ウド鈴木 × 伊東友香が語る、詩/短歌の優しい力 「終わりがあるから頑張れるし、周りの人たちへの感謝が生まれる」

何気ない日々の裏にある死という孤独は、生きている以上、誰からも切り離すことはできない。孤独があるからイライラもするし、不確かなものに縋(すが)りたい気持ちにもなる。あえて言葉にはしない人間の醜さや心もとなさを、伊東友香氏の最新詩集『神さまのいない場所で』(中央公論新社)は、日常的な情景とともにニュートラルに表現している。決して他人事とは思えない56篇の詩に、靄がかかっていた自分自身の心のうちが全て明かされたような気になってしまう。

誰もがインスタントに言葉を共有できる現代に、こうも「詩」が響いてくるのはなぜなのか。今回は伊東氏の希望により、昨年刊行された短歌集『ウドの31音』(飯塚書店)が話題となったお笑い芸人・きゃい~んのウド鈴木氏との対談が実現。ほのぼのとした天然キャラで、「天野く~ん!」と相方を慕うウド鈴木氏が短歌に込めた思いとは。詩がもたらす希望とは——。ふと本音に気づかされる、二人のピュアなやりとりに癒されてほしい。

■偽善も重ねれば本音になると信じて

——ウドさんは以前、伊東さんと詩人の黒川隆介さんがレギュラーMCを務める番組『イイコト!』(テレビ神奈川)にゲスト出演されたことがあるそうですね。

ウド鈴木(以下、ウド):そうなんです。言葉のプロであるお二人と詩の話をさせていただくのは本当に恐れ多かったですよ。僕は普段、「滑舌が悪くて何を言っているのか分からない」って番組のテロップも文字から音符や記号表記になったり、長年連れ添っている相方の天野くんや奥さんでさえ、理解不能な時が多々あるので、本来、言葉を紡ぐようなタイプじゃないですから。

伊東友香(以下、伊東):そんなことないですよ。現にこの歌集には、素晴らしい言葉がたくさん詰まっているじゃないですか。

ウド:いやぁ、とんでもないです。ありがとうございます。アハハ。

——伊東さんはウドさんの歌集のどんなところに魅力を感じたんですか?

伊東:今朝読んで、スッと心に入ってきたのは「朝が来て いつもと同じ 自分いる これがなかなか 幸せなんだ」という歌。世界に対する肯定感の高さ、そのままの自分を愛そうというポジティブなメッセージが伝わってきます。「何をした 何してくれたと 差し引きせず 今の今から すべてに感謝」という歌も、ウドさんらしい潔さがあって良いですよね。

ウド:うれしいですねぇ。いやぁ、ありがとうございます。

伊東:前に番組でご一緒させていただいたとき「この歌集にあるように、ウドさんはすべて肯定的に物事を捉えられるんですか?」とお聞きしたら、「すべて肯定的に捉えるのは難しいけど、そういうふうになりたいから」と仰っていましたよね。それがすごく印象に残っています。

ウド:これは僕の考えですけど、建前も偽善も、重ねていけばいつか本音になる気がするんです。実際の気持ちは、残念なくらい理想とかけ離れていたりするんですけれど、「こんなときこそ、そう思えたら良いよね」って、ある種、自分に言い聞かせているところがあるというか。

伊東:私も理想を詩にすることはありますけど、ときにダークサイドのリアルも書かないと自分の詩じゃないと感じてしまうんです。中にはぶつけようのない怒りとか、愚痴っぽいものもあったりします(笑)。だから、ウドさんが認める優しくてあたたかい世界観に感激しちゃって。

ウド:僕は、姉二人弟一人の4兄弟なんですけど、5年ほど前に、一番上の姉がある時、僕に言ったんです! 「人間には食欲とか睡眠欲とかいろんな欲があるけど、歳を重ねると、だんだん人の役に立ちたいという欲が出てくるの」と、でも当時の僕は、姉の言葉をあまり理解ができなかったんです。僕自身が我欲のかたまりだからだと思うんですが。

——自分を差し置いてでも誰かの役に立ちたいとは、なかなか思えないですよね。どこかで、それ相応の見返りを求めてしまうのが自然というか。

ウド:でも、あれから僕も歳を重ねて、少しずつ「人生の最後くらいは人の役に立つことをして旅立ちたい」と思うようになってきました。そのために「こうありたい」という気持ちを短歌にしたんです。聞こえの良い言葉ばかりが並んでいるように感じる方もいらっしゃるかもしれないし、偽善的見えると思いますが、読んで下さった人が、ほのぼの朗らかになってもらえたらなぁって思って短歌を詠んでいって、いつか本にできたらと思いました!

