆだねるように自然に湧き出す感情を味わうことでその魅力が鮮明になる。長台詞に乗せて心の想いを響かせた芦田愛菜と、無防備な自身をさらけ出した西島秀俊。親子の情愛という普遍的な感情を正面から表現できたのは、演じる役者への信頼あってこそだろう。

シュナイダーの手紙は俊平を思いやる言葉であふれていた。シュナイダーにとって俊平は失われた音楽への情熱を灯してくれた存在であり、俊平が戻ってくる日のためにシュナイダーは帰る場所を用意したのではないだろうか。「おかえり」の言葉が胸に沁みる『さよならマエストロ』は次週いよいよ最終楽章を迎える。

(文=石河コウヘイ)

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