『春になったら』で再確認する父と娘のいい関係 奈緒と木梨憲武が埋めてくれる“心の隙間”

これは、家庭によるかもしれないが、多くの場合は“お父さん”より“お母さん”の方が距離感が近かったりする。とくに、女の子ならなおのこと。幼いころは、「お父さんと結婚する!」なんて無邪気に言っていても、思春期に入ると、なぜだか無性に嫌悪感を抱くようになる。2023年放送のドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)に、「父を見ると、無性にイライラするようになった。頭では分かっていても、身体がイラッとしてしまう」という台詞があったが、おそらく多くの女性が通る道なのだろう。そして、お父さんと娘の関係は、縮まらないままフェードアウトしてしまうこともよくある。

だからだろうか。『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)を通して、娘だった時代のお父さんとの思い出を取り戻しているような気分になるのは。本作に登場する瞳(奈緒)と雅彦(木梨憲武)は、父娘であるにもかかわらず、結びつきが強い。それはおそらく、佳乃(森カンナ)の死後、ずっと二人三脚で生きてきたから。思春期だからお父さんと話したくないとか、お母さんを介して言いたいことを言えばいいやとか。瞳と雅彦の2人しかいない椎名家は、そんなことは言っていられない。ある意味、仕方なくだったのかもしれないけれど、だからこそ2人は仲の良い父娘でいられているのだ。『春になったら』を観ていると、「あの頃、もうちょっとお父さんに優しくしてあげればよかったな……」なんて後悔が芽生えて、ちょっとずつ消えていく。瞳と雅彦が心の隙間を埋めてくれているような気分になる。

第8話で登場した瞳の回想シーン。高校時代の瞳は、実演販売士として働く雅彦のことが、恥ずかしくて仕方がなかった。「グラッチェ!」と大声を出している父に、「張り切りすぎ」と罵ってしまったこともある。「お仕事でしょ」と返されても、「もう、声デカすぎ」とふてくされることしかできなかった。友人に、“声がでかいおじさん”が自分の父だとバレるのが怖くて、他人のふりをしてしまったことだってある。

瞳と雅彦は、ずっと仲睦まじい父娘としてやってきたのかと思ったが、瞳にもごくごく普通の思春期があったことを知る。それでも、雅彦は瞳と対話することを欠かさなかった。仕事に行く前に朝ごはんを作り、「行ってらっしゃい!」と笑顔で見送る。そして、2人の間にはいつも大皿料理が置かれていた。ひとつのお皿をつつくことで、いやでもコミュニケーションが生まれる。そうやって、雅彦は年頃の娘と心を離さないために努力をしてきたのかもしれない。

雅彦は、ちょっぴりデリカシーに欠ける部分がある。どちらかというと、思っていることはすぐに口に出してしまうあっけらかんとした性格だ。でも、瞳の前ではちがう。高校時代の瞳が、友人と一緒にいるときは、他人のふりをしてあげていたり、繊細な気遣いをすることができる。雅彦のキャラクターなら、何も考えず「おっ、瞳じゃん!」と声をかけそうなものなのに。

「中学とか高校のこと、お父さんの仕事嫌いとか言って本当にごめん」

そう言って頭を下げた瞳に、「ちょっと、何言ってんの! 昔の話じゃない」と笑いかけた雅彦。この会話を聞いたとき、「父と娘っぽいなぁ」と感じた。これが母と娘ならば、「ほんと、あのときお母さん傷ついたんだからね」「だから謝ってんじゃん!」なんてやり取りが生まれる可能性が高い。ただ、異性ということもあって、やっぱりどこか距離がある父と娘だからこそ生まれるさっぱりとしたやり取りに、ほっこりした。

今期は、『春になったら』以外でも、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)や、『不適切にもほどがある!』(TBS系)、と父と娘の絆に焦点を当てた物語がずらりと並んでいる。『厨房のありす』(日本テレビ系)の主人公・ありす(門脇麦)も、男手ひとつで育てられてきた役柄だ。お父さんは仕事に邁進して、お母さんは家で子どもの面倒を見る。だから、お父さんはどうしても子どもとの距離が遠くなってしまう……なんていうのは、もう昔の話なのかもしれない。「お父さん=どこか分かり合えない存在」というイメージがあったけれど、本作を観ていると、そんなことないんだなと思うことができる。『春になったら』は、父と娘というのも、いいものだということを再確認させてくれる作品だ。

(文=菜本かな)

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