■詩という表現があったから伝えられたこと

伊東:ウドさんの「こうありたい」という気持ちで言葉を紡ぐ感覚にも共感しますが、私はやっぱり、肯定的な気持ちと否定的な気持ちの両方を書きたいと思っちゃいます。調子の良い日もあれば、いつも好きな自分でいられるわけもないし、全部を放棄しちゃいたくなることもある。そのグラデーションを全部詩にしたいんです。だから「生きてることに疲れても 大丈夫 みんな死ぬから」なんて極論も書いてしまうんですけれど(笑)。

ウド:でも、伊東さんの詩集にある「幸せ」という詩。「誰かのために 何かをしたい そう思うくらい 私は幸せ」っていうのは、姉の言葉に通ずるものを感じますし、伊東さんの本質が表れているように感じます。

伊東:ありがとうございます。確かに、それもまた本音ではありますね。

ウド:伊東さんって柔らかい人柄で、お優しい方じゃないですか。だからこそ、詩集のタイトルはかなり衝撃的でしたね。「神さまのいない場所で」って。

伊東:当初は「神さまのいない場所」というタイトルだったんです。でも、言い切ってしまうのはあまりにも希望がない感じがしたので、「で」をつけて少し余白を持たせました。

ウド:「神さまがいない」と言われると、救いようのない印象を受けますからね。でも、本編に収録されているタイトルのもとになった「神さまのいない場所で」という詩を読むと「神さまなんかいるわけないだろ と、よく兄は言っていた」「兄はひとりで死んだ 一瞬でも、神さまを感じただろうか」と書かれてあります。あぁ、そうか。これはお兄さんを想う言葉だったのか、お兄さんにとっては伊東さんこそが神さまだったのかもしれないな……と、しみじみ納得してしまいました。

伊東:そうですね、ウドさんの感想を伺いながら気が付いたのですが、神さまはいなくても、もしかしたらわたしが繋いでいた手のぬくもりにあるものを感じていて欲しいという願いを込めているのかもしれません。

ウド:また「つづき」という詩では、「つづきがあるのは残酷だ 希望という名の試練じゃないか」と書かれてあります。これ、まさにそうなんですよね。人が死ぬ、ものがなくなる……何かが終わることはすごく寂しい気がしますけど、終わりがあるから頑張れるし、今あるもの、周りの人たちへの感謝が生まれるのも事実なわけで。

伊東:「つづきがあるから嫌なこともあるんだよ!」って。そういう考えもありますよね(笑)。

ウド:僕自身、若い頃に比べたら体力も頭の回転も衰えてきました。“今”を生きるのに精一杯だったあの頃と違って、冷静に“未来には死があること”も考えるようになりました。客観的に見ると、それらはネガティブな変化かもしれません。でも、僕が歌集を出せたのは、体が衰え、死を意識する機会が増えたことで、ふと立ち止まったときに、ここまで連れてきてくれた人たちに対する感謝の気持ちが溢れてきたからだと思うんです。そう考えると、終わりがあること=死も悪いもんじゃないっていうか……。伊東さんは、お兄さんの死を受け止めながら、日々の些細な気持ちを綴る中で、そんなことを伝えようとしてくれているんじゃないかって思ったんです。

伊東:深く真意を感じ取りながら読んでいただけてうれしいです。もちろん、詩なので感じ方はそれぞれですけれど、ウドさんの感想をお聞きして、詩という表現があったから、それを一冊にまとめられたからこそ、伝えられた気持ちもあるんだろうなって、その実感に自信が加わりました。

ウド:今回、対談に向けて改めて詩集を読ませていただいたんですけど、本当にいろんなことを感じながら生きていらっしゃいますよね。直接お話するだけじゃ分からないことがたくさんあるなと、身にしみて感じました。詩ってすごいなぁ。その人のことを、真正面から、横から、斜めから……いろんな角度から知ることができるんですから。みんなが詩を書くようになったら、とても平和な世界になるような気がします。

伊東:今の時代、意見を表明することは簡単ですけど、四方八方から言葉の槍が飛んでくる危険もあって、素直な気持ちに自信を持ちづらいです。何か問題が発生すれば、あちこちで意見が飛び交い、もはや言葉の戦争状態。そんな環境にずっと身を置いていたら、心が迷子になっちゃいます。でも詩の世界では、何を書いても「そういう詩じゃん」と言い張れる。誰かから文句を言われる筋合いはないわけです(笑)。思ったことを素直なままに言葉にするとホッとします。ウドさんには短歌という表現があって、私には詩という表現があって。それらを介したうえで、こうしてお話ができるなんて、とてもピュアなことですね。

ウド:アハハ、恐縮です(笑)。伊東さんの詩集には、それこそピュアな気持ちが清らかにあふれているので、是非、みなさんにも読んでいただきたいです。詩の力、言葉の豊かさを、深く感じられると思います。

(文=とり)

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