東日本大震災13年 シイタケ栽培、原木不足 福島からの供給途絶え 生産量激減、悩み尽きず #知り続ける

乾シイタケを生産する風間吉夫さん。原木の確保が課題という=行方市内

東日本大震災に伴う福島第1原発事故の影響で、茨城県内で原木シイタケの栽培に欠かせないクヌギやコナラの不足が続いている。県内や主要仕入れ先だった福島県からの供給が途絶えたためで、生産量は激減。県内の一部で出荷制限の解除が進むものの、放射性物質の検査は今も欠かせず、生産者は「いつ自由に作れるのか」と苦悩する日々を送っている。

シイタケ栽培の原木は、広葉樹のクヌギやコナラを伐採し、長さ1メートルに切りそろえて使用。農家はシイタケ菌を行き渡らせた「ほだ木」に風を通したり、水分を与えたりして、約1年がかりで準備する。

茨城県内では地元産に加え、国内有数の産地だった福島県産の原木を多く仕入れていたが、原発事故に伴う放射性物質の飛散で同県からの供給が途絶えた。

茨城県内の原木の多くも栽培に使えなくなり、農林水産省のまとめでは、2022年の県外からの仕入れ先内訳は岩手22%、長野13%、埼玉12%。原木不足は慢性化し、茨城県が生産者を対象に実施したアンケート結果でも、23年に生産者が希望した51万本に対し、実際に調達できたのは44万本にとどまっている。

生産者も減少傾向が続いており、県によると、事故当時は220人いた原木シイタケの生産者(乾シイタケ含む)は、22年に105人に減少した。

キノコ栽培を始めて約50年という行方市の風間吉夫さん(71)は、原発事故前は近くの山林で原木を伐採し、露地ものを乾シイタケに加工、出荷していた。栽培に使っていたほだ木は事故後に全て廃棄し、現在は長野産を使用する。原木不足や出荷制限の影響で、2023年の出荷量は事故前の2割に満たない約0.4トンに落ち込んだという。

自身が保管する地元産原木のほだ木は23年秋に出荷制限が解除された。風間さんは「やっと元に戻ったのはうれしい」としながらも、「放射性物質検査のプレッシャーはこれからも続く。すっきりした気持ちで自由に生産できる日はいつになるのか」と厳しい表情で話した。

県内では23年9月現在、国や県の指示などで▽原木シイタケ(19市町)▽野生のコシアブラ(10市町)▽野生のキノコ類(11市町)▽乾シイタケ(5市町)▽野生イノシシ肉(石岡、高萩の食肉処理施設による出荷分を除く全域)の5品目が出荷制限の対象となっている。

© 株式会社茨城新聞社