悲しみの器

 歌人の大江昭太郎さんに年老いた母を詠んだ一首がある。〈かなしみを容(い)るる器の小さければ神はわが母にみみしひ賜(たま)ふ〉。「みみしひ」は耳が遠いこと、聞こえないことらしい▲悲しみを収める心の器が小さいので、もう悲話を聞かなくていいように、神様は母の耳を遠くしてくださったのだ、と。その母に限るまい。悲しみを盛る器の容量には、誰にでも限度がある▲能登の被災地から、器の悲しみがあふれる「今」が伝わる。元日、最初の揺れを感じて「仕事に行くね」と家を出た地元警察署の人は、直後の大地震で家が土砂にのまれた。妻子4人を失う▲とうに80歳を超えた女性が「この年で全て失った。どうしたものか分からん」と途方に暮れていた。心の器から涙が滴る日々に違いない▲東日本大震災から13年。天の高みにいる犠牲者たちが見たくない光景は二つだろう。一つは残された近しい人々が生き惑う姿。もう一つは災禍が繰り返されるさま。悲しいかな、厄災はまた起こり、人々は生き惑う▲きょうは13年前の「あの日」が語られ、能登に寄せる声も発せられるだろう。語る。聴く。手を合わせて悼む。いつ来るか知れない厄災に注意を怠るなと、自分の頬を軽くたたく。口と耳と手を用いる日であり、悲しみの器をいっそう思う日でもある。(徹)

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