街の人たちは震災から13年の3月11日をどのような思いで迎えたのでしょうか?千葉県旭市で取材しました。
こちらは午前8時ごろの飯岡海岸の様子です。
青空のもと、波は穏やかな海には、県外などから訪れたサーファーの姿も見られました。
サーファーは―
「20歳前から通っているのでもう30年は通っている。震災の時はこの辺は津波の影響を受けて海に入れない状況が続いた。いま、こうして海に入ることができるようになりうれしい」
市民は―
「我々がいまいる場所も実際は人の住む家があった。人も少しずつ戻ってきて店も増えてきて徐々に賑わいは戻ってきている」
訪れた人は―
「(海は)穏やかでね。13年前は何時間後にあんな災害があるとは知らず、皆さん生活をされていたと思うと…」
「地震はとくに千葉は多いですからね。いつ何が起きるか…」
一方、旭市の防災資料館は通常、月曜日は休館日ですが、11日は特別に開館していて、けさも訪れた人たちに職員たちが震災当時の状況を伝えていました。
旭市防災資料館 宮本英一さん
「大人には風化させないと話すことは重要だがやはり一番は子ども。小学生とか中学生とか当時経験していない子どもたちに伝えるのが一番の仕事だと思っている」
東日本大震災を経験していなかったり記憶が薄れていたりする子どもたちへの防災教育の一環として、旭市の小中学校では、11日、非常食のカレーやコーンポタージュなどが給食として振舞われました。
生徒は―
「やわらかくて食べやすい味だと思う。いつも食べているカレーと同じでおいしい」
旭市第一学校給食センター 石井幸恵栄養教諭
「記憶を薄れさせないことに加えて非常食がある。安心感や日常の食事のありがたみ感じてほしい